悲劇
気がつくと空は明るくなりかけていた。パトカーのサイレンもあれから何度か聞こえたが、きっと朱理は見つかっていない。この未だに聞こえるサイレンがまさにそれを物語っていた。
仁はさっきまでのあんなに楽しかった日々が、とても昔のように感じていた。朱理の笑顔ばかり脳裏によぎった。仁は未だにアテもない町の中を走り回っていた。
しかし、なんの手がかりもつかめるはずはなかった。正常に働かない頭で仁は必死に考えた。あそこに花の冠が落ちていたという事は、朱理はあの道で攫われたと考えるのが一番近いかもしれない。
誘拐か、レイプか‥‥。考えたくもない。あくまでこれが杞憂であれと仁は願った。
誘拐なら近所の家か、それかもう車にでも押し込まれ遠くまで連れて行かれているに違いない。その可能性は高校生の仁では追えなかった。それは警察に任せるしかなかった。
あくまで仁はレイプのための可能性を模索する事にした。可能性なんて知らない。何かをしてなければ、いてもたってもいられなかった。
レイプに限ったって、室内で行われていたら仁にはなすすべはない。でも、この町はすぐ近くに山がある。深夜は人気が全くなく、野外だとすると可能性が全くなくはない。そう思った瞬間、既に仁はそこへ向かっていた。
この山自体。そう遠く離れた位置にあるわけではない。地元の人間なら誰もが知っている。昼間は軽登山の人々で溢れる。しかし改めてこの時間に来てみると
仁は涙を流しながら、山道を走った。この山は車で上まで行けるように、道路は整備されている。
こんな事をしても意味はないとわかっている。そう思うと、涙が止まらなかった。朱理の母親には、何かわかったら連絡をしてくださいと言ってある。未だに連絡がないのはきっとそういう事なのだ。
頂上付近の広い山道まで来た時、横の茂みに人の手のようなものが見えた。その白い肌は朱理だと仁にはすぐに分かった。
「朱理っ!!」
急いでそこへ行くと、仁はその光景に唖然とした。目が開いたまま全裸で朱理は横たわっていた。腕にはキツく縛られた痕。綺麗な白い肌は赤く腫れ、全身には泥と白い液体が付着していた。そして、頭には下着が被されていた。
「な、何があったんだよっ!? 朱理っ!?」
仁は朱理を抱きかかえ、羽織っていた上着を朱理に掛けた。しかし、朱理の瞳は仁のことを見てはいなかった。ただ呆然と前方だけを見ている。そして、何かをつぶやいていた。それが仁には聞き取れず、朱理の口元に耳を寄せる。
その言葉を聞いた途端、仁はまた涙が溢れてきた。朱理は、「‥‥許して。‥‥もう許して」とつぶやき続けていた。
ーーこの夜の間に朱理に何があったのか、それはこの姿を見たら一目瞭然だった。
仁はそれからすぐに警察に連絡した。その後で朱理の母親にも連絡を入れる。警察が駆けつけるまでの間、朱理はただぐったりとしていて、仁は到着までただずっと抱きしめることしか出来なかった。
本当はすぐにでもこの汚された朱理の身体を、洗い流してあげたかったが、昔何かで犯人の痕跡を洗い流してはいけないと見た。だから仁は警察の到着を待つことしか出来なかった。
ーーそれから二日が経過した。警察は仁が伝えた朱理が連れ去られたであろう場所から、実際に見つかった山までの防犯カメラを洗っているらしいが、犯人確保は難しいと言わざるを得なかった。その一つとして、防犯カメラの設置状況が悪いというものだった。
この田舎の町は、あまり事件が起きてこなかった。それゆえに防犯意識が住民の間で少なかったのだ。
朱理はあれからずっと病院のベッドで呆然と座っていた。時折何かを思い出すように叫び、その度に暴れた。犯人のことや、あの時起きたことを聞くことも未だできていない。
朱理を担当する警察官のうちの一人の女性、
それは朱理の精神状況を加味してのことだった。常にカウンセラーや担当の医師がつき、仁や朱理の母親も病室に足を運んだ。
仁はあれ以来学校には行っていない。朱理の身に起きたことも、公にはなっていない。
そんな今の朱理を見ていると、仁の胸の奥には犯人に対する憎悪がふつふつと湧いていた。それと共に、己の無力さも痛感していた。しかし、仁にできることは何もない。それが余計に仁には辛かった。
この日も、仁は学校へは行かずに朱理の病室を訪ねていた。何も言わない朱理の横で、仁はただ話し続けた。二人の思い出や、これからの楽しいこと、朱理の好きなアーティストの話や食べ物の話。一人で仁は話しつづけた。
それでも、ただの一度も朱理からの返答はなかった。
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