第三十二章 8月31日

 岸本有馬は息子の聡一の落としたスマートフォンを片手に持ち、自宅のリビングのソファーの前に立っていた。


 ソファーに座る形で散弾銃の銃口を口の中に入れて頭を撃ち、息絶えている息子を見下ろしていた。息子の後頭部は散弾銃によって勢いよく後ろに飛び消えていたが、顔だけは何とか残っている状態だった。息子は目から涙を流していた。


 息子を自殺に見せかける状況を作ったのは自分だったが、息子の死体を見ても何も罪悪感のない自分に岸本は気が付いた。元々家族とは岸本の仕事と体面の為、人生を豊かにする為の道具でしかなかった。それが足枷になったので排除したまでの話だ。


 岸本は手に持っていたスマートフォンを確認した。息子を殺した後に息子の落としたスマートフォンの画面を見たら、高倉から連絡が入っているのを見てしまった。


 “分かりました。今から岸本さんの家に行きます”


 岸本は高倉から送信されたこのチャットの文章を見た後は思わず舌打ちをした。


 この惨状は追い詰められた息子の起こした事件だと警察に訴える予定だった。息子が一家虐殺をしようとして精神錯乱状態になり、自分を殺す前に自殺をした。そう警察に説明をする予定だった。その前に高倉が家に来てしまっては話が変わってしまう。岸本は息子が高倉に連絡を取った事を憎らしく思った。


 岸本はゴム手袋越しにスマートフォンを持ったままため息を吐き、思考をした。


 岸本は息子のスマートフォンを見ると、スマートフォンを息子の近くの床に落とした。このスマートフォンを破壊しようがチャットの履歴は送信先や会社の履歴を調べれば警察に露呈してしまう。一瞬、自殺をする人間が誰かと会おうと連絡をするわけがないと思考をしたが、精神不安定な状態で息子は混乱をしていた事にすれば問題はないと思考した。


 これから自宅に来る高倉に関しては、息子からの正当防衛をした後パニックになった拍子に、自分が高倉を誤って撃ってしまった事にしようと考えた。警察の前では精神錯乱を演じる。元々いずれは自分の人生の足枷にならないように高倉を殺す予定だった。その時期が早まっただけだ。いや、もっと早くに殺すべきだったと岸本は自分には珍しく後悔をした。


 岸本は一度リビングから出て二階の奥の部屋へ向かうと、開いたガラスケースの中から散弾銃を一丁と銃弾を取り出しリビングへ戻った。その手に持った二丁目の散弾銃を、リビングの入り口横に置いてあった棚の後ろの隙間に置いた。銃弾は棚の上に置いた。


 その後インターホンで庭の扉の鍵を開けるボタンを押すと、二階の自室へと戻りデスクのチェアに座ってデスクの後ろにある窓のレースカーテンを開け、窓の外を見た。この窓からは自宅の玄関前が見える。高倉が来るまでここで待とうと思った。


 岸本は自室の入り口付近の棚の上に置いてあるレコードプレーヤーから鳴り響くクラシックの曲を聴きながら、デスク上に置いてあった煙草とライターを手に取り、煙草を吸った。


 しばらく待たないうちに家の外に明かりを見た。岸本は窓の外を見下ろした。車はタクシーのようだ。タクシーから降りる人間を待つとしばらくしてタクシーは家の前から去って行った。


 岸本は爆音のクラシックの中、庭のインターホンが鳴るのを聞いた。岸本は吸っていた煙草をデスクの上の灰皿に押し付けると、立ち上がり一階へ向かった。


 さらにインターホンが鳴った。音の違いで今度は玄関のインターホンの音だと分かった。


 岸本はドアチェーンを付けたまま玄関の扉を開けると、一瞬驚いた。そこに居たのは高倉ではなかった。


 玄関の前には小柄な男が立っていた。この男は高倉の恋人だと分かった。何故なら以前興信所を利用し高倉の事を調べた際に知っていた。名前は忘れたが、顔写真は見ていたので覚えていた。男は気まずそうな顔をして岸本を見上げていた。


「勝手に庭に入ってすみません。あの、高倉という方がこちらに来ていませんでしょうか」男は怪訝な顔をしながら岸本を見上げて聞いてきた。岸本は自分のワイシャツに付いた血が見えないように、身体を扉で隠しながら男を見て思考をした。


 高倉は来ていないと言い、このまま男を帰宅させるべきだろうか。そうしたらこの男は何か事が起きた際に警察に自分が平常心を保っていたと伝えるかもしれない。高倉と鉢合わせをするかもしれない。岸本は面倒な物は全て排除しようと決めた。


