第51話 一生記憶に残る思い出



《砂月紫陽花―視点》



「紫陽花ぁあああああッ!!」



 凄く恐くて、どうすればいいかわからなくて真っ黒な不安に圧し潰されていた私の感情が、その声を聞いて真っ白な希望へと一変した。


「紫陽花ッ!どこだ!?紫陽花ッ!紫陽花ぁあああッ!」


「有間さん! げほっ」


 私は海水を飲みながらも両手で水を搔いて、水面に顔を出し叫ぶ。


「有間さんッ! 有間さんッ! ぷはっ けほっけほっ」


 更に海水を飲んで咳き込んだ。

 でも、もっと声を出さなきゃ!

 本能的に体が動く。まだ動く片足と両手で懸命に水を押して海面に顔を出す。


「有間さんッ! 有間さんッ! ゲホッ 有間さんッ! 有間さんッ!」


 すると――。

 後ろから力強い腕に抱きかかえられた。



《有間愁斗―視点》



 俺の名前を叫ぶ紫陽花を後ろから抱きかかえた。


「よかった、……よかった、浮き輪にいなかったから背筋が凍ったよ」

「有間さん!」


 紫陽花も俺の首に抱き着いた。


「浮き輪に掴まれるか?」

「うん!」


 浮き輪を目印に泳いで来たら、先に無人で漂う浮き輪の元へ先に辿り着き、そのまま回収してきた。

 紫陽花は俺が頭から被せた浮き輪に胴を通して両腕を掛ける。


 水面から上半身を出した彼女は「はぁーはぁー」と肩で息をしている。


「大丈夫か?」

「足……吊っちゃって」

「そうか……紫陽花は動かなくいいから、力抜いて体を休めて」


 青白い顔の彼女は、必死に俺に抱き着いて放さない。よほど恐かったのだろう。


 無我夢中で駆けつけて良かった。


「私どうして急に……気付いたら、砂浜が遠くなってて」

「離岸流だよ。沖に向かって真っすぐ、しかも急激に流れる海流で、これに乗っちゃうと一気に沖に流されるんだ」

「そんなのがあるんですね……私達、どうなっちゃうんですか?」


 俺は笑って答える。


「大丈夫大丈夫!全然焦ることないよ。浮き輪もあるしね」

「そうなんですか?」

「うん、離岸流に流されたら岸に向かっても潮の流れに逆らうから帰れないけど、岸と並行に移動して、逆に岸に向う海流に乗れば浮いてるだけで帰れる。 少し浮き輪沈むね――、よっ!」

「きゃっ!」


 両手で浮き輪を海中に押し込み、反動で上半身を海面から高く持ち上げた。そして周囲の海の状況を確認する。


「ほら、あっち見てみな」


 紫陽花は俺が指差す方向を見ながら。


「何があるんですか?」

「海水の色が変化している所があるだろ?」

「あっ、ほんとだ!岸側は白い海で沖は青い……ずっと先まで続いてる」

「そうそう、あれが潮目。を描いて岸に向かってるから白い海で浮いてれば勝手に岸に戻っていくよ。あそこまで移動しちゃうね」


 浮き輪を押しながら俺はバタ足を始める。





 紫陽花を休ませるために、浮き輪にお尻を嵌めて座ってもらった。

 白い海を漂いながら彼女は言う。


「ほんとにゆっくり岸に向かってますね」

「そうだね。潮の流れが早いからそんなに時間を掛けずに戻れそうだな」

「有間さん何でそんなに詳しいんですか?」

「潮を読むのは海釣りの基本だから。俺達が今いる潮目の下には魚がたくさん集まってるんだよ」

「釣り竿持ってくれば良かったですね。ふふっ」


 岸に戻りだして安心したのか紫陽花が笑みを漏らした。


「大物が釣れたかもね」


「有間さん……」

「ん?」

「助けに来てくれてありがとうございます。私がぼーっとしてなければ……」

「いや、俺も注意してなかったしお互い様だよ。とにかく無事で良かっ――、うおっ!」


 俺達の周りに小魚の大群が発生した。

 イワシか?


「凄い数の魚ですね!」

「ああ、下が魚がで見えないな」


 すると次の瞬間、イワシの群れが散って海中に巨大な影が!


 な、なんだ……このデカさ!巨大サメか!?いや潜水艦!?


「何かいるな……」


 紫陽花も海中を覗き込む。


「な、なに!?こわい!」


 ソイツは直に海面に頭を出した。


 ブシュユユユユユユユッ!!


 俺達のすぐ横で噴水のような水飛沫が空へ飛んだ。


「ク、グジラだ!」

「大丈夫なんですか?たたた食べられちゃう……!?」

「たぶん……マッコウクジラだから大丈夫。す、凄いな、こんな間近で見れるなんて」


 呼吸をしたマッコウクジラは胸ビレや尾ビレを海面に出す。そのヒレは人と同じくらいの大きさで、コイツがデカさがよくわかる。


 紫陽花は俺に抱き着いて怯えながらも壮大な光景に驚いている。


「クジラ、初めて見ました……。凄い、大きい!物凄い迫力ですね……」


 手を伸ばせば届きそうな距離に浮いてきたから本当に大迫力だ。


「ああ、ヤバいね。流されてラッキーだったかもな。こんな光景なかなか見れないよ。ははは……」


 クジラは一頭だけだったようで何度か呼吸したら何処かへ消えてしまった。

 千葉沖ではホエールウォッチングができるが、こんな浅瀬で見れるのは稀だろう。


「はははっ、あはははは、いやー凄かった!」

「凄い体験しちゃいましたね、ふふふふ」


 俺達は二人で笑い合った。


 それから浅瀬まで流されて無事、地面に足を付けることができた。そして波打ち際をのんびり歩き車まで戻った。



 かなり遊んだし帰ることにした。

 片付けを始める前に紫陽花が砂に何か書きたいと言うので俺は一人テント畳んだりしていると、彼女に呼ばれる。


 紫陽花のところに行くと砂に文字が……。


『助けてくれてありがとうございます

 クジラ一緒に見れて嬉しかった

 愁斗さん大好き 私も愛してる♡』


 って書いてあった。


「ううぅ……もう消していいですか?」

「俺のスマホで写真撮っていい?」

「べ、別にいいですよ……」


 紫陽花は頬を真っ赤に染めてジト目で答える。か、可愛い……。


 と、その時、大きな波が来て砂に書いた文字を消してしまった。


「あああ、撮りたかったのに……」

「ふふっ、残念でしたね」


 まぁいいさ。記録には残らないけど記憶には一生残るだろう。



 帰りの車では紫陽花はぐっすり眠ってしまった。

 安心しきった顔で眠る彼女を見て、何故か俺は幸せな気分になった。


 紫陽花と付き合えて本当に良かった。







  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る