後押し
三峰は警察官になった日のことを思い出していた。憧れだった。困った人を助け、悪い人を取り締まる。そんなことを自分もしたいと思っていた。
誰かを救いたくて警察官を目指していた筈だった。罪のない人たちが怯えながら暮らすのを助けたいと思った。どうしてこうなったのだろう。身近な上司の気持ちすら気づけず拳銃を向けられる始末。助けたいと思っていた少年も止められず、容疑者である犯人を目の前でみすみす殺された。
揺るぎなく持っていた、自分の原動力だった筈の三峰の正義は揺らいでいる。警察になれば正義だと思っていた。人を救えるのだと思っていた。全くそんなことはなかった。さっきだってそうだった。三峰は被害者であった筈の少年に拳銃を向けた。
一時的にしろ容疑者を守る立場になっていた。愛する人が殺されたら復讐したいと思うのは、当たり前の思考なのではないか? 三峰だって地方に残してきた母親が殺されたら、もしかしたら仁のようになっていたかもしれない。
被害者が復讐をしようものならそれは紛れもない加害者へと変わっていく。警察になった以上は三峰も、当然それを止めなければならない。警察が助けるのは善良な市民であり、あくまで無害な人間だけ。
そんなことはわかっていた。わかっていた筈だったのに、身体は動こうとしなかった。結果何も出来なかったのだ。今だって自分はここで何をしているのだろうか。本来なら逃げた飯島ジュンゴの後を追い、仁を止めなくてはならない。
それなのに三峰は、復讐を止めるべきなのかを迷ってしまっている。仁は自分が殺人犯になることも分かっていながら、復讐を遂行しようとしていた筈なのだ。
それを三峰は止めてもいいのだろうか。三峰にはその権利があるのだろうか。
三峰の持っていた正義はみんなが幸せになるものだった。正しい行いは万人を幸せにするとばかり思っていた。
しかし現実は違った。ただの理想論の綺麗事だと気がついた。傷を負った被害者の傷は、治ったってその痕が消えることはないのだ。
ーーその時、三峰の肩を誰かが叩いた。振り向くとそこには志田が立っていた。
「浜田と山本は逃げた飯島ジュンゴを追っていったらしい。その隙に須田明夫が乗り込んできたんだろうな。それとここに応援と、意味ないと思うが救急車も呼んだよ」
志田はタバコに火をつけ、三峰の横に腰を下ろした。もう嗅ぎ慣れた筈の煙草がやけに煙たく感じた。
「‥‥三峰。俺は今回の責任を全て抱えて警察官を止める。お前には悪いことをしたな。‥‥ただな、昔の俺と重なって見えちまったんだよあの少年が」
「‥‥志田さん。私には何が正しいのか分かりません」
「『何も考えるな。言われた通りに動け。絶対に同情してはいけない』昔俺が言われた言葉だ。今の法律だと復讐は許されてない。どんな理由があろうと、紛れもない犯罪だよ。だから、それを止めるのは何も間違っちゃいない」
志田は三峰に煙草を差し出した。「吸ってみるか?」
三峰はそれを受け取る。そういえば煙草を吸ったことはなかった。それ以前に三峰にとって煙草は興味の対象にすらならなかった。
三峰が煙草を咥えると、志田がライターに火をつけ三峰に差し出した。ゆっくりと息を吸い込むと煙が喉に通るような感覚が走る。
「ゴホッ、ゴホッ」
口の中に苦味のような味覚が広がる。なぜだか同時に頭がクラクラとしてきた。
「初めての時は誰でもそうなるもんだ。慣れれば悪くないだろうよ。‥‥お前は白石仁の復讐を止めたいか?」
三峰はもう一度煙を吸い込んでみる。今度は
「そう思ってました。‥‥でも、それは正解なんでしょうか」
「正解なんてない。ただ自分が正しいと思っていることで笑ってくれる人が一人でもいるのなら、それは正解に限りなく近いんじゃないか」
「‥‥どういうことでしょうか?」
「白石仁が復讐をしたら、悲しむのは誰だと思う」
志田はまるで泣いた我が子を
「‥‥親御さんや友達、とかですかね」
「そうだな。もし止められればそんな悲劇は免れる。あんな風に邪魔した俺が言うのはなんだが、須田明夫が言っていた通り、人なんか殺したってどうにもならない。ただ本人もそんなことはわかってるんだ。だから三峰、お前が止めてやれ」
「‥‥私がですか?」
「考えたって答えなんかない。お前はきっと正しい。だから、俺みたいになんて絶対になるな」
志田は進藤トモヤと長田茂の遺体を見ていた。その表情は哀愁を漂わせていた。
「ほら行け。ここには俺がいるから」そう言って志田は三峰の背中を押した。
「‥‥でも」
三峰にはまだ迷いがあった。もし実際にもう一度仁にあった時に、自分はなんと声をかけられるだろうか。自分が伝えられることはあるのだろうか。
「もう自分自身に言い訳をするな。これは上司命令だ三峰。飯島ジュンゴを無事に保護しろ」
志田はそう言いながら口角を上げた。三峰はタバコの火を消し立ち上がる。さっきまで動かなかったはずの身体はもう動いていた。
「‥‥はい、必ず保護します」
そう志田に言い残し、三峰は走り出した。口の中には煙草の香りがまだ残っていた。
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