「君は高倉さんの知り合いだね。話は聞いているよ。高倉さんは今リビングに居る。君も入るといいよ」岸本は適当に嘘を言い、一旦扉を閉めると扉のチェーンを外して再度扉を開けて男を家の中に招待した。


 男が自分のワイシャツを見るなり、目を見開いたのを岸本は見逃さなかった。


「あの、この音楽は…」男は岸本のワイシャツを見たまま聞いてきた。


「ああ、止めようと思っているんだけど機械が壊れたのかなかなか止められなくて、今電源を切ろうと思っていたところなんだよ。煩くてすまないね。外に音が漏れてしまっていたかな」岸本は嘘を付いた。


「少し聞こえました。あの、ワイシャツに血が付いてますけど」男は聞いてきた。


 岸本は自分のワイシャツを軽く見た。


「ああ、魚を捌いたら付いたんだ。失礼したね。すぐに着替える予定だったんだが」岸本は面倒に思いながらも答えた。


「靴はどこで脱げばいいでしょうか」男は玄関前を見渡しながら聞いてきた。


「ああ、うちは欧米式スタイルで靴のまま生活をしているんだ。靴のまま上がってもらって構わないよ」岸本は高倉が来る前に事を終えたく男にそう言うと、リビングに案内をした。リビングの茶色い扉の前に着くと岸本は男に手で案内をした。


「先に中にどうぞ」岸本は伝えた。


 男はこちらを一瞬見た後リビングの扉を開けた。男はリビングの中の惨状を見た後一瞬動きを止めたが、すぐに呼吸が荒くなり、口元を手で押さえてリビングの手前の床にしゃがみ込んだ。腰を抜かしたようだ。


 岸本もリビングの血まみれの惨状を見て、先程リビングの扉横の棚の後ろに隠した散弾銃を手に持った。棚の上に別途置いていた銃弾を持ち、散弾銃にセットした。


 男は震えた小さな声で何かを言ってこちらを振り向いた。小さな声はクラシックの大音量でかき消され聞き取れなかった。


「どうした?」岸本は銃弾をセットして散弾銃を軽く確認しながら聞いた。一瞬、まだこの男を殺さずに息子のせいだと演技をしようか悩み、声を出した。「これは全て息子がやった事なんだよ。私はただの正当防衛だ」


「高倉さんは、どこですか」男は震えた声で聞いてきた。


 岸本が男を見ると、男は岸本の手に持った散弾銃を見て逃げるように床に座ったまま後ろに遠ざかった。手を使って必死に移動をしていた。散弾銃がそんなに怖いのだろうかと思考をした。いや、通常なら銃口を向けられたら怖いだろう。岸本は先程自分が殺した嫁や義理の父親、息子の態度を思い出した。


「嘘を付いてすまないね。高倉はまだ来ていない。君が来た事は予想外だった。この惨状は高倉と警察にだけ見せる予定だったんだ」岸本は正直にそう言うとカチャリと銃の音を立てて撃つ姿勢を取り、銃口を男に向けた。先程の演技をする選択肢は止めた。


 最初は錯乱状態の中で謝って撃った事にしようかと考えたが、後から来る高倉も含め二人も余分に散弾銃で撃つ事を躊躇った。岸本はこの男をどうしたら良いだろうかと思考をし、高倉が来た際にこの男がリビングの手前に居て欲しくなかったので、散弾銃を向けてリビングの奥に追いやろうとした。


 男は銃口を向けられ、立ち上がり後ろに下がった。岸本が銃口を向けたまま追い掛けると、男は近くにあったアイランド型キッチンの後ろに逃げ込んだ。岸本はそれを追い掛けたが、キッチンの前で一旦止まりどうしようかと思考をした。


「そんなところに隠れてどうする?」岸本は男に聞いた。


 男が来た事により計画が狂った岸本は苛立ちを覚えたが、岸本はキッチンの上に置いてあった包丁を見て良い事を考えた。


 男を散弾銃で撃つのではなく、高倉と痴情のもつれを起こし刃物で刺された事にすれば良いと思った。


 凶器が二つある事で警察の捜査を攪乱出来るかもしれない。同性愛者の高倉とこの男と息子が三角関係にでもあった事にすればいい。息子は同性愛者ではないと思っていたが、後から何とでも言えると思考をした。


 男には留めは刺さずに最初は軽く刺して抵抗を出来なくすればいい。そうすれば後から来る高倉を脅し無抵抗状態に出来る。死亡推定時刻的にもこの男の殺人はまだ行わない方が良いと岸本は思考をした。


 岸本は手に持っていた散弾銃をキッチンの上の台に乗せると、包丁を手に持った。

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