第28話 宿題

 7月21日


 香織と特別な関係になった次の日から、朝のランニングが始まった。本当は走るつもりはなかったが、最近体力が落ちていることが体育の授業で顕著にわかったし、彼女に走ると約束してしまったので、どちらにせよこれはこれで良い。


 しかも、香織は元々優等生だったためやると決めたら本気だ。朝6時から始めるという意識の高さに驚いたし、俺がだらけた夏を過ごさないように生活も管理し始めた。


「んーっ!気持ちいいね〜」


「そうだな。朝早い事が難点すぎるけど、昼前に起きるより全然良いな」


「だから土日のお休みの日はあんなに返信が遅いんだ」


「家って素晴らしいと思わない?」


「私はお外が好きだなぁ。だって君と会えるから!」


「朝からその笑顔は眩しい」


「可愛い?」


「可愛いよ」


「へへっ、嬉しいな。こんなイケメンから賛辞を貰えない学校の女子共は皆可愛そうだよね〜」


「何言ってんだよ」


 たまに出る厄介オタクの素質を一蹴しつつ、楽しくランニングを続ける。比較的まだ涼しい朝は、軽く走るランニングにもってこいだ。


 体力はつかないが健康維持程度になればいいと思っている。


「あ、そうだ夏実くん。宿題も一緒にやる?全部分かるから教えてあげられるよ」


「え?宿題?それやらなきゃ駄目?」


「すごい嫌そうな顔してるね」


 俺のしかめっ面がポーカーフェイスを貫いたようで、まあまあと俺を宥める香織は保護者のようだった。


「でも、将来のために勉強してもいいんじゃないかな?」


「・・・・・・将来?」


「私たちの将来。子供は2人欲しいな?」


「そっちか」


「名前は私たちの名前から取って、美香みかちゃんなんでどうかな?」


「まだ高校生の俺にその話は重いです」


「一軒家でもマンションでも、君と一緒ならどっちでもいいよ」


「やめてー」


 途中から耳を塞いで現実逃避した。結婚の話は早すぎるし、しばらくはゆったりと関係を結んでいきたいと思っていたので、そんな理想から遠い事を言われたら耳が痛くなりそうだ。


「宿題は私のおうちで一緒にやります。親は仕事で夜まで居ないからね」


「えーーーーーー」


「ご褒美もあるから、ね?」


「やります」


「チョローい」


 完璧に俺の扱い方を分かっているため、ちょろいやつに見えてしまうでは無いか。それより、ご褒美ってなんだろうな。


 俺たちは30分程度のランニングをした後、家に戻ることをした。その際8時から香織の家で宿題をやる約束をしたため、しっかりとご飯を食べてと釘を打たれてしまう。


 夏休み前半に宿題を終わらせようという作戦らしい。計画的な彼女のおかげで、始業式前日にオールをせずに済みそうだ。


 そんなこんなで、俺は朝飯を食べることにした。


 両親の忙しさをそれなりに知っているため、飯くらいは出来る範囲で自分でやっている。中2辺りからそんな生活が続いていたため、なかなか様になっては来ている。


 とりあえずパンと目玉焼きを焼いて、パンの上に目玉焼きを乗せればそれで完成。なんも難しい事は無い。


「あら、夏実。今日は早いわね」


 リビングでパンを頬張っていると声をかけられる。そのまま振り返ると俺の母親である人がいた。スーツを着こなし、俺と同じ仏頂面な母親。


 山下美波やましたみなみ​​という女性だ。


「母さんか」


「まるでわたしを見飽きたような声を出さないの」


「すんません」


「いつもよりリビングの気温が低いわね。運動してきたの?」


「分かってるなら探るのを辞めなさいよ」


「頑固な夏実が朝から運動するってことは、あの子が絡んでるのね。それに、いつもの嫌そうな顔は見られない。何かに釣られたってところね」


「そういう母さんは、俺の変化にほんの少し戸惑ってる。わざわざコールドリーディングを挟む意味は無いのに」


 母は大学で教鞭を執っている。つまり学者だ。犯罪心理学を専門としている。俺は幼少期の頃から心理学に多少であるが触れておりそれを応用して、当時中学2年生だった俺は香織依存させていた。


「結論を言ってちょうだい」


 母は謎に過程に興味を示さない。学者として1秒たりとも時間を無駄にしたくないのだろうが、心理学とは過程が非常に重要だ。


 ・・・なぜ俺が熱心に語らなければいけないのか不明だ。


「孫の心配をしなく良さそうだよ」


「ぶっ飛ばしすぎよ」


「結論って言ったのは母さんだろ?」


「交際を始めたって言いなさいよ」


「過程じゃんそれ」


「さすがわたしの息子ね」


「誇らしげに言うところじゃないでしょ」


「孫を見る前にわたしは大学の合格通知が見たいわ」


「高校の通知表すら見せられないよ」


 最近少なくなっていた家族の時間。ふざけているが、それも俺と母親の分かりやすい安らぎある空間なのだ。


 因みに父親は精神科医という中々の心理学サラブレッドなのだ。生憎俺はその学問に興味が無いので、それを生かそうとは微塵も思っていないが、大学に行くのなら心理学部を目指しているのだろう。


