第29話 試練

「うぅ・・・・・・・・・断っておけばよかった」


「ちょっと、それどうゆうこと?」


 夏休み初日の朝7時半から俺は宿題と向き合っていた。今やっている社会の宿題は、一学期で習った知識を駆使すれば難なく解ける問題みたいだが、どうにも俺は勉強そのものが嫌いらしい。


 正面に座る香織は昨日からしっかりとやっているそうで、既に社会の宿題は数ページも残っていない。


 真面目なのかヤバいやつなのかが分からなくなりそうだが、根は本当の本当に真面目なのだろう。


「勉強が嫌いってことだよ香織の事じゃない」


「知ってるよ〜、意地悪したかっただけ」


「宿題にも意地悪されてるんだよこっちは。もはやいじめだな」


「も〜!夏実くんがお勉強サボったからでしょ?」


 ぷんすか怒る香織に何も言えなくなった俺は、スマホを取り出して1問ずつ調べることにした。すると、真っ白だった解答欄がいつの間にか答えで埋め尽くされていた。


「こりゃすげえわ。もう終わっちまったよ」


「いや夏実くんまだ2ページしかやってないじゃん。あと28ページあるよ」


「これ答えってなかったっけ?」


「うーん、あるけどそれじゃあご褒美は無しかなぁ〜」


 両腕を胸の下に回して強調しながら人の劣情を煽ってくる。少し恥ずかしいのか顔が徐々に熱を帯び始めるが、俺の為にやっているのかと考えると嬉しいものだ。もしかしてと少し期待をして、スマホの電源を切ってバッグにしまう。


「俺の扱い方上手いな」


「な、夏実くんのお母様が言ってたからね。ああ見えて意外とちょろいからって」


「なんであの人は俺の味方してくれねえんだ」


「夏実くんが認めた相手なら誰だっていいって言ってたよ」


 まるで興味が無いような言い方だなぁと思っていたが、うちの母の事だ。こんな子に絡むのは面倒だから聞こえがいい言葉をスラスラ吐いたようにもみえる。まさか付き合うと思ってなかったのだろう。


「まあ、頑張るか・・・・・・・・・・・・」




 その後は教科書を見ながらお昼になるまで休憩一切無しで宿題を進めた。香織にも協力してもらいつつその甲斐あって、社会は全て終わった。


 一方香織は同時並行で数学の宿題に手を出しており全て終わらせていた。なぜこんなに早いのか聞くと、私は完璧だからと説得力のあることを言われて俺は黙り込んでしまった。


 だが、実際少し解いてみると俺でもギリッギリ解ける簡単?な問題が多かった。しかし、スラスラ出来るわけではないため、かなり復習をする必要がある。


「今日は、もう・・・・・・・・・やめよう」


「ふふっ、お疲れ様」


 幸せそうな顔をしながら俺の横から抱きついてくる。午前中はスキンシップを我慢させていたので暫くは彼女のおもちゃになっても致し方ない。


 だいぶ愛情表現が苦手な俺だが、きっと、自分がしたい事をすれば良いのだろう。柔らかい身体は抱き着かれているだけで心地良い。それだけで十分だな。


 きっと、彼女は最後まで求めてしまえば快く受け入れるだろう。だが俺は、自分のペースを大事にしたい。抱き着かれているだけでかなり恥ずかしいのだ。


「夏実くんが彼氏〜。でも昔とそんなに変わらないね」


「変わった方が良かったのか?」


「ううん。夏実くんはそのままが好きなの。夏実くんが私を好きなようにね」


「ありのままをさらけ出せる。まあ、そっちの方がいいのかもな」


「そうだよ。学校の私は普段の私と比べたら誰なのか分からなくなるほどだもん。でも〜、君なら全て知ってくれる。うふふっ」


 香織が俺の顔を見つめながら身を捩らせてくるがこれが中々にヤバい。


 当然ながら夏なので彼女はいつもより薄着。しかもキャミソール一枚でその下は何も着てそうにない。下も汚れ一つない白い太ももを主張させるショートパンツ。彼女がこれ程にまで露出していると、見ないという選択肢を取れるはずがない。


