第3話 【ゲームのはじまり】揺るがぬ愛こそ彼方へ通じる道
頭上にひろがる天空が、錆色の鈍い光を帯び始めてはや数十年。
青く澄んだ高い空――その尊さに気付いたのは腰の曲がった老人たちが最初だった。
けれど老人たちには、万物を調べ異常の原因探求に費やす時間も、世界の果ての隅々まで調査する力も無かった。だから彼らは、かつての透き通る清浄な青を懐かしみ、古びた神殿の神像の前に膝を付いてひたすら祈った。
「生命を司るリュザス神よ。どうか暖かい光に満ちた世界をお戻しください」
――と。
信仰心が生命繁栄を導く力となる神リュザス。
この世界の唯一神として崇められ、世界各地の神殿に祀られる虹色の髪の美しき神。彼は、原始の時代からたびたび人前に姿を現し、水を与え、火を与え、世界の繁栄に貢献してきたと伝えられる。世界には彼を祀る神殿は数多くあり、そのいずれにも神像や絵画として共通した姿で伝えられている。
滝の様に真っ直ぐに足元まで流れ落ちる虹色の髪。憂いを帯びて伏せられた金色の双眸。ツンととがった涼やかな鼻梁。中性的で均整の取れた立ち姿。人類の理想を顕現した姿の神像に人々はひれ伏し、世界の繁栄を祈った。
けれどそれは過去の話。
今では空の本当の青さを知る老人だけが、おざなりに管理される神殿に足を運ぶだけ。時代を担う力に満ちた者たちは、より力を持つ「人」の元に跪いて身の安寧に心を砕く。その「人」は国王とも、陛下とも呼ばれ、嘗て神のみが持っていた人々の信仰を奪い去ってしまった。
栄えた人類たちは、神への賛美の祈りを止めた。宿した復活の力を以て神殿に祈りを捧げ、誰よりも強い信仰心でリュザス神を支える「聖女」すらも、私欲に満ちた人間の営みに飲まれてしまった。
今や聖女の尊き名を冠しているのは、国王の元に生まれただけの、ただの娘。神に何の思い入れもなく、権威を纏うためだけにその「聖女」を名乗るのみ。
神に力を与えるべき祝詞は捧げられず、年老いた一部の信仰深い者の祈りが、世界の片隅で儚く響くだけ。
神が力を失った世界は、再生と繁栄の力を失う。
大地や海、空は生命を育む力が衰えた。
動物も植物も、命あるものはその数を減らす。
人間も、少なくなる実りや獲物に食うに困り、過酷な世界は生まれる子の数も減らして行く。
緩やかな滅亡を辿り始めた世界――それが異世界ダンテフォール。
あなたこそが、世界を救う鍵を握る聖女。
来たれ、ダンテフォールに。力失くしつつある神リュザスの世界を救うために。揺るぎない愛こそが、彼方へ通じる道となる。さぁ、旅立とう!
