復讐の始まり

 ーー自宅の寝室と病室。仁の生活はその往復だった。朱理が感情を失ってから二日。朱理はまだ誰とも話せなかった。カウンセラーの先生にさえもまともに会話ができず、警察の方も事件のことについては何一つ進展はなさそうだった。


 それでも、仁は朱理のそばに出来るだけ居られるようにしていた。自分の生活なんて二の次だった。朱理に話を聞いていた二人の警察官のうち、三峰はよく仁の話を聞いてくれた。


 しかし男性の方は正反対にあまり良い印象を仁は受けなかった。警察なんてそんなものだと、仁は心のそこから絶望していた。




 ーーそれから二日後、朱理は亡くなった。この日は朱理と仁の一年記念日の日だった。


 死因は自殺。病院の屋上からの飛び降りだった。この報告を聞いた途端、頭の中が真っ白になった。全身の力は抜け落ち、何をやる気にすらならなかった。朱理は仁にとっての全てだった。それくらいに大切だった。


 朱理の母親に、「あなたがちゃんと送ってくれてれば。あなたが朱理を殺したの」と言われた時、確かにそうだと思った。泣き崩れる朱理の母親の前から、仁は逃げるように去った。部屋のカーテンを閉め、布団に潜った。


 ーーその時、仁のスマホに一件のメールが届いた。


 仁はどうでもいいと思いながらも、虚ろな目でそれを開いた。それは朱理からのメールだった。そこには件名に一年記念日。と書かれていた。


『ヤッホー仁!! 驚いた? 今時メールなんて古風でしょ? メールって未来に送れるんだよ!? 凄くない!? なんて、私の照れ隠しは置いといて、好きだよ仁。私にとってこれまでの一年は夢のように過ぎてさ、人生の中で一番楽しかったよ! 本当は直接言おうと思ったんだけどね、私顔真っ赤になっちゃうから‥‥w 初めて私たちが出会った時のことを覚えていますか? 仁には言ったことなかったけど、私は出会う前から仁のことを知っていました。いつも退屈そうにしていて、でも、時折見せていた優しい笑顔を見て私は優しそうな人だなって思ってました。告白された時は本当に嬉しくて、すごい舞い上がったんだよ? 普段の感謝なんて、こうして言葉でしか伝えられないけど、これからもずっと一緒にいてほしい。私は仁のことが大好きです』


 仁は涙が止まらなかった。涙なんて、この数日間で枯れたと思っていた。それなのにどんどんと溢れてくる。胸が痛い。自分が憎い。


 どうしてちゃんと守ってやれなかったのだろう。どうしてあの時に朱理を自宅まで送らなかったのだろう。


 もう朱理には会えない。今更になってその実感が湧いてきた。仁の脳裏には自殺という二文字がよぎった。朱理のいない世界で生きても意味がない。


 その時、インターホンが鳴った。正直出るつもりはなかった。しかし思考とは裏腹に身体は勝手に動いていた。どうしてなのか分からない。誰でもいいから顔が見たかったのかもしれない。なんだかこの世界に本当に一人になった気がしたのかもしれない。


「‥‥どちら様」


 扉を開くとそこには同じクラスの女子の野田花のだはなが立っていた。彼女は朱理と同じ女子テニス部で、朱理ともよく一緒にいた。


「‥‥白石。‥‥大丈夫?」


 野田は仁の顔を心配そうに見ていた。そういえばさっきまで泣いていたから、人前に出れるような表情ではなかったかもしれない。しかし、仁にとってはそんなことはどうでも良かった。


「‥‥何の用だ?」


 いざ人と会うと仁は、今まで自分がどんな表情をしていたか分からなかった。そもそもこの野田が何しに自分の家までやってきたのかも分からない。


「朱理の家に行っても誰も出てこないし、二人とも最近休んでたから心配で。‥‥何かあったの?」


 野田は恐らく仁たちの事を心配して、善意でここまで来ているのだろう。しかし、さっきまで誰かの顔を見たかったのに、なぜか今は煩わしくて仕方なかった。朱理の身に起きた事は多分知らないのだろう。学校には説明をしているが、生徒たちには知らされていない。恐らくこんなところだろう。