 誘っているのか分からないが、男が居るというのにこんな無防備な姿を見せてくる女子がいるはずもないはずだ。


 目線を香織から外そうとするとこっちを見てと言われ、まじまじと見ていると、見るなバカと熱い視線を送っているのがバレるが俺はどうすればいのだろうか。


 そして腕には、香織の柔らかな二つの甘味が形を変えて押し付けられ、何も出来ない俺は目を閉じて堪能することに決めた。


 流石に高校生のうちからは早い気がするし、健全な恋愛をしていたい。いや、そもそもそういう行為が不健全なんて誰が決めたのだろう。


 2人の男女が愛という感情をぶつけ合う。勿論愛が無くても出来ることだが、愛があるというのなら尚更良いのではないだろうか。


 形のないものを表す行為が淫らというのならば、形があることを消す行為は清淑であるという訳では無い。


 きっと、俺は知らない優しいものなのだろう。


「・・・・・・・・・夏実くん?」


 何かを考えていた俺の表情が気難しいそうだったため、自分が嫌なことをしてしまったのではないかと心配そうな表情で香織は憂いていた。


「あ、ごめん。別に嫌じゃない。香織が近くにいてくれるだけでそれでいいんだよ」


 ・・・・・・・・・俺は何を考えていたのだろう。賢者では無いのに、哲学のような変な思想を語ってしまっていた。平静を保つ為とはいえ、普通に気持ちが悪かったかな。


「分かった!夏実くんって今えっちな気分でしょ?」


 目をキラキラさせながら人差し指で頬をツンと突いてきた。そのままぐりぐりと押してきて俺で遊び始める。


「逆にそうならない奴って何なんだよ」


「・・・・・・なら襲ってよ」


「・・・・・・は?」


「襲えばいいじゃん」


 香織は体勢を変えてあぐらをかいている俺の脚の上に乗ってくる。そのまま背中に両腕を回して隙間が無くなるほど密着してくるが、俺は何も出来ずにいた。


 香織もシャワーを浴びたのであろう。ほのかにシャンプー匂いがしてきて鼻腔が刺激される。一歩間違えたら理性が緩んでしまいそう。


「私って魅力・・・ない?」


 少し涙を目に溜めて、それを必死に押し殺そうと唇を噛んでいるが俺にはバレバレだった。


 それは、彼女にとって深刻なことだろう。こんなにアピールしているはずなのに、そういうことをしたがらないと思ってしまっている。


 だとしたら俺が、もっとしっかりしなくてはいけない。


「いや、そんなことは無い。ただ、ペースがあるから・・・・・・香織とそういう事したいけど、まだ・・・ハグも慣れてないし。感情に流されるのも悪くは無いと思う・・・・・・いやでも・・・・・・」


