第8話 胸腔鏡手術
今回は、大腸がん肺転移、左下葉に2センチ弱のがん細胞の塊が空洞化して存在しているものを除去する手術だ。
秋に抗ガン剤を中断して、そこから呼吸器外科を受診して準備や説明があり、12月初めの手術が決まり11月終わりに入院した。
また損したなぁという記憶があるので、たぶん合ってると思う。
高額医療費制度は月をまたぐと損をするのだ。
1ヶ月単位の医療費の計算になるので、例えば合計20万円がかかった医療費が同じ月なら高額医療費となるが、月をまたぐと分散されて1ヶ月10万円ずつという計算になり控除は受けられない。
前回の入院で損をしてそれを知っていたけど、ベッドの空き状況、手術室の空き状況、先生のご都合、色んな状況があるのだからわがまま言えないのだ。
呼吸器外科のK先生チームにお世話になる事になった。K先生は外科医らしい大柄で威勢のいい明るい方で落ち込みがちの気分も救われた。手術の方法は胸腔鏡術。左下葉に転移したがんがあるため、左脇の下から背面にかけ肋骨の間を3箇所切って患部を切り取るという手術になると説明を受けた。腹腔鏡での手術の時にも言われたけれど、臓器が癒着している場合は開胸手術に切り替えるとの説明もあった。また、切った部分が完全に塞がらず空気が漏れてしまうとドレーンも抜けず入院が長期になる恐れががあるとも言われていた。
不謹慎にも、手術の心配や病状よりも、長期入院になることが一番心配だったのだ。
実は、「音楽療法」と称して、私ががんに罹ってからバンド活動をさかんに行いだした矢先だったので、この年2009年の年末にはライブもひかえていたのだ。
「もし、入院が長引けばライブに出られない」
今思うと、私がいなくても代わりの人はいっぱいいるし、バンドも私がいなくともなんの問題もなく演奏できる。しかしそれを支えに、というか、それを目標に自分を鼓舞して気合いで手術に臨んでいた気がする。
夫もバンドメンバーも待っていてくれる、それがなかったら、がんばれなかったし、回復も遅れていたかもしれないのだ。
今、こうやって書いていると、なんてお気楽なアホなんだろうとつくづく呆れる。
死ぬか生きるかの手術を前に、ライブに間に合わなかったらどうしようだなんて・・・
結果的にはそんなアホさ加減が良かったのかもしれない。
入院準備は入念に、退屈しないように仕事まで持込む事にした。過去二度の入院では病室の方々とおしゃべりできるなんて状況ではなかったので、一人の時間を楽しめるようにパソコンも持参しDVDや本も多数持込んだ。
けれど、今回の病室は明るく、患者さん皆さんで協力し励ましあっている感じだった。年齢も様々、病状も様々、手術や抗ガン剤の為に入院している決して軽度の症状でない方ばかりだけど、病室での会話は普通の井戸端会議なのだ。
この雰囲気はとても心が和んだ。
隣のベッドのIさんは乳がんからの肺転移。私と同じく抗ガン剤を経ての手術ということで静脈ポートを鎖骨付近に入れていてその事でも悩みを打ち明け合えた。年齢も近くうちと同年代の息子さんが2人いて、やはり、同じようにご主人がすごく心配していて…
私たちは家族のために絶対に元気にならないといけないよねと励まし合っていた。
前回の手術の時もそうだったけど、入院前に肺活量の検査がある。
そして入院してから手術日までは肺活量を上げるべく、トライボールというという呼吸訓練機を使ってのトレーニングを言い渡される。私は元々なのか、ヨガのおかげか、男性以上の肺活量で先生方に驚かれていたのでトライボールも苦ではなく物足りないような気がしたが、みんなトライボールの訓練は辛いし何よりも楽しくないので、サボってしまうのだ。だったらヨガの呼吸法を練習したほうがいいのにとぼんやりと思っていた。
そして、あっという間に手術日を迎え、手術そのものも順調に終わった。臓器の癒着がまったくなく、とてもやりやすかった、とK医師からも言われた。この手術の事は本当にあまり覚えていないので、苦しくなかったんだろうと思う。
前回苦しんだ硬膜外麻酔も今回はなし。普通の点滴による麻酔のみだった。
手術は夕方行われたためにその日はそのまま夫に会わず、
側にいてくれたんだろうけど、話もせずに眠ったまま朝を迎えた。
翌朝、すごく気分が悪く吐き気があるのに肺のレントゲンを撮りに行ってくださいという事で起こされ車椅子に乗せられて検査室へ向かった。呼吸器の手術だからなのか、麻酔のせいか、目の前が真っ暗になる程の目眩。吐く物もないのに胃の底から突き上げるような吐き気。そんな状況の時に夫が来てくれて、またまた心底心配をかけてしまった。
しかし、その後の回復は驚くほど早く、前回同様に早く歩いた方が回復が早いとの看護師さんの言葉を忠実に守り、病棟内を歩き回り、ベッドではヨガの呼吸法を行い、回復に努めた。
その成果か、術後2日でドレーンが抜け、ストレッチもできるようになったのだ。
予定通りに一週間で退院できることになるのだが、今回の入院で気がついた事ががんに罹る大きな要因になるんだなぁと実感したことがひとつある。
体温の低下
全くそれまで気にも留めていなかったけれど、今回の入院での毎日の検温でびっくりするほど低体温になってることに気がついた。
35度あるかないか…なのだ。
最初はびっくりして「体温計が壊れています」と看護師さんに訴えてしまったほどだ。気がつかないうちに低体温症になっていたのだ。
いつの間に?
抗ガン剤のせい?
もっと前から下がっていたのか?
あと、血管が細すぎて点滴に耐えられないということもよくわかった。
そして抗がん剤治療のために作ったCVポートは他の科が作ったものなので使えない、とのことで、結局夫に命名された「とこぶし」と呼ばれたポートはその後も全く意味をなさなかったのだ。
手術は成功し、無事年末のライブも元気に出演出来たけれど、少し不安が残り、その不安はさらに大きくなっていく事になるとは、この時、能天気な私は気づきもしなかったのだ。
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