続、追跡

 花は白石の自宅を訪ねていた。この家に来たあの日以降、全く連絡が来ていない。花から連絡を入れても返信が来ない。白石に限ってそんなことはないと思うが、もしかしたら。そう思った花は結局自宅まで来てしまった。


 母親とは顔をあわせるのは気まづいと思いながら、花はインターフォンを押した。


 誰も出てこない。留守なのだろうか? また一人で事件のことを探っているのだろうか。彼のことだ。それも大いにあり得た。もう一度押しても何の反応もない。同時に母親も留守なのだろうと花はホッとした。


「‥‥花ちゃん?」


 突然の聞き覚えのある声に、花の体は大きく跳ね上がる。今一番会いたくない人物に会ってしまった。


「‥‥こ、こんばんは」


「仁に会いに来たの? 中にいない?」


「いないです。‥‥連絡も来なくって」


 花は諦めてさっさと帰ろうとすると、母親に腕を掴まれた。


「中で待ってれば? 最近は家にずっといたから、すぐ帰ってくると思う」


 花は断ることができず、仕方なく中に入る。後ろめたさから母親の顔を見ることができない。


「もしかしたら寝てるのかも。ちょっと部屋を見てきたら?」


 花はそう言われ、逃げるように白石の部屋に向かった。扉を開いた先に白石が寝ていることを祈りながら扉を開けた。


 しかしそこに白石の姿はなかった。花は思わずため息をついた。しかし部屋の中の様子がおかしいことにすぐに気がついた。前に入った時と違い、とても綺麗だった。掃除をしただけかもしれないが、それにしても違和感がある。


 ベッドのシーツはシワもなく整っているし、まるでこの部屋の中からは生活感が微塵も感じられなかった。花は机の上に手紙と封筒が置いてあることに気がついた。封筒の中にはお金が入っていた。手紙には『母さんへ』と書いてある。


 見てはいけないと思った。白石はこれを自分の母に当てている。しかし、花はその中を母親に見せてはいけないと思った。花が見ることは最低かもしれないが、今白石が何をしているかがわかる。そう思うと見ないわけにはいかなかった。


『ごめんなさい』手紙はそこから始まっていた。


 ーー花は深呼吸をし、息を飲んだ後手紙に目を通した。



『まずは初めに謝らせてください。きっと母さんにはこれから多大な迷惑をかけると思います。俺はこれから人を殺します。ワガママかもしれないけど、理由は言いたくありません。どんな理由を並べたところで、人を殺すことは悪いことです。


 そんなことはわかっています。そのせいで殺人者の息子としてきっと迷惑をかけてしまいます。母さんは俺みたいな息子を産んでしまったことを後悔すると思います。でも俺は母さんの子供に生まれて後悔したことなんて一度もありません。


 俺のために仕事を遅くまで頑張って、「片親って事を後悔して欲しくない」って、俺に何不自由なく生活をさせてくれてありがとうございます。


 美味しいご飯をありがとうございます。


 怒った後には優しく接してくれてありがとうございます。


 今日まで何不自由なく生活をさせてくれてありがとうございます。


 そして、本当にごめんなさい。』



 花は静かに手紙を畳んだ。きっと白石は例の非通知の相手から電話が来たのだろう。そして自分には知らせずに一人で向かったと考えるべきだ。


 花は腹が立っていた。白石仁と今村朱理をこんな目にあわせた犯人。そして花に何も言わずに、こんな風に手紙をを残した白石に。電話が来たら教えてくれると言っていたはずなのに彼は花を裏切った。一人で全てを勝手に終わらせようとしているのだ。


 きっとこれが彼の優しさなんだろうなと思った。花の事を殺人犯にさせないと、きっと言わなかったのだろう。


 花はこの手紙をポケットにしまった。先に裏切ったのは彼のほうだ。この手紙を母親に見せるわけにはいかない。こんなにも大切に思ってくれてる母親を彼は捨てる必要はないのだ。復讐はなにも失うものがない自分がやる。花は初めからそう決めていた。