「ほんと・・・・・・?」


「ああ。それに・・・・・・今日は備えないから流石にやばいし」


「ということは、いつかは付けないでするってこと?」


「・・・・・・かもな」


 小さな声で誤魔化す。ただ香織がこうやって密着するだけで、心が跳ね上がるように動く。昔とは違う関係のせいで内心がぐちゃぐちゃにされそうだ。


「へぇ〜。ふぅ〜ん。夏実くん、私との将来を本気で考えてるんだ」


 涙は花が開花するための水となったのか、照れながらニコッと微笑んだ顔は甘くて、少し胸が苦しくなった。


 俺はこんなに素敵な子を依存させるような形で好きにさせてしまったことを悔やみそうになった。


 どう考えたって俺なんかに釣り合うはずがない。それは、長年人と付き合わなかったせいで卑屈になっているからそう考えてしまう。


「それなりにね」


「えっ・・・・・・ほんと?」


「それなりだよ」


「そう誤魔化すってことはやっぱりそうなんだぁ」


「それなりにね」


「うゎぁ、夏実くん壊れちゃった」


「壊したの間違いだろ?さっきまでは正常に機能してた」


「今も正常に機能してるね」


「下ネタにしか聞こえないよ」


「因みに私も」


「っ?!」


「あっ!ピクって眉毛が上がったね。驚きのサインだ。昔夏実くんが教えてくれたやつ」


「まあ、誰でもわかるようなやつだけどな」


「でも普段そういうことを意識しないで生きてるから、知れたのはいい事だよ」


 意味分からないほどポジティブなのは彼女の良いところだ。


「もうお昼の時間だね。ご飯食べよっか」


 立ち上がり、俺から離れたせいで少し寂しさを覚える。


「そうだな。何食べに行く?」


「え?私が作るよ?」


「香織って料理出来たっけ?」


「うん!出来ないよ!!だけどネット見れば多分出来るはず」


「素直でよろしい」


 俺たちはキッチンへ向かい、手を洗って料理の準備をし始めた。冷蔵庫の中には様々な食材があったため、簡単なものは何でも出来そうだ。もちろん本人の腕前によるが。


「さて、とりあえず何作るか決めよっか。何か食べたいものある?」


「決めてすらないのかい」


「料理はノリと勢いとセンス!」


「センスが前の2つを無意味なものにしてくるぞ」


「うーん、オムライス作ってみようかな。意外と簡単そうだし」


「まぁご馳走になる側だし、あまり食材を使わない物がいいか・・・・・・ってどこ行くんだ?」


「夏実くん、ちょっとまってて」


 そう言って香織はキッチンから姿を消す。すぐ戻って来たが、それはあまりにも強烈に俺の脳を刺激した。


「じゃーん!!裸エ​──────」


「ちゃんと服着てこいやァァァ!!!!」


 一瞬の出来事だったが、何とか危機を回避した。


「もーっ!酷いよ!!こっちだって恥ずかしさを我慢してたのに〜!!」


「んなもん我慢しないでいいわ!!」


 廊下から不満の声が聞こえてくるが、よく考えて欲しい。昨日付き合い始めたばかりだぞ。なんでこっちはこんなに神経すり減らなきゃいけねえんだよ。


 ・・・・・・しかし、良かったなぁ。


 先程の姿に着替えて、その上からエプロンを装着した。これで一安心だ。そう、あれを知るまでは。



「ふえぇぇーーん!夏実くぅぅぅん!!!どぉすればいいかなぁぁぁぁ!!!!」


「ああ。とりあえずフライパンを置いてくれ」


 フライパンの上の溶いた卵を真っ黒に焦がしながら大粒の涙を流す香織を宥めつつ頭を抱えた。周囲は焦げ臭くなり、換気扇を最大出力で付ける。


 香織は自分で作りたかったらしく、俺は何もしなくていいと言われたので見ていることにしたが、その判断をしたことを後悔した。


 彼女は料理が全く出来なかった。それも、油を引き忘れるという初歩的なミスをするレベルだ。一体さっきの自身はどこからやってきたのだろうか。


「なんで油を使わないんだ?」


「だって油って揚げ物する時に使うものでしょ!!!それに食べ物がベチャベチャになっちゃうじゃん!!!!!」


「えー」


 フライパンにくっ付かないようにするためという理由を知らないみたいだ。それに、彼女は完璧に見えて実はドジという一面もみた。ここまで来るのに香織は卵を4つ無駄にしている。


 まず冷蔵庫から卵を出した際、香織はカーペットで滑って持っていた卵を2つ床に落とした。滑って顔を床にぶつけて泣きそうだったが、我慢していた。因みに落とした卵の掃除は俺がやった。


 しかしそれでもめげなかった。再度チャレンジし、今度は滑らずに卵を出すことに成功した。さっきのはただの不注意だったので、俺は手を出す必要性は感じなかったため様子見を継続した。


 たが、香織は俺の予想を遥かに超越してきた。卵を割る時だった。卵なんて高校生なら誰でも割れると思っていたが、そんな常識に囚われていた自分を責めたくなった。いや、香織のレベルの低さを少し疑いたくなったがやめておいた。


 キッチンの角で卵を割ろうとした香織はこう言った。


 2つ同時に割る私の秘技を見よ!!!


 と。やや不安はあったが、卵を割るだけだと自分に言い聞かせた。そして俺は後悔した。


 どう考えても卵を割る力じゃないほどの勢いで角にぶつけた。殻は粉砕し、床にぽたぽたと中身は落ちていき、香織の手は卵まみれになった。


 香織は俺と顔を見合わせ、何か言いそうになっていたが、我慢してもう一度冷蔵庫から卵を取り出していた。


 そして今に至った。




「もぉーーーー卵があァ”ァ”ァ”ァ”ァ”!!!」


 卵がゼロになったことが悲しいのか料理を失敗したのか分からないが、脚にしがみついて泣いてくる。本当に子供みたいだ。


「はいはい泣かないの。もうご飯はいいから」


「やだやだ!!!!夏実ぐん絶対私に呆れてる!!!!!!!」


「今更呆れないよ。ほら、もう片づけしようぜ?」


「でも、夏実くんのご飯は?」


「じゃあどうする?今から何か食べに行く?」


「・・・・・・・・・うん」


「素直だな」


「だぁってー!!!」


「おいおい!!俺のズボン鼻水まみれじゃないか??」


 顔から出る色々な液体が俺の服に染み込み始める。もう見てられなかった。


「わかったわかったから。とりあえず落ち着こうな?」


「・・・・・・・・・うぅ」


 何とか静かにさせて近くにあったティッシュで香織の顔を拭き始める。せっかくの美人が台無しだが、こう喚くのは珍しいためちょっと面白い。


「香織って結構ドジなんだ」


「ち、ちがうよ?調理実習の時はいつも、食材洗うの上手だねって褒められてたもん」


「そりゃすごいな。俺褒められたことなんて一度もないぞ?」


「あれ?もしかして私って凄い?」


「ああ。凄いよ」


「やったぁ!」


 色々な液体が輝いて見える程の笑顔を見せるが、どうやら俺も幻覚が見えてきてしまっているみたいだ。


 こんな一面を見れるのは俺だけの特権。昔の共同関係を思い出すが、もう違う。今は大切な人だ。


「ほら、近くのファミレス行こう?」


「分かった!着替えてくるから待っててね」


 俺が支えつつ立ち上がり、自分の部屋に駆けていく。一時はどうなるかと思ってたが、俺も香織もチョロい。


 そう考えたら、相性が良いと感じる。

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