ズヴェーリ 英雄叙事詩

唯響

プロローグ

プロローグ あの日 

 ズヴェーリ(Зверы)。

 それはこの世界に住む『獣』全般を指す一般名称のことだ。彼らは牙や鉤爪をもち火を吹くおぞましい生き物だ。

 野生に生息するズヴェーリはときおり人に危害を加えるほど凶暴だが、知能が高く調教のしやすいので、彼らは機械よりも生活に溶け込み、時に兵器利用もされる。


 世界に“闘獣とうじゅう”という格闘技がある。これはズヴェーリを人間の指示で闘わせるものだ。

 この文化の発祥はここ、ルーシ連邦国カラハリン州カラハリン島とされる。

 発祥地ということもありこのカラハリン州は世界大会でも常に好成績を収める、言わば闘獣の強豪であった。



 3013年


「ねぇお父さん、早く行かないと遅れちゃうよ!」


 カラハリン島に住む秀二はこの日、友人たちと会う予定だった。


『闘獣の生放送を家で観よう』


 そう誘われた8歳の秀二は、雪が降りつづけるなか、父の安之助に車で友人宅まで運んでもらっていた。

 すでに日は落ちていた。凍りついた道路は非常に危険で、急ごうにも急げない。


 やっとの思いで到着すると、放送開始直前だった。車外は防寒具を着用していても肌寒い-20℃の世界。

 父と別れて、凍えそうになりながら玄関まで走った。


「アイナ、来たよ!」


「やっと来た! ココアでも飲んで暖まって!」


 アイナ(Аина)は青い瞳のルーシ人で、年上で眉目秀麗なお姉さんだが、親しい友人だ。


 彼女に家に入れてもらう。リビングには、先に到着していたユーリの姿があった。


 この頃のユーリはかなり口が悪く、秀二は彼に苦手意識を持つようになっていた。


「やっと来ましたか秀二。あんまり遅いんでもともとから少なかった観戦意欲がさらに減ってしまいましたよ。本当に、萎なえました」


 ユーリ(Юрий)は秀二よりも2つ上なのに、最近はなぜだか秀二に敬語を使いだすようになった。

 ユーリは眼鏡のフレームを中指でくいっとあげて、キメ顔をしていた。なぜわざわざそんなことを口にするのだろうか。することなすことに理解が及ばないのが、ユーリという男。つまりは不思議ちゃんなのだ。


 アイナはいつも秀二の味方をして、ユーリと口喧嘩を始める。それがお決まり。いつもの光景だった。


 時計を見れば、放送時間となっていた。秀二は二人をソファに座らせ、自分も隣に座った。


 ユーリは予定時刻から数分経っても番組が始まらず、イライラしだした。


『ホントは観たいんじゃん』


 内心秀二がそう思った矢先、番組が始まった。

 リポーターが意気揚々と闘獣州王者決定戦の開幕を知らせる。現王者の老人シャクシャインが登場し、次いで挑戦者の女性チェリミンスカヤが登場した。

 両者は舞台の上手と下手から手を振りながら現れ、観客席からの盛大な歓声をあびながら中央の舞台へ歩みを進めていく。その間も歓声は止むことはなく、闘獣の人気を物語っていた。