 そっちの方が楽そうだから。


「とりあえず避妊はしなさい。わたしは学生結婚は勧める気は無いけど、夏実なら何が起きたって平気でしょう?」


「なんで行為する前提なんだよ親にだけは言われたくないって」


「それよりも、どうしてあの子と付き合う事になったの?あんなに面倒って言って嫌がってたじゃない」


「いや、なんというか。彼女には風を感じたんだ。どこへでも連れて行ってくれる。俺の知らない世界を見せてくれるって。彼女の隣は、少し甘い香りがするんだ」


「馴れ初めを聞いた感じ、なんだか可哀想ね。それにポエマーでも目指しているのかしら」


「可哀想って言うなよ・・・・・・気付かないフリをしているだけなんだからさー」


「高校に上がって過去の事件のことを流して、周囲から孤立させて依存させようとしてくるなんて、ハードな人生送ってるわね」


「本質を見抜いてくれる我が母は恐ろしいよ」


「因みに香水の香りは覚えてる?」


「オリエンタルノート」


「完全に落としに行ってる感満載ね」


「高校生が学校につけて来るにはレベル高い」


「多分それって・・・・・・」


「ああ、詩織さんのだと思う」


「その結婚大丈夫なの本当に」


 母が怪訝そうな顔をした所でこの話を止めることにした。よくよく考えて見れば・・・・・・いや、しっかり考えなくても香織がやってる事は普通にアウトである。


 香織が分かりやすくて扱いやすいので助かったのだが、そうでなければただの危険人物であった。


「でも、何かあればわたしを頼りなさい」


 母は俺の頭を撫でて、食べかけだった目玉焼き乗せパンを一口齧った後、意外と悪くないわねと言ってリビングから去っていった。


 なんて強くて頼りがいのある母親なのだろう。中学の時だってそうだ。自己嫌悪に陥りそうになった時も、自分のストレスのコントロールの仕方を教えて貰っていたせいで、そこまで大事に至らなかった。


 そしてテストで赤点を取った時には、本当に冷たい目で見てくる。敵に回すのは絶対に嫌だ。


 ほどなくして父親が起きてきてリビングにやって来た。普段無口で到底精神科医に向いていなさそうだが、そこら辺は何とか上手くやっているのだろう。


「おはよう夏実」


「おはよ」


「あの子と付き合い始めたって聞いたよ。ママから」


「父さんはどう思う?」


 父の名は、山下夏希やましたなつき。2人の名前から1文字ずつ取って俺の名前が出来たと思うと、2人は中々可愛い。


「・・・・・・個人的には止めておいた方がいいと思う。僕は夏実の意見を尊重するけどね」


「ま、言いたいことは分かるよ。父さんから見て、彼女はどんな人か分かる?」


「うーん、あの子の話し方を見た感じ他人の事を信じて無さそうだね。あの件でかなり心が壊れてしまったみたいだよ。もう昔と同じ形には戻らないから、夏実が違う形に変えた」


「精神科医は対人は強いね」


「夏実もその位はできるから、精神科医をめざしてみたらどうかな?」


「将来の事を考えられると思う?」


「まあ、勉強くらいなら教えてあげられるから、気が向いたらね」


 普段はかなり無口のはずだが、息子があの例の子と付き合ったと聞けば、心配と少しの詮索をしたくなるものだろう。


 俺は幸せものである。


「勉強は彼女に教えてもらうよ」


「偉いね。授業にも出るようになったって先生から電話もあったし」


「もっと褒めてくれ」


「あら、まだ戯れているの?」


 朝の準備を終えた母親がリビングに来て、家族が揃う。俺の近くに来て、食べかけのパンを奪っていく。


「おっと、もう出ないと遅刻しちゃうね。じゃあ行ってくるよ」


「頑張ってー」


 ただ俺の朝飯を奪取するためだけにリビングに寄ったと考えると、母は今日寝坊したみたいだな。


 父親はまったりと家を出ていく。母親も遅刻しているはずなのにのんびりと出勤している。逆に、その性格だからこそ学者になれたのかもしれないと考えると、やはり俺は母親似かも。頭は良くないけど。


 再び静寂が訪れた部屋。何もすることが無くなり、どうにも虚無感に苛まれる。まだ半分も食べていなかったのに。


 もう一度作ることを決心し、俺は席を立つ。しかし、冷蔵庫を開けてみると肝心の卵がひとつもなかったためただのトーストを食べることになった。味気ない。


 意外と大事な部分を補っていたんだ。


 全て食べきり、洗い物と朝の準備を済ませた。


 後は宿題を香織の家でやるだけだが、正直言ってしまえばやる気が起きない。元々中一から怠け者だったため、それが定着しすぎてしまった。


 高校受験だけは頑張れたが、それはあくまで知り合いがいなさそうな高校に進学するためというわけだった。


「何か目標がいるのか・・・・・・」


 高校生なんてただ遊んでいればいいと思っていたが、将来を見据えて動いておけば就職の時に有利に働くことになるだろう。


 生憎と夢なんていう志は持っていない。ただ、最近は普通の暮らしがしたいと思う。普通の暮らし、人間関係もそこそこでプライベートは自分なりに楽しめるという普通だ。


 恐らく俺の願いは叶うだろう。そう確信していられる。なぜならそうだ。


 テーブルの上にあったスマホが震える。そこには、天音香織という文字があった。


『あ、夏実くん。もうご飯食べた?もし良かったらだけど、私は食べ終わったから宿題する時間少し早める?』


「ああ、いいよ」


『おっけ〜、待ってるね。ママたちはもうお仕事行ったから、うるさくしても平気だよ』


「しねえからな」


 今は、 大丈夫だと思う。

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