 しかしこのままでは彼は殺しをしてしまうだろう。どこへ向かったのかがわからない事には何も花には出来なかった。その時、花はGPSを仕掛けていた事を思い出した。


 あの時にバラしてしまったから、もしかしたら外されているかもしれない。いや、確実に外されているだろう。つけたままでは何のために花に黙って向かったのか分からない。それでも花はダメ元で確認をしてみた。するとGPSはまだ生きていた。


 車に乗っているのか、早い速度で移動をしている。


 どうしてGPSを取り外さなかったのだろうか。忘れていたなんて事は彼に限って絶対にない。それでも、花は白石を止めるべく急いで自宅に一度戻る事にした。突然玄関を飛び出したらきっと母親は驚くだろうが、今は時間が惜しく花は何も言わずに白石の家を後にした。


 花にできることは幾つかあった。まずは白石に殺人をやめさせたい。これが花にとっても最優先に守りたいことだった。警察に知らせるのが一番だとはわかるが、これではそもそも花も彼らを殺すことができない。


 どうにか自分で止めるしかない。まずは白石を見つけなければ何も始まらない。そう考えた花はタクシーに乗って白石の後を追うことにした。白石についたGPSは未だに動き続けている。しかし、地図と照らし合わせてみても目的地が全くわからない。


 それでも花は駅前でタクシーを拾った。


「お客さん、どこまでですか?」


「私の言うとおり走らせてくれますか? 目的地へはその都度説明します」


 そうしてタクシーは走り出した。花は大きめのリュックに潜ませたナイフを握った。ようやくこの時が来た。朱理の無念を晴らす時が来た。殺すことに対しては何の躊躇も花はしないだろう。ゴミの処分くらいにしか考えていなかった。


 そもそも最初に大切なものを奪ったのはあいつらだ。当然の報いで文句なんて言えないはずだ。


 車は市街地を抜け、山道へと向かっていく。運転手もこんな道を走らせていることに疑問を覚えたのか、しきりに花の様子をバックミラーで伺っている。しかしまだ何もしていないし怯える必要はなかった。


「随分と大きなリュックを持っていらしゃるのですね。ハイキングの予定かなんかですか?」


 花はめんどくさいなと思った。昔から花はこういって話しかけてくるタイプの人間は嫌いだった。美容院の店員や、アパレルの店員。何を思って話しかけてきているのか理解ができない。その為か花は運転手に対して気怠そうに返した。


「ハイキングなんて興味はないですね」


 もう話しかけてくるなよ。といった意味を含ませた。運転手も気を遣ってくれたのだろうが、花自身がそんなのは迷惑だと言った態度でいればやめると思っていたが、運転手は何も気にしない素振りで話し続ける。


「まぁ若い子が一人でハイキングなんて、あんまり考えられないですよね。こんな雨も降っているので」


 激しい雨が窓を叩いている。流石にこの土砂降りは厳しい。目的地に着くまでには止んで欲しいと花は思った。


 バックミラー越しに運転手と目が合う。すると運転手は花にニコリと笑いかけた。何かその笑顔が上辺のように花には見えた。


「こんな雨が嫌なことを全部洗い流してくれて、そうして何事もなかった日々に戻してくれたらいいんですけどね」


 花は何も返していないのに、運転手はついに一人でに話し始めた。しかもいきなり訳のわからないことを言い出したので、花もどうしたらいいのか分からず戸惑いながら相槌を打った。


「お客さん。目的地まではまだかかりそうですか?」


 花がGPSを確認すると、仁はさっきまでの速度で進んでいることはなく止まっていた。進んでいたとしても歩いているような遅いペースだった。スマホのナビで花は仁のいるルートまでを検索してみた。


「‥‥まだ結構かかりそうです」


 運転手は、「そうですか」と頷き、小さな音で流れていたラジオを止めた。今まではそのラジオから流れていた音のおかげで、車内が無音になることはなかったが、今では打ちつける雨の音が聞こえる以外の音は無くなってしまった。


「一つだけお客さんに質問をいいですか?」


 雨の音が以外と心地よく、眠気が襲ってきていたので花は丁度いいと思った。花は、「いいですよ」と返し視線は窓の外を見た。


 運転手は小さなため息をつき、ぽつぽつと話し始めた。


「私にはお客さんと同じくらいの娘がいるんですよ」


 この手の話でよくあるなと花は思った。こういった時用にタクシーの運転手は、お客さんに合わせた話を用意していると聞いたことがある。恐らくは最近娘が素っ気ないとか、彼氏ができたみたいな話だろうと花はため息をついた。