「‥‥別に」


 いずれ有る事無い事噂が広まるのは明白だが、ベラベラとみんなに広まるのは嫌だ。野田に本当の事を話す必要はないと仁は思った。


「‥‥別にって表情じゃないでしょ。‥‥親はいるの?」


「‥‥いないけど」


「じゃあ入る。お邪魔します」


 そう言って、野田は仁を押しのけ部屋まで入ってきた。仁は野田の行動が全く理解できず、戸惑う。しかし、野田はそんな事もお構いなしで仁の部屋の椅子に腰をかけた。


「‥‥朱理に何かあった‥‥よね?」


 野田はさっきまでとは違い、ハッキリとした声色で言った。その様子に、彼女は何かを聞いているんじゃないかと仁は思った。


「‥‥朱理は死んだ」


 朱理の身に起きた事なんて説明したくない。朱理が亡くなった事はどうせ知る事になる。ならこれでいいと仁は思った。


「‥‥冗談だよね?」


 野田はそう言ったが仁の表情を見て、確かなものなのだと思ったのか、真剣な表情へと変わっていく。


「‥‥何があったの? 私には言えない‥‥? 先生に聞いても何も教えてもらえなかったし」


 野田は不安そうな顔で、真剣に仁を見ている。改めて考えてみると、野田は朱理と一番仲が良かった。彼女にとっても大切な友達が亡くなったのだ。仁は彼女にならやっぱり教えてもいいと思った。


 仁は朱理に起きた事をすべて話した。途中、気持ち悪くなったり言葉に詰まったりしたのに、野田は静かに聞いてくれた。仁が話し終わった後、彼女は涙を流していた。


「なんで。なんで朱理が‥‥。犯人は!? ねぇ!?」


 野田は仁の肩を掴み、取り乱しながら言った。こんな風に悲しんでくれている事が、なんでだか仁には嬉しかった。不謹慎かもしれないが、誰かに話した事で少しだけ、ほんの少しだけ楽になったのかもしれない。


「‥‥捕まってない。防犯カメラもなくて、難航してるらしい」


 野田は静かに仁を離した。それから数分間、二人は無言だった。野田とは何度か話した事はある。でも、そこにはいつも朱理がいた。別に今更気まずくもないが、野田はいい奴だと仁は思った。


 しかし、突然野田は何かを思い出したかのように言った。


「ねぇ朱理が被害に遭ったのって‥‥四日前だよね?」


 野田の問いに、仁は力なく頷いた。もう四日も経ったのか。仁はそう思った。あの日以来、仁はロクに眠れてもいないし食事もほとんど喉を通らない。どうせ自分も死ぬ。それでもいいと考えていた。天国で朱理に会える。そう思わないと心が壊れそうだった。


「‥‥私、その時間にその花の冠が落ちてた場所にいた車‥‥見たかも」


「本当か!?」


 気がつくと今度は仁の方から、野田の肩を掴んでいた。


「うん。確か黒いミニバンが止まってて、エンジンがついたままだったから覚えてる。その辺をウロウロしてて怪しいなって思ったから」


「乗ってた奴の顔は!?」


「‥‥ごめん。見てない」


 野田は申し訳なさそうな表情をしていたが、仁にとってはいい報告だった。犯人が見つかるかもしれない。それだけが仁にとっても救いだった。


「ナンバーは見てないよな‥‥?」


「‥‥それも、見てない」


 普通は止まっている車のナンバーなんて確認しない。しかし、車種だけ分かれば仁にとって十分だった。


 攫われたところ、朱理が見つかったところ、そこから仁は犯人はこの辺に住んでいる奴なのではないかと思っていた。あの山は地元の人間以外が知っているような場所ではない。


「野田。そのこと、警察とかには言わないで欲しいんだ」


「‥‥え? どうして?」


 仁は決意した。犯人をこの手で見つける。そして、この手で絶対に殺す。朱理が味わった苦しみなんて比にならないものを味あわせる。朱理の後を追うのはその後でいい。朱理が見つかったあの時から、朱理をこんな目にあわせた奴を殺してやりたかった。


「ごめん。理由は言えないけど、とにかく黙ってて欲しい」


 流石に仁自身も警察を舐めている訳ではない。目撃情報ももう入手しているかもしれない。しかし犯人が警察に捕まったところで、もしかしたら大した罪にならないかもしれない。仁は法律や裁判には詳しくないが、絶対に死刑にはならないだろう。


 そんなのは許せない。人を殺したようなものなのに、のうのうと何年後かに暮らしてるかもしれないと想像すると、仁は怒りで気が狂いそうだった。


「‥‥わかった」


 野田は静かに頷き、腫れた目のまま帰って行った。野田がいなくなった後、すぐに仁は原付にまたがった。この町にある黒いミニバンを探し回る為に。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る