外伝1 越後の龍②

 冷たく、真っ白い綿雪が地面を覆い尽くしていた。

 冬が来たのである。

 この日ノ本の冬は、ただでさえ厳しい。東西南北どこであろうと雪は珍しいものではない。だが、越後のそれは格別だった。深く、重く、そして冷たい。雪は静寂を生み、何もかもを白く塗りつぶす。まるで、この世のすべてを無へと還そうとするかのように。

 だが、雪とは実に厄介な存在である。

 人々の足を奪い、獣を眠らせ、畑を枯らす。稲は実らず、草木は凍りつく。川や海に魚はいても、氷が張れば手も出せぬ。寒さは骨の髄にまで染み込み、民はただ飢えと凍えに耐えるしかなかった。冬は、命を削る季節である。

 収穫もなければ、銭もない。庶民は厚着をすることも、囲炉裏で火を絶やさぬことも叶わぬ。油一壺ですら、一年働いて手に入るかどうか。そんな貧しさは、寺においても変わらなかった。

 林泉寺もまた、寒風に晒されている。

 住職の天室光育が最も身分が高く、厚手の羽織を何枚か重ねてはいたが、それでもなお冷えた。貧しい寺のことである。布は薄く、火も惜しまねばならぬ。寺男たちは粗末な麻の衣を一枚まとい、凍てつく庭を掃くのが日課であった。

「……その、と、虎千代様……」

 寺男のひとりが、恐る恐る声をかけた。

 縁側に座る少年、虎千代は静かに振り返る。父が越後の大名・長尾為景であるゆえ、彼には厚く重ねた衣が許されていた。幼いながらも、その立場は寺中の誰よりも高い。

「なんだ」

「そ、その……和尚様に言いつけられた廊下掃除は、よろしいのでしょうか」

「問題はない。お前らがやるのではないか」

「い、いえ……私どもは庭掃除を申しつけられておりまして……」

「では、俺に廊下を磨けと?」

「そ、そういう意味ではなく……!」

 虎千代が、まだ七つの頃のことであった。

 だが、その目にはすでに冷たい光が宿っている。

 この寺において、誰も彼に逆らう者はいなかった。

 たとえ、その幼子が、あまりに傲慢であったとしても。

「和尚様! 虎千代様が、また仕事をしておりませぬ!」

 ついに耐えかねた寺男たちが、天室光育の部屋へと駆け込んだ。

 光育は囲炉裏の前に座し、経典を読んでいたが、その声を聞いてふと顔を上げる。

「……また虎千代様か」

 普段であれば、寺男の無作法を叱るところである。だが、このときばかりは致し方あるまいと、光育は深く息を吐いた。

 雪の夜気が、囲炉裏の火をゆらりと揺らしていた。

「虎千代様、私は廊下を掃除するように申したはずです」

「廊下の掃除は他の者に申しつけました」

「それは、私があなたに言っただけで、他の者に言いつけた覚えはありません」

「しかし、一生懸命働いている寺男がいる中、働いていない者がいるのは良くないと思いました。そのため、その者たちに言いつけただけです」

 虎千代は淡々とした口調で言う。

 光育は眉をひそめた。

「……それに、和尚様が選んで仕事をさせぬ寺男がいますね。あれは色男だからですか?」

「そ、それは……」

 光育は言葉に詰まった。

 虎千代は屁理屈をよく並べる。しかし、それがただの戯言ではないのが厄介だった。言葉は幼くとも、理は通っている。

 誰もがこの男子がまさに戦乱の世に名をとどろかす人物になろうとは誰も知る由もなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る