「自分には最近娘は当たりがきついんですけどね、やっぱり娘って可愛いんですよね。お客さんのお父さんもきっとそう思っていると思いますよ」


 花は父親は小さいことに亡くなったと言ってやろうかと思ったが、何も運転手に悪気があった訳ではない。それに自分のことを見ず知らずのやつに話すのも、気分のいいものではない。


「とまぁ本題はこんなことじゃないんですけど‥‥」


 運転手はそう言って、少しの間の静寂を作った。何かアクシデントかと花はバックミラー越しに、運転手の表情を眺めるがさっきまでの道と違い、明かりのない為か暗くてよく見えなかった。


「‥‥どうしたんですか?」


 思わず心配になって花はこちらから尋ねる。さっきまではおしゃべりだった人が突然黙り出すと、どうにも気味も悪い。外の天気も相まって、車内に異様な雰囲気が漂っていた。


 運転手はスマートフォンを掴み、花の方へと差し出した。真っ暗な車内をスマートフォンの光が照らした。


「私の娘です。可愛いでしょう?」


 スマートフォンのロック画面に写った写真には、家族三人が笑っていた。娘さんは花とほんとうに同じくらいで、家族で撮る写真がこそばゆいのかそっぽを向いていたが、花にはとても幸せそうに見えた。


「私はこの娘の為ならなんだって出来る。それがたとえ犯罪でもきっと躊躇はしないんです」


 運転手の言葉には何か意思のようなものを感じる。花にはほとんど父親の記憶はない。しかし親というのはこういうものだとお思う。だが、このセリフはとても不穏だと思った。


「‥‥犯罪でも、ですか?」


 雨がさっきよりも強くなっただろうか。車のワイパーがフロントガラスの水滴を必死で弾き飛ばしているが、雨の方が強く速度が間に合っていない。


「そうですね。犯罪でもきっとできてしまう」


 運転手は何が言いたいのだろうか。始めは娘の惚気のようなものだと思ったが、どうやら違う。何より運転手本人がそういった雰囲気ではなかった。ハンドルを握る両手が震えていた。


「‥‥娘さんに何かあったんですか?」


「‥‥レイプされたんです。二人の男に」


 花の口の中はカラカラに乾いていた。しかし持ってきたお茶を流し込む動作すらできないような、重たい空気が流れている。


「‥‥犯人は捕まったんですか?」


「いえ、今捜査中みたいです。‥‥つい先日のことなので」


 花は朱理の他にも被害者がいたことに怒りを覚えた。同じ犯人なのかは分からないが、あの忌々しいビデオカメラの映像が蘇った。


「‥‥こんなこと聞いてもいいのかわからないですけど、娘さんは大丈夫なんですか?」


「娘は、父親である私でさえ怖いと。精神的なものなんでしょう。‥‥男性が怖い。そう言ってます」


 生きている。その事実に花は何故か安心した。それと同時に少しの妬ましさが湧いていた。自分は性格が悪いなと、花は自嘲気味に笑った。


「私の質問はここからです。私は犯人が許せません。怒りではらわたが煮え繰り返りそうです。復讐なんて意味がないとわかってはいます。娘はそれを望んでいないでしょうし」


 望んでいない。その言葉が花の胸に響いた。


「でも、そういうことじゃないんです。悔しいんです」そして運転手は今までで一番低い声で言った、「‥‥この手で殺してやりたい」


 花は息が詰まりそうだった。共通の殺意なら白石で分かっていた。しかしこうして他人の殺意を肌で感じたのは初めてだった。寒くもないのに鳥肌がたっていく。


「‥‥私はどうしたらいいんでしょうか。これが私の質問です」


 とんでもない質問だと花は思った。この質問次第でどうということはないとは思う。しかしここでの花の一言が運転手の気持ちを動かすかもしれない。これは自分のことではないのだ。間違いなく他人である。関係ないと捨ててしまえらばどんなに楽だろうと花は思った。


