シェアンとイナ
「失礼します」
先ほどのフクロウは、やはり屋敷のセキュリティー担当のようで、中にまでは入ってこなかった。大きなお屋敷に、またしても一人きりになったことで心細さが舞い戻る。しかし、今度は明かりが灯っているからか、先ほどよりは恐怖心が和らいでいた。
玄関扉をくぐってすぐの広間には大きな階段があり、二階まで吹き抜けている。開放感のある立派な内装だった。外から見た時は外壁までもボロボロだったが、中はそうでもないようだ。歴史ある洋館。そこにはさきほどのおぞましさはない。ただ、とある違和感だけが付きまとっている。
「お屋敷の中にも、人がいない……」
辺りを見回しても、使用人らしき姿はない。案内がなければ、どこに行けばいいのかわからない。屋敷に入ってすぐのところで立ち尽くしていると、背後でドンッと音がした。思わず身体が縮み上がる。どうやら玄関の扉が閉まったらしい。私を通し終わったので、再びセキュリティーを強化するのだろう。
とりあえず、人を探さないといけない。だが、輿入れしたとはいえ、私はまだ挨拶前の身であり、結婚の儀式もまだである。ホワード家の一員とは言えない。そんな私が案内なしにうろついては、ただの不審者に映る。
「こういう時こそ魔法の出番、かしら……」
軽く握った右手を振りかざす。すると、足元に、細かな光の粒をまとった可愛らしい子犬が現れた。真っ白で、ふわふわとした毛玉のような愛らしい姿。心細さを紛らわすため、もふもふして可愛がりたいところだけれど、今はそんな場合ではない。
「私と同じ、『人』の気配を教えてほしいの」
子犬は私の手のにおいをかいだ後、鼻を上に突きだして周りのにおいをかぎ始めた。すると途中で何かを感じ取ったかのように、子犬の動きが止まった。
「近くにいるのね?」
子犬が広間の階段を駆け上がる。恐らくこの先に人の気配があるのだ。私も慌てて追いかける。しかし、手に持った荷物は、案外走るのには重く、思わず息が上がってしまった。こんなことなら、荷物は魔法で無重力化しておけばよかった。そんな風に考えながら階段を駆け上がると、子犬のしっぽがふわふわと左右にゆれているのが見える。おそらく何かを見つけたのだろう。
確認しようとさらに近づいて、私は目を見開いた。
「……⁉」
一人のメイドがうつぶせに倒れていた。結っていたであろうこげ茶の髪が乱れている。一瞬心臓が止まりかけたが、駆け寄ってみると、ちゃんと息があったのでひとまず冷静になる。心配そうにメイドの手を舐めている子犬の頭を撫でてやり、魔法を解くと、私はメイドに向き直った。
体を抱き起すと、メイドの目の下には濃い隈が刻まれていた。寝不足、そして、少しばかり熱っぽいような気もする。何かにうなされているかのような表情をしていた。
「大丈夫ですか? 私の声、聞こえますか?」
呼びかけるとメイドは、うっすらと目を開けてつぶやいた。
「……申し訳ありません。申し訳ありません。旦那様……」
そう言って、メイドはまた意識を手放してしまう。人に出会えたはいいものの、勝手がわからないお屋敷で体調不良者と共にいる状態。どんどん事態が悪化している。どうしようかと思っていると、近くで声がした。
「まあ、大変。また倒れちゃったのね」
駆け寄ってきたのは一人のメイド。幾らか年配のようで、しっかりとした頼れる印象を受ける。シルバーグレーの髪に、優し気な目元。きっと彼女は倒れているメイドより歴のある先輩メイドなのだろう。私はすっかり安堵してしまった。
「とりあえず、仮眠室に運びましょうか」
倒れていたメイドをベットに寝かせ、顔の汗を拭う。濡れた柔らかな布巾を額にのせ、先輩メイドはてきぱきと看病し始めた。その手際の良さは、テルマの手つきのようで、何だか見とれてしまう。
「……やっぱり、かっこいい……」
思わずつぶやくと、先輩メイドは不思議そうにこちらを見てから、柔らかにほほ笑む。そうして一通りの作業を終えると、彼女は改まって私に向き直った。