 そんな、画面の中の観客たちにユーリは冷めた目つきをしながらこうつぶやいた。


「ただの物理的な殴りあいに、わざわざ観戦するほどの魅力があるとは思えませんがね……」


 彼のそんな言葉を無視するかのように観客たちは盛りあがりつづけ、そのまま王者と挑戦者は舞台上にあがり対峙した。


 二人は小声で会話をしている。聞きとろうとして、会場が静寂に包まれる。緊張感が漂いだしていた。

 チェリミンスカヤはシャクシャインの背中を2度叩き、それから2人が笑顔で離れ、所定の位置につく。

 闘獣士は舞台の端に立ち、中心で闘うズヴェーリに指示を出すのだ。


 勝負は突然、シャクシャインの叫び声で始まった。


「トミカムイ、相手のズヴェーリを斬りきざめ! 小娘に引導を渡してやれい!」


 彼は顔の堀が深く、かなり大柄の老人だ。その巨体から発せられる野太くハキハキとしたその怒号に、トミカムイは反応した。

 トミカムイは肉付きが良い4足歩行のズヴェーリで、太刀のように鋭く尖った2本の角と、その奥にある血がほとばしった目が怖さを感じさせる。

 だがその目は恐怖を感じさせるだけではなく、シャクシャイン同様に自信に満ちあふれていた。それもそうだろう。リポーター曰く彼らは数十年間王者として君臨しつづけている『絶対王者』らしい。


「レタル、トミカムイと正面衝突しなさい。なんとしてでも勝つわよ!」


 チェリミンスカヤ(Челимьнская)は次期王者との呼び声も高い実力者ながら、ティーンエイジャー向けオシャレ雑誌のモデルという2足の草鞋を履くスターでもある。

 彼女のズヴェーリは、紫色で間接や手足がない粘膜のような見た目をしている。こちらも生物ではないような見た目ながら、俊敏に動きまわり牙や爪で襲ってくる不気味さがある。


 両者のズヴェーリが勢いよく衝突し、煙が立ちこめる。まるで砂嵐のように、画面は灰色になった。


「これじゃあ中継を視てる意味がありませんよ!」


 2匹のズヴェーリによる咆哮ほうこうが響く。画面にはなにも映っていないが、そこで両者が激闘していることは明らかだ。

 やがて煙が晴れると、舞台上は血祭りになっていた。


「どうしたトミカムイ。儂を老獪ろうかいと呼ぶ挑戦者を全員蹴散らすまで、お前もくたばってはならんぞ」


 シャクシャインの言葉を聞いたトミカムイは雄叫びをあげた。そして傷だらけの4本足を動かし、尖った角でレタルを突きあげた。


 レタルは断末魔を上げた。

 その鳴き声を聞いたユーリもまた、頭を抱えながら叫んでいた。


「うぎゃぁぁぁぁ! レダルン"ン"ン"ン"!」


 その姿に、秀二はドン引きした。それはアイナも同じだったようだ。だがそんな2人のことなど露知らず画面に釘づけになるユーリを、秀二はなんとなく面白いと思った。


「レタル、守りに入っていてはダメだわ! 上からまとわりついて、場外に押しだしなさい!」


 まるで風に吹かれたビニール袋のようにレタルはトミカムイにまとわりついた。一方的に噛みつかれたトミカムイは背中から血が滴りおちながら、またしても激しく叫び声をあげた。


