第15話 三の丸にて②

「……」


「……」


 虎たちが部屋を出てしばらく経った時。


 景勝と景虎はお互いになにかを探るように見つめる。だけれど、景勝の用事はそんなものでは無い。それは景虎も重々承知の上で請け負った。これ以上黙ったところでなにかなる訳でもない。ならば、と頭の中で何度も何度も繰り返し考え、そして口を開く。決して目の前の義弟おとうとに自分の思考が悟られぬように。


「……して、話しとはなんですか? 景勝殿」


 なんの用事か。これは景虎も知らない。けれど、それが何かは薄々察していた。


「……義兄上はあるうわさを知っておられますか?」


 一切の表情には出さず生真面目そうに景虎の表情を伺う。しかし、自分の表情は「何を考えているのかよく分からない」と家臣どころか家族にすら言われる景勝が他人の表情など分かるわけもない。それは景虎も同じだ。彼は景勝よりかは表情は豊かだが、腹の底を見せるほど馬鹿でもない。


「……ふむ……うわさとは?」


 なんのうわさか。頭の中で反芻する。春日山城内にいると毎日のように様々なうわさ話が聞こえてくる。それが良いことなのか悪いことなのか。けれど、景勝がわざわざ良いうわさを告げに来るわけもない。


 景勝と景虎。義理ではあるが兄弟である。景虎が上杉家一門衆になった時から毎日のように景勝は虎に連れられやってくる。彼女のお陰か、多少は話せるような相手にはなっている。けれど、決して仲が良いわけでも悪いわけでも無い。目の前の彼は義兄あにで目の前の彼は義弟おとうと。ただそれだけの関係に過ぎない。


「……家督についてです」


「……」


 家督について。最近洗濯場の下女がそんな話をしていた。そう清から伺っていた。古今東西どこに行ってもその話題は尽きない。けれど、景虎にその話題をするのは愚問だ。


「私は御館様とは何ら関係の無い人間です。確かに妻は上杉の者ですが、それを置いたら私は上杉家とは何ら関係がありません。よそ者に跡目を譲る。御館様がそんなおかしなことをするわけがありません。それはあなたがよく知っているのではないですか?」


「……ええ。もちろん知っております。しかし、それにもかかわらず家督は是非義兄上のといううわさが耐えません」


「なぜです? なぜ、そのようなうわさが流れているのですか?」


 もちろんだが、景虎は上杉の跡を継ぐつもりは無い。北条家でも七男で、継承順位など到底やってくるわけが無い。それに、景虎は家督について興味が無い。そんな話は口に出したこともないことが、誰から見ても景虎に跡継ぎになる資格などない。それでも家督を継ごうとするなど勘違いも甚だしい。彼にとってそれは好都合だった。家の都合でこれ以上家族と引き剥がされるのはもう二度とごめんだ。加えて景虎には守りたいものがある。彼らに危険な思いはして欲しくない。


 苛立ちから声を荒らげるが、それに対して景勝はゆるりと首を横に振った。このうわさが流れる真意は何となく察しているが一体誰がなんのつもりなのかわかるわけもない。


「私の許嫁はまだ6つです。とても聡明とはいえ7つまでは神の子といいます。故に命の保証などあるわけがないのです」


 これでは景勝は実質独り身と変わらない。それに対して景虎は妻も嫡男もいる。継ぐ資格はないと言えど景勝に比べたら景虎の方が好都合なのだ。


「そんな馬鹿げた話はありえません」


 無茶苦茶だ。いくら事実と言えど跡取りである景勝を差し置いて自分があとを継ぐなどいくら考えてもおかしい。


「そんな話本当にあるのですか? まるでその話を流している者は……」


 名も分からぬ彼の本音が見えてくる。景虎のことなどどうでもいい。跡を継ぐのは自分だ。いや、景虎を上手いこと操り上杉家を乗っ取る。そんな陰謀が見える。


「……ええ。あくまで可能性ですが」


「しかし、わかりやすすぎます。例えそうだとしたらその者は何を考えているのですか?」


「まだ、わかりません」


 上杉家を乗っ取るという考えはわかるが、こんなにも分かりやすく行動してくるのだろうか?


「では__」


「そこで、折り入って相談があります」


「相談……?」


 目の前の彼は検討もつかないことを言う。義弟は相変わらずの無表情。彼が何考えているかなんてわかるわけが無い。だが、そんな景虎の様子を知ってか知らずか声の音量を下げ、景虎の耳元に近づける。


「なんだと__!?」


 景勝から聞き取った話に思わず表情を崩す。今まで礼儀の正しい青年を装うっていたというのに敬語も忘れて声に出す。景虎の様子が激変したというのに景勝は相変わらず無表情のまま貫いた。


「しっ。お静かに」


「いや、しかし、本当にやるのか? 正気か?」


「ええ。私は至って真面目です」


「でも、危険すぎないか? 私や家族になにか危険は……」


「問題ありません。それは保証します」


「……わかった。合意しよう。ただし、それは私だけでなく、あなたにも危険が及びます。そこだけはゆめゆめお忘れならぬよう」


「わかっております」


 無表情を崩さずに淡々と答える景勝にはぁと軽くため息をついた。景虎だって危ない橋は出来れば渡りたくない。しかし、そういう訳には行かない。決意を固めるしかない。

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