メイド修行1日目

 次の日の朝早く、私はシェアンと共に屋敷のエントランスホールに向かっていた。これから、待ちに待ったメイド修行の一日目が始まるのだ。

 使用人たちは毎朝、集まって朝礼のようなものを行っている。今朝はそこで私を紹介してもらえるらしい。


「アリシア様。メイド服、すごく似合っていらっしゃいますね」


 クラシカルなメイド服。黒のワンピースに品のある真白なエプロン。どちらにもホワード家の家紋が美しく刺繍されている。憧れのメイド服に袖を通した感覚は最高な気分だ。


「ありがとう。シェアン。この髪の毛のセットもいいでしょう? イナがやってくれたのよ」


「はい。アリシア様にぴったりです。あとで褒めてあげないとですね」


 昨日倒れてしまったイナはしっかり休養を取ったことで、今朝は顔色もだいぶ良くなっていた。今日は大事を取って朝礼は欠席だが、何もしないのは落ち着かないと言って、私の髪をふんわりとした団子に結ってくれたほどだ。


 メイドになるというのだから、自分のことは自分でするべきなのだが、それではイナの仕事が奪われてしまうからと止められてしまった。


「ねえ、シェアン。一つ聞きたいことがあるのだけれど……」


 聞きたいのはもちろん、昨日見たオリヴァー様のお部屋に関することだ。昨日は、あのあと何となくすべての配列を整える前に魔法を中断してしまった。もし本当にあの部屋にオリヴァー様がおられないのなら、何かの事件の可能性もある。いますぐにでもシェアンに報告すべきだろう。だが早とちりしてはいけない。まずはシェアンにそれとなく尋ねてみようと思ったのだが、それは思わぬ形で遮ぎられてしまう。


「あ!お前、何してんだ⁉」


 エントランスホールに集まっていた集団のなかに見覚えのある銀髪の青年がいる。


「ギル?」


「お前、そんなコスプレしていったいなんのつもり……。ってか、昨日のことについて説明してほしいことがたくさんあんだよ……!」


 実は昨日、部屋の様子がおかしいことに気づいた私は、隣で何か言っているギルを放ったまま自室に戻ってしまったのだ。考え事をしていたのと、何だか嫌な記憶を思い出したせいで、かなりぼんやりしていたのだ。彼にとっては、目の前で突然魔法を放たれ、何の説明もないまま放置されたことになる。聞きたいことがあるのもうなづける。


 しかし、ここにはシェアンをはじめとした他の使用人がいる。昨日、無理に当主の部屋を覗いたことなど知られるわけにはいかない。


 焦った私が、ギルの話を遮ろうとしたものの、その必要はなかった。


「ギル! 奥様に向かってその態度はいったいなんです? 服装もだれていますし、もっとしっかりなさい!」


 シェアンがギルを叱りつけたのだ。いつものふんわり優しいシェアンはどこへ行ったのかと思うほど、別人の様相である。ギルのシャツのボタンは一番上まで留め直され、ロールアップしたズボンの裾は元に戻されていく。シェアンに叱られたギルはしゅんとなって、飼い主に怒られた子犬のようになってしまった。


 その後、すぐに朝礼が始まった。集められた使用人たちの前に出ているのは、メイド長であるシェアンと、執事長ウィルフレッド。通称ウィル。ウィルは白髪の男性で、シェアンより少し年配の執事だ。優し気な表情だが、背筋はピンと伸びており、高貴な佇まい。彼の下にいるギルが不思議なほどによき手本である。


「今日は、皆に紹介したい方がいらっしゃる」


 ウィルに目配せされた私が前に進み出ると、昨日挨拶をした使用人たちはすぐにかしこまった表情になった。


「昨日よりこのお屋敷に嫁いでまいりました。アリシア・イグレシアスと申します」


 まだオリヴァー様にも挨拶していないため、何だか不思議な感じがする。焦って、シェアンの方を見ると、彼女は優しく微笑んでくれた。落ち着いて、再度口を開こうとすると、案の定、小さなざわめきが上がっていた。


「奥様となられるお方がなぜここに?」

「どうして、メイド服を着ておられるのだ?」


 当然の疑問だ。そのことについて説明をしようと思うのだが、この状況では何だか話づらい。苦笑いを浮かべていると、パンッと乾いた音が響いた。どうやら、ギルが手を叩いたらしい。静粛にしろと言わんばかりの表情を浮かべた彼のおかげで、ささやき声は止んでくれたようだった。小さく深呼吸してから、向き直る。

 

「昨日、このお屋敷の使用人たちの労働状況を聞かせて頂きました。どうやら少数の人手で毎日一生懸命に働いてくださっているそうですね。中には倒れている方もいらっしゃるということも聞いています」


 昨日のイナをはじめ、このお屋敷では度々使用人が倒れている。現状はとても劣悪。この状況に私は一切からんでいないものの、今、目の前にいる使用人らにも少なからず疲れが見受けられ、何だか申し訳ない気持ちになってしまう。


「そこで私は、そんな皆さんの力になりたいと思い、微力ではありますがメイドの仕事に参加したいと考えました。しばらくは修行を積み、いずれは皆さんの助けになれればと思っています」


 そう口にすると、急に目の前の使用人たちの目の色が変わったように見える。その様子に、私は思わず自分エプロンの端をぎゅっと握りしめた。


 メイド修業はシェアンやウィルには同意を得ている。それでも、一つ懸念があることを聞いていた。

 今の状況が苦しいことは事実。それでも、皆それぞれに使用人としてのプライドがある。貴族の令嬢に出来るわけがない、舐めているのかと感じてしまう者もいるかもしれないということだ。

 そんなこともすべて覚悟を決めていたつもりだったのに、今になって怖くなってしまった。


 目の前の集団と目を合わせられなくなったその時、一つのヤジが飛んできた。


「温室育ちのあまちゃんに務まるような仕事じゃねーよ」


 昨日から聞いているどこか不機嫌な声。発言者は、ギルだった。彼もまた、使用人の一人。やはり、それを生業としている人に言わせれば、私の行動はただのお遊びにみえるのかもしれない。思わず目を伏せると、ギルは再び声を上げた。


「しっかり修業して、ちゃんとできるって証明してみせろよ?」


 はっとなって目を上げると、彼は目をそらしてしまった。ギルの言葉遣いにシェアンはもう一度注意をしていたが、その間、列の一番前にいた使用人たちからは、「ありがとう。応援しております」優しい言葉をもらうことが出来た。

 もしかしたら、否定的な発言を先導して言うことで、他の人の中の鬱々とした気持ちを払拭しようとしてくれたのかもしれない。


 ギルのおかげもあって、朝礼は無事に終わり、解散となった。改めてここから本格的なメイド修業が幕を開けることになる。私は一段と気を引き締めた。


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