ガードの固い旦那様

 私の気持ちを察したのか、シェアンはしぶしぶ部屋に案内してくれた。部屋に着くまでの間、彼女は私にオリヴァー様のお話をしてくれた。

 

 どうやらオリヴァー様は、幼い頃から度々部屋に閉じこもることがあったという。そういう時は、決まって研究に没頭しているそうで、その間は誰も部屋に近づけさせないようになさるとか。私との顔合わせがなくなっていたのも、運悪くそんな状況と重なってしまっていたかららしい。


 そんなわけで、オリヴァー様は決して私を嫌っているわけではないらしい。そうは言っても、オリヴァー様のおかげであらぬ噂が立った事実は変わらないし、本当のところ彼が私を良く思っているかは定かでない。ただ、シェアンが必死で訴えてくれたので、私の感情は部屋に着くころには落ち着きを取り戻していた。


「アリシア様、こちらです」


 オリヴァー様の自室は屋敷の三階の奥にある。ただ、当主の部屋だからと言って、格別豪華な様子はなく、シックで落ち着いた扉が構えていた。この中にオリヴァー様がいらっしゃる。先ほどのようないらだちはもうないが、扉の外からでも挨拶はしなければならないだろう。


 しかし、大きく深呼吸してから、ノックをしようしたその瞬間―


 >バチンッ


「……⁉」


 衝撃と共に、目の前に薄水色の魔法陣が出現した。ビリビリと電気を纏っているそれは、きっと部屋に侵入することを阻止するシールドのようなものだろう。


 おそらくこれは、オリヴァー様の魔法だ。外からの影響を受けないよう、魔法で徹底的に遮断している。シェアンによれば、魔法・物理的干渉も一切効かないほど、強固なのだという。試しに中の様子を確認しようと、透視のための魔法を発動させてみたが、簡単にはじかれてしまった。どうやら外から影響を与えるわけではない魔法も、その効果を消失させられてしまうらしい。


 とはいえ、そんな一見完璧そうに見える魔法にもどこかほころびがあるかもしれない。色々なアプローチが試せそうだと思い、策を膨らませてみていると、何だかわくわくしている自分がいた。


「……面白いわ」


 先ほど玄関先で見た魔法といい、今回のオリヴァー様の魔法といい、今まで見たことのない未知の魔法。これはきっと国の頭脳とも言わしめるホワード家だからこそ見られるもの。思わずつぶやくと、シェアンがぽかんとした顔でこちらを見てきた。


「面白い、ですか?」


「あ、えっと。こんな魔法初めて見たからつい……」


 昔から魔法は好きだった。魔法が上達するたびにお父様が褒めてくれるのが嬉しかったのもあるけれど、それ以前に魔法というものにとても興味が引かれていた。実家にある魔法に関する書物はすべて読んでしまっていたから、未知の魔法に出合ったことに喜んでいる自分がいる。


 ただ、シェアン達使用人は、みなこの魔法に悩まされているのだ。そんな彼女の前で、私が楽しんでしまっていてはいけない。


「やはり、今はお会いできそうにありませんね。気が引けますが、挨拶はまた今度にします」


 オリヴァー様の鋼鉄の布陣を崩す計画はまた後にしよう。そう思いながら、私はシェアンと共に部屋を後にした。


 その後は、シェアンが私の部屋へ案内してくれた。


「ここが、アリシア様のお部屋になります」


 案内された自室はとても感じのいい部屋だった。全体的に暖色系の色合いでありながら、シックにまとめられており、屋敷全体の内装とも調和がとれている。ふかふかのソファに腰を下ろすと、旅の疲れをどっと感じた。


「オリヴァー様とお会いできない間、私は何をしたらいいのかしら。当主と挨拶もしていないのに、お屋敷に居座るなんてやっぱり気が引けるわね」


「別にアリシア様の好きなことをなさってよろしいのですよ? アリシア様はもうホワード家の一員なのですから。ぜひ、くつろいでくださいませ」


「……好きなこと」


 好きなことをしていい―それは実家でも良く言われていたことだ。自分の部屋の出窓に腰かけて、ぼんやりと外を眺めていると、いつも、部屋の掃除をしていたテルマが話しかけてきた。そんな風につまらない顔をしているくらいなら、何か好きなことをやった方がいいですよ、と。


 そういう時、私はいつも適当な返事をしてから、うっすらと窓に反射するテルマの作業をこっそりと観察する。テルマのてきぱきとした無駄のない動きによって、部屋がきれいになっていく様子は見ていてとても清々しい。魔法を使っていないのにも関わらず、それは魔法のように美しかった。私はそんなテルマにどうしようもなく憧れていたのだ。


 三歳の頃、お父様を寝込ませてしまった時から、その夢は何となく口にすることが出来なくなった。それでも、今こうして思い出してしまうほどに、私が好きなこと、やりたいことは変わっていないのだ。掃除や洗濯、ベッドメイク、給仕。普通の令嬢なら興味を示さないものこそ、まさしく私のやりたいことであり、極めたいことである。


 そう改めて自覚すると同時に、とある考えが浮かんだ。ここはホワード家でイグレシアス家ではない。私が『好きなこと』をして悲しむ人は誰もいない。


「好きなことって、何でもいいの?」


 私がそうつぶやくと、シェアンはきょとんとした顔で言った。


「ええ。坊ちゃんも、アリシア様の好きにさせるようおっしゃっていましたから。それに、アリシア様はこの家で当主に続いて強い権限を持っていらっしゃるのです。私どもがお咎めすることなどできません」


「じゃあ、私……」


 私の好きなこと。やりたいこと。それは、現在、私が身を置いているホワード家の現状に上手くはまるような気がする。本心を口にするのは久しぶりだ。ずっと知らぬ間にしまい込んでいた思いを打ち明ける。それはとても高揚感を覚えるものであり、なおかつ緊張で胸が苦しくなるものだった。


「私、メイドの修業がしたい」


 私の突然の申し入れに、シェアンは紅茶を淹れようと手にしていたティーポットを持ち上げたまま、しばらく固まってしまった。

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