お掃除
「まずは屋敷のお掃除からですね。今日、私たちのグループが担当するのは、二階の東廊下です」
このお屋敷ではグループごとに掃除の班を決めて、一週間ごとに交代しているらしい。私はシェアンをはじめとした精鋭部隊のグループに所属し、しばらく教えを乞うことになる。過剰戦力ではないかと聞いたものの、やはり奥方となる私の対応は上層部がしたいということらしい。気を遣わなくていいのだが、そこは譲れないらしい。私を含め、メンバーは全部で四人だ。
「これからしばらくよろしくお願いします。私のことは新人のメイドだと思っていいので、この姿でいる時は気を使わないでください」
本当は、雇用主と被雇用者の関係。それでも、私は本気でメイドの仕事を頑張りたい。不必要に気を使われてはお互いにつかれてしまうし、この場で私は教えを乞う立場だ。そのことを念頭に置いて、できるだけ低い姿勢で挨拶をした。
「そうは言っても、当主の奥方ですからねえ。かすり傷一つ付けさせないように、見張っておかなきゃ」
そうお茶らけて言うのは、オリーブ色の髪をポニーテールにまとめた先輩メイド―デニス。言葉では、気を使っている風を装いつつも、私の頭をわしゃわしゃと撫でているくらい人当たりのよい人だ。
デニスにされるがままになっていると、今度はもう一人が抱き着いてきた。
「坊ちゃんの婚約者様がこんな可愛らしい方だったなんて。もっと早く知りたかったわ」
彼女はカレン。赤みがかった茶髪はカールを帯びていて、ふんわりとした印象がある。話し方も穏やかなので、抱きしめられていると思わず安らいでしまいそうになる。
せっかく引き締めた気が緩みかけていると、シェアンが声を掛けてくれた。
「二人とも。挨拶はそれくらいにして、仕事に取り掛かりますよ」
さすがはリーダーかつメイド長。シェアンの声掛けで、二人はしっかり仕事モードになった。
掃除用具の片づけ場所を教えてもらってから、掃き掃除と雑巾がけを行う。まずは掃き掃除。実家では、こっそりテルマたちの様子を見ていたので、何となくやり方は分かっていた。普通の令嬢では馴染みのない作業だが、私はそういった意味で普通ではない。教えてもらったことを難なくこなしていると、三人はとても驚いていた。
「箒の使い方から教えなきゃいけないと思っていたけど、そんなことないんだね。とっても筋がいい」
「デニスさん。私をただの令嬢と思わないでください。メイドに憧れている令嬢なんです。これくらいの作業であれば、実家にいたころにこっそり習得していました」
少し誇らしげに言ってみせると、デニスは「えらいなぁ」と言ってまた私の頭をわしわしと豪快に撫でた。何だか子供扱いされいているような気はするが、居心地はとてもいい。
「じゃあ、掃き掃除はこれくらいにして、次は雑巾がけね。バケツに水を汲みに行きましょうか」
水を汲む場所としてここから一番近いのは、廊下を進んだ一番奥にある手洗い場だ。大きなお屋敷であるだけあって、ここからの往復はかなりきつい。
「魔法で水を出しましょうか?」
「そんなことが可能なのですか?」
シェアンが驚いたように目を丸くしている。私は頷いて、バケツの前に手をかざした。すると、バケツの中が水で満たされていく。澄んだ水を目の前にして、三人はとても目を輝かせた。
この国で魔法への適性を示し、その力を発現するのは、貴族と一部の人間だけ。三人のこの反応を見るに、屋敷では使えるものがあまりいないのだろう。
「私の魔法の基本属性は、水なんです。だから掃除に関してはお役に立てるかもしれません」
水系の魔法以外も使うことが出来る。それらは全て、今まで読んだ魔法書に書いてあった魔法陣の模様や形状を記憶したものであり、魔法書に関する知識からいけば、ほとんどの魔法は網羅できていると自負している。
それらと水魔法を組み合わせれば、掃除にも生かせるかもしれないとテルマに自分を売り込んだこともあるが、彼女には当然のごとくスルーされていた。
「へぇ~! じゃあ、魔法でこの廊下全体を掃除とかできたりするのかい?」
「デニス。いくら何でもそれは難しいんじゃないの?」
楽しそうなデニスをなだめるカレン。しかし、その表情はどうみても期待に満ちていた。どうしようかとシェアンの方を見ると、彼女も思いのほか気になっている様子だったので、私はためらわず魔法を発動することにした。
「……せっかくバケツに出した水があるし、それを使おうかしら」
目の前に広がる廊下に両手をかざし、イメージを作ったあと、右下においてあるバケツに向かって軽く握った右手を振る。するとその動きに合わせてバケツの水が巻き上げられ、空中でパッと細かな水滴に変化する。その間に、風魔法を応用した魔法陣を展開させると、生じた水の粒が、廊下の奥まで広がっていく。
あっという間に、廊下全体が輝きを増した。
「……すごいや」
「「……ええ」」
すっかり綺麗になった廊下。三人は呆気にとられていた。とりあえず、魔法が上手くいったことに安堵したものの、これはさすがにやりすぎたかもしれない。というか、これでは修業の意味がない。
「きれいにはなったみたいですね。でもこれじゃあ、修業になりませんし、奥の手洗い場を確認してみてもいいですか? ね? そうしましょう? シェアン」
「……あ、ああ、そうですね。これはすごいですが、緊急事態の時に頼ませていただくことにしましょう」
明日は真面目に雑巾がけをする。そのためにも、普段汲みに行く手洗い場を見ることは必要だ。
廊下を進んでいき、奥の手洗い場を確認する。蛇口が古くなっており、開けるのにコツがいるようだったので、確認に来て正解だったと感じた。
予定よりも仕事が早く終わってしまったので、どうしようかと話していると、少し経路の異なった渡り廊下が目に入る。
「デニスさん。この先ってもしかして……」
「ああ。研究所につながってるんだ。まあ、研究所って言っても、今は工場みたいなもんだけどね」
やはり渡り廊下は研究施設へとつながっているらしい。王国の頭脳ともよばれるホワード家所有の研究施設。なんだか緊張感があるが、デニスの言い方には少し引っかかるところがあった。
「工場? それはどう意味ですか?」
「先代がいたころは、新規の開発事業が活発でね。新しい魔法技術やポーションなんかの薬の開発が盛んだったんだ。けど、先代が亡くなってから、新しい開発はからきしで。先代が開発した商品の大量生産が主な事業になっているのさ」
「……そういうことだったんですね」
ここにきてようやく財政難のわけが見えてきた。本来、研究所の存在目的は新技術・製品の開発。それなのに、開発事業が滞っている現状。当然ながら、開発された製品を製造する工場は王国中にあるわけなので、製造による利益は分散してしまうのだ。
オリヴァー様が研究所にばかり資金を回すのも仕方ないのかもしれない。恐らく、昨日のシェアンの言葉もそういう考えによるものなのだろう。
少しの沈黙が場を支配していると、突然、名前を呼ぶ声がした。
「アリシア様!」
見ると、イナが駆け寄ってきていた。急いで走ってきたようで、彼女は肩で息をしたままへたり込む。一旦落ち着くようなだめると、彼女はそれではだめだという風に首をふり、こちらをしっかりと見つめた。
「旦那様がお呼びです。今すぐお部屋に来るようにと」
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