 口を開け血の混じったよだれを垂らすトミカムイ。白目を向き、今にも倒れてしまいそうなほどもだえている。


「トミカムイは全長2メートル程度で体重は300キログラムはある。しかしレタル……あなたは全長140センチメートル程度に体重は80キログラムと、圧倒的に小柄だわ」


 危機的状況ながらも彼女は冷静に考えていた。


「だから……戦闘不能に追いこまなくてもいいの。ただあなたは、トミカムイを場外まで連れていけばいいの!」


 闘獣のルールは2つと、至極単純。

 相手を戦闘不能にするか、場外に追いだすかだ。


「やりなさいレタル、暴れさせて理性を奪うのよ! そして場外へ導きなさい!」


「トミカムイ、儂との訓練の日々を忘れたのか目を覚ますのじゃ!」


 目を覚ましたトミカムイは体を勢いに任せて仰むけにした。押しつぶされる寸前に背中から離れたレタルを、シャクシャインは見逃さなかった。


「トミカムイ、体を掴んで地面に叩きつけろ!」


 シャクシャインの指示どおりに動いたトミカムイによって地面に叩きつけられそうになったレタルは、とっさにトミカムイの右腕に巻きついた。


 最後の気力を絞ったトミカムイは、自分の右腕ごとレタルに噛みついた。自分の約1/3の体重を持ちあげるその怪力は、見るものを圧倒する鬼気迫るものがあった。


 そのままトミカムイはレタルを戦闘不能に追いこもうと、痛みに耐えながらレタルごと自分の腕に牙を押しこんでいく。

 体に牙を押しこまれ、粘膜のような瞼を見開いたレタルは、そのまっ黒な目から涙を流した。ここでチェリミンスカヤは奇策に打ってでた。


「あなたも牙で腕に噛みつきなさいレタル! トミカムイは二重で苦しむことになるわ!」


 舞台の上は、血を吹きだしながら敵の肉片を噛みちぎらんとする、修羅となっていた。


「フッハッハッハッハ! もっとだ、もっと血を流せぇ! !」


 シャクシャインは顔つきがまるで別人のように変わり、高笑いをしていた。この残忍な闘いを楽しみ、さらに激しくなるのを望んでいるようだ。


「これは痛いぃぃぃぃぃぃぃぃ! や、やめれぇ! !」


 ユーリはまたしても絶句していた。奇声を上げ頭を抱えるユーリは、まるで覚醒しているようだった。


 2匹のズヴェーリは血を垂らしながら根比べをした。その根比べに敗れたトミカムイは力が抜け、倒れた。

 トミカムイは戦闘不能となり、会場のチェリミンスカヤのファンは、喜びあがった。


 会場のチェリミンスカヤファンは歓喜した。しかし画面の前は静かだった。幼い体にこの闘いは刺激的すぎて、秀二はいつの間にか疲労からウトウトし、眠ってしまった。


 目が覚めると、彼は子供部屋の布団の上だった。


「ごめんね秀、起こしちゃった?」


 アイナの問いに答えようとすると、ユーリが嬉々として話しかけてきた。


「秀二、僕の夢の話を聞いていただきたいですな!」


「んん、まぁいいけど?」


「よくぞそう言ってくれました秀二君……良いですか、僕の夢は……」


「闘獣士になりたいんでしょ?」


 1度眠ったことにより妙に冴えわたっていたていた秀二は、そのように推理した。ユーリは表情を変えずにいたが、明らかに目が泳いでいた。

 普段のお返しに、やり返してやった気分だった。だがユーリの反応は違った。


「僕の夢は、闘獣士を支える人間になることなのです……!」


「はえ……?」


 なぜそんな裏方を目指すのだろうか。秀二は理解が及ばず、ポカーンとしてしまっていた。


「ユーリって変なやつだな……ホワァ」


「いいですか、秀二。闘獣士は、誰でもはじめられるものです。でも僕の目指す立場は、誰でもなれるものではない」


 ユーリは長々と説明し出した。


「僕は闘獣で活躍する自信はありません。だからカリスマ闘獣士を側で支える獣王じゅうおうになりたいのです!」


「獣王にならなくちゃなんだね……へえ〜」


 ユーリに対して彼の言った言葉を繰りかえすことでちゃんと聞いているよとアピールしつつ、再度眠りにつこうとした。

 だが少しづつ頭の中で反芻はんすうする自分の言葉に意識が向かっていく。

 彼は目を開けて布団から飛びあがった。


「獣王ってなにそれカッコイイ!」


 ユーリに曰く獣王とは、ズヴェーリに関連した研究や大会で人類に文化的に多大なる貢献をした者にのみ与えられる、名誉ある特別な称号とのことだった。


「チェリミンスカヤさんも、闘獣を通じて格闘技界隈とモデル界隈を繋げる架け橋の役割を果たしたことで、獣王になったんだよ」


「マジかよ……!」


 確かに感じた感動や恐怖の衝撃は、彼の中で圧倒的な憧れと姿を変えていった。そしてこの日以来獣王という存在が、彼の心を支配していったのだった。


「ユーリ……アイナ……俺……いつか必ず獣王になる……!」

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