「それでは改めて。先ほどは失礼いたしました、アリシア様。この様子では、お出迎えもままならなかったようですね」
「私に気づいて……?」
突如呼ばれた自分の名前に驚く。
「もちろんです。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。私はこのお屋敷のメイド長を務めております。シェアンと申します。こちらは、アリシア様の専属メイド、イナ。彼女がお出迎えする予定だったものですから、一緒におられるのはきっと坊ちゃんの婚約者様だとすぐに察しがついたのですよ」
シェアンは、そう言って長旅を経た私をねぎらってくれた。このお屋敷についてから初めての暖かい環境に包まれて、何だかほっとしてしまう。
「イナはこの通りなので、後で私が代わりに自室までご案内しますね」
ベットに横たわるイナは、先ほどよりは血色を取り戻したものの、まだまだ青い顔をしている。不健康なまでに刻み込まれた隈と、先ほど聞いた不穏なつぶやきのこともあって、心配はまだまだ消えそうにない。
「人手、足りていないの?」
「ええ。恥ずかしながら。うまいこと分担しているつもりなのですが、それでもこのように倒れる者が出てしまうほどに」
やはり財政が厳しいというのは本当らしい。でも、王国の研究機関を持っているため、国から資金が降りていると聞いたことがある。屋敷の管理も内装は問題ないようだし、人員を減らさなければいけないほどに困窮しているわけじゃないはず。
しばらく考え込んでいると、シェアンが私の考えを感じ取ったのか、いくらか説明を補足してくれた。
「国からの資金はすべて研究所の費用にあてられているので、こちらのお屋敷にはあまり活用されていません。この屋敷には必要最低限の資金しか回すつもりはないというのが当主のお考えでして」
「最低限……」
人が倒れる事態を前にして、これが必要最低限と言っていいのだろうか。オリヴァー様の人物像がだんだんと恐ろしくなってくる。思わず顔を歪めると、シェアンは少し寂しそうな顔で言った。
「坊ちゃんはただ、一生懸命なんですよ。そのせいで少し周りが見えずらくなっているだけで」
嫁いできたばかりの娘が、何も知らずにずけずけ聞いてはいけないのかもしれない。シェアンの表情を見て、少しだけそう思う。何か話題を変えようと画策していると、私は大事なことを思い出した。
「そういえば、私、オリヴァー様にご挨拶しないと。自室に向かう前にお会いすることはできますか?」
屋敷についたからには、一番に挨拶しなければならないのは、当主であるオリヴァー様。イナのことで少々ごたついていたこともあって、すっかり失念していたが、失礼のないように挨拶は済ませておかなければならない。そう思ったものの、シェアンの表情は明るくなかった。
「すみません。アリシア様。今日はお会いになれません」
「えっと……、それはどういうこと?」
「今朝から急に部屋に閉じこもってしまわれたんです。先ほども説得に参りましたが、それもむなしく……」
つまり、私と会うのを拒否なさっているということなんだろう。そう思った時、私は何だか懐かしい感じがした。それは、オリヴァー様との婚約が決まってからしばらく両親たちが試行錯誤していた顔合わせの機会のことだ。
オリヴァー様との顔合わせの日の朝。決まって届く欠席の知らせを受け取ると、私は何だか複雑な気持ちになっていた。初めの方は寂しいような、少しばかり楽しみにしていた自分を惨めに思うような、全体的に沈んだ気持ち。そんな気持ちもいつしか無に帰していき、だんだんといらだちに変わっていった。
ふつふつと沸き起こる感情を笑みに変え、私は立ち上がって言った。
「シェアン、オリヴァー様のお部屋に案内してもらえる? 私、一言申し上げないと気がすみません」
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