『虹の彼方のダンテフォール ~堕ちる神と滅びる世界で、真実の愛が繋げる奇跡~』
【start】◀️
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「ほぎゃぁ ほぎゃぁ」
「ほゃ ぁうぁ ほぎゃぁ」
口を開いても出るのは意味を成さない音ばかりなのだ。しかも、これは赤ん坊の泣き声で――それが自分の口から出ているなんて恐怖でしかない。
しかも、周囲の景色がやけにぼやけて見える上に、拘束されているわけでもないのに身体が思うように動かせない。だから、自分が置かれている状況を把握することもままならず、玲於奈の不安は増していくばかりだ。
怖いと思っていると、その気持ちに呼応して泣き声が大きくなる。自分がどうなっているのか全く分からず、周りの状況も捉えられないなど、気がおかしくなりそうだった。
「□□□ □□□□□□ □□□□□」
恐怖に囚われ、見も世もなく泣きじゃくっていると軽やかな音が、玲於奈の頭上から響いて来た。言葉、なのかもしれない。けれど全く分からない内容に、玲於奈がキョトンと目を見開いてみれば、至近距離に優しい笑顔を浮かべた女性の顔があった。
「□□□□□ □□□□□□□□□□」
再び女性の口が動いて、意味の分からない音の羅列が発せられると、それが聞いたことのない言葉だと云うことが――玲於奈にも、なんとなく伝わった。じっと彼女を覗き込んで来る女性の表情はひたすら優し気で、微塵の害意も感じられない。だから玲於奈もようやく涙を引っ込めて、女性に自分の境遇をなんとか分かってもらうため、じっと瞳を見詰めた。そして気付いた。
女性の紫色の双眸に映る黒髪黒目の『赤ん坊』が、じっと自分を見詰めていることに。
いや違う。その赤ん坊こそが自分の姿なのだと。
「ほぎゃぁあぁあぁ ふんぎゃぁっ ふぎゃぁぁぁ」
上げた悲鳴は虚しくも、赤ん坊らしい泣き声に変換されてしまう。玲於奈は多大なるショックを受けつつも、この現実を受け入れるしかないのだった。
平民の朝は早い。
母親は日が昇る前に貴族の家の下働きに出掛け、父親は早朝や深夜の勤務もある交代制の警邏の仕事をしている。両親ともに多忙な家庭環境では、子供といえど一人前に家事をこなさなければ、生活が成り立たない。だから12歳になったレーナは、今日も朝早くから家事に取り掛かった。
玲於奈は新しい両親にレーナと名付けられたのだ。そして、成長して行くとともに、この世界の言葉を段々と理解出来るようになっていった。それはいわゆるチート能力などと云うものでもなく、単なる学習の成果だった。だから言葉の分かるようになったレーナは、隣の大声が聞き取れていないわけではない。
「なーなー、おまえ ほんとうに おばさんのうちの子なの?」
18歳の
村外れの沢へ洗濯物を修めた背負い籠と水桶を持って足早に歩を進める今も、まだ日が昇ったばかりの早朝だというのに1人の少年がくっ付いて来た。
「なーったらなー。 おまえって なんかへんだよな。 ほんとうに おばさんと、おじさんの子なの?」
「アルルク、朝から本当に元気よね。それだけ力が余ってるなら、あなたのご両親のお手伝いの一つもやればいいのに。わたしに無意味にくっついて来るより、ずーっと喜ばれるわよ」
アルルクは隣に住む織物を営む夫婦の5人兄弟の末っ子で、レーナの2つ年下の10歳だ。この世界では一般的な髪色である
「このあいだもレーナがそういった って、なにか手伝おうとはしたよー。けどさ、なにもしないのが一番のお手伝いだよって ほめられてさ。だからやるわけにはいかないのさ。くじゅうのけつだん ってやつだな」
「はぁ、ソウデスカ」
どうやら、口ばかり達者で不器用なアルルクを、体よく押し付けられたらしい。
アルルクは、同世代の子供たちと比べると一際がっちりとした骨格をしている。手指も肉厚で太く、繊細な作業と言うより力仕事向きだと思われる。このまま成長すれば警邏の仕事をするレーナの父親よりも、ずっと逞しくなるかもしれない。けれど彼の生家は織物を生業としているから、彼の逞しさは不要の長物だし、喧しさは集中力を阻害するモノにしかならない。実に残念な境遇の子だ。
「なーなー! レーナってばよぉ! レーナって!!!」
レーナが考えに耽っていると、アルルクの切羽詰まった叫び声が響き、次いでとんでもない馬鹿力で背後から襟首をひっつかまれた。そのまま馬鹿力で、ひょいと投げ飛ばされたのか、レーナの身体は空を切る感覚に包まれ、凄い勢いで周囲の景色が流れる。そして気付けば、彼女は尻餅をついてアルルクの背中を見上げていた。
「ちょ……―――」
子供のやることとは言え、さすがに乱暴すぎると声を上げようとしたレーナだったが、息を吸い込んだまま絶句する。
ぐるるるる……
濃い紫の靄を身にまとった異形が、彼女の居た場所に尖った尻尾を突き刺して、獲物を逃した悔しさもあらわに唸っていたのだ。
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