「‥‥私の方からも質問をしてよろしいですか?」


 運転手は意外だったのか、少し間を空けてから頷いた。


「‥‥私には両親はいません。小さい頃に事故で亡くなりました。生きている意味なんて分からなくて、意味のない毎日を送っていました」


 運転手は何も言わずに前だけを見ている。今までこの気持ちを話したことはなかった。朱理に話し、そして先日に白石仁に話したくらいで、他の誰にも話していない。


 それでもこの暗闇が判断力を鈍らせたのか、それともこうして誰かと話すことは最後かもしれないと思っているのか、今は口がよく動いた。


「そんな時一人の親友ができました。彼女のおかげで毎日が楽しくて、この世の中も捨てたものではないなって思っていました」


 ここで初めて運転手は口を開いた、「良い友達を持ったのですね」


「でも、その友達は先日自殺をしました。‥‥原因は三人の少年によるレイプです」


 花は深呼吸をした。今この運転手は何を思っているのだろうか。一体、花にどんな言葉をかけるのだろうか。花には想像もつかなかった。


「私は犯人を殺そうと思っています。‥‥どう思いますか。これが私からの質問です」


 白石のことやビデオカメラのことなど、詳しいことは何も言わなかった。純粋に似た立場の大人の意見が聞いてみたかった。しかし、ここでもし止められたとしても花の決心は変わらないだろう。


「そうですね‥‥」そういって運転手は黙る。それにはなんの驚きや戸惑いを感じることはなかった。作り話だと思って信じていないのかもしれない。


「大人としては私は止める。たとえどんな理由があっても人を殺めることはいけないことだ」そして運転手は咳払いをした。「しかしそれはあくまで傍観者だとしたらです。今の私だったらチャンスがあるのなら、この手で直接犯人に復讐ができるのなら殺す。間違いないです」そう言って笑った。


 しかしその笑いは乾いていて、冗談を言っているようではなかった。


「でも、生きていれば何かあるかもしれない。何も殺すだけが復讐ではないかもしれない。そうは思いませんか?」


 運転手は一瞬だけ花の方を振り向き、今度は真剣な顔で言った。


「逆に運転手さんはそう思いますか?」


 さっきからお互いに質問をし続けている。何かおかしな状況だなと花は思った。


「私がもし人を殺めたら、私はスッキリするでしょう。しかし、残るのは後悔や虚無感かもしれない。ほら、よく言うじゃないか。殺したら犯人とやっていることは変わらないって」


「程のいい説得法ですよね。それって結局は我慢しろってことですよね?」


「はは。それは間違いないな」


「では私も運転手さんの質問に答えます。運転手さんは殺しちゃいけないです。運転手さんが逮捕されたら誰が娘さんを守るんですか」


 窓の外にカッパを着た老人が歩いているのが見える。結構な山の中まで入ってきたのに、こんなところにも住んでいる人がいるのだと花は驚いた。


 まさかあの老人もタクシーの中で、こんな会話が行われているなんて夢にも思わないだろう。


「君が言うならそうなんだろうな。失礼かもしれないが‥‥」ここまで言って、運転手は止めた。花は先が気になって聞いた、「失礼かもしれないが‥‥?」


「亡くなってしまった友達のことを言いたいわけじゃない。ただ、娘は生きていてくれてよかったって」運転手はため息をついた。「やっぱり失礼だ。申し訳ない」そう言って黙り込んだ。


「大丈夫です。私もそう思います」


 それから車内は静寂に包まれる。雨は次第に弱くなっていき、気がつくと止んでいた。そしてラジオの音が再び流れ出し、陽気な音楽が車内に流れ出した。このタクシーの運転手は花の言ったことを真に受けて、警察に通報するだろうか。


 今のところそんな素振りは見えない。ただ花自身話したことには後悔はしていない。こういうのはなんというのだろうか。そうか、傷の舐め合いだなと花は思った。


 GPSを見ると白石はその場にとどまっていた。もしかしてもう白石は復讐を達成してしまっているのかもしれない。しかし、こんな風に焦っていても仕方がない。花はなるべく平常心で居られるように、深く深呼吸をした。


 ーー彼の向かった目的地まではまだしばらくかかりそうだった。



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