青とかける空

めぐむ

第一章

第1話

 縫う風と青空が心地良く身体を包む。

 フリューに乗って進む空道は、思うままだ。危険走行は咎められるし、罰金刑もある。ただし、走行についての規則事項は少ない。建物からの距離は最低でも一メートル以上とされているが、それも上空へ高度を上げてしまえば問題はなかった。

 もちろん、高度にも限度はあるし、危険走行事項に引っ掛かる恐れもあるが。それさえ気をつけていれば、自由自在に天を翔られる空島には欠かせない乗り物だ。

 俺はそれを操って、今日も呑気に散歩をしていた。

 建物の距離感が十分に取られた島中を、縫うように飛んでいく。散歩が好きと言うよりも、フリューに乗って風を切ることが好きだった。気持ちが良い。

 まだ高校生の俺は、この学園島から別の島にフリューで移動することは叶わない。高校卒業時に、島同士を移動する免許を取得してからでなければ、公共の空船を使わなければならなかった。

 空島では、各施設が各島に集められている。学園島とは、読んで字の如く、学生が住んでいる島。学園寮やショッピングモールまでもが建築されている学園都市だ。学園そのものの施設、学園寮、ショッピングモールの三つの島が橋で結ばれている。

 その橋の上を走る分には、許可が下りていた。利便性のための橋であるので、そうでなければ建築の理由がない。五メートル以上は優にある広いものだ。多くの学生が移動しても問題のない空間は、走りやすくてとても気持ちが良い。

 橋を渡るのは楽しかった。だからと言って、そこばかりをうろついていれば不審者だ。

 島の噂は風より早く広まる。広大な島であったり、高級住宅地になれば状況は変わるらしい。しかし、学園島と噂なんてものは最強のタッグだ。悪目立ちすれば、噂は瞬く間に回るだろう。同時に、なんてことのない噂は一瞬で立ち消えもするだろうが。

 一人の生徒が橋をよく走っているなんてのは、色褪せるのが確約されているようなものだ。それでも、標的にはならないに限る。だからと言って、ビクビクするつもりはないので、散歩コースに橋を加えているが。

 それを回遊して、学園のグラウンドを眺める。俺たち一年生は、まだ部活には入っていない。活動的な運動部は先輩たちだろう。

 フリューに乗って行うスポーツは、一般的に行われるスポーツよりも人口が少ない。フリューを操作しながらのスポーツは、かなりの運動神経を必要とする。フリューに乗るのが好きな俺でも苦労するくらいだ。

 幼なじみは持ち前のミラクル運動神経で、抜群にこなしていたが。今、グラウンドで悪戦苦闘している幾人かの部員よりも上手い。ひどい話だが、一般のスポーツと比べても才能がいるのだろう。大変そうなそれを横目に、俺はごくごく一般人らしくフリューを運転していた。

 風の塊が背中にぶつかってくる。実際には、そこまで強いものではない。しかし、フリューで人とすれ違うとはそういうものだ。

 そうして後方から近付いてきたフリューが、滑らかに隣に並ぶ。


翔大しょうた

「急停止は危険走行だぞ、明莉あかり

「鈍行も危険走行だよ」

「そこまでちんたらしてないだろ。明莉は自分の運動神経に身を任せ過ぎなんだよ」


 昔から、積木明莉つみきあかりはずっとそうだ。栗毛の髪をたなびかせながら、やんちゃをしていた。生傷の絶えない日々を送っていたものだ。それは高校生になっても、さほど変わっていない。

 ウェーブがかった栗毛のボブカットに黒いピアス、レースのついたワンピース丈のトップスにショートパンツを合わせた格好は、お転婆な子どもというよりもお洒落な女子高生だ。それでも子どものようなことをしているのだから、変わらない。


「無理してるわけじゃないもん」


 けろりとした顔で言う明莉には、本当にそんなつもりはないのだろう。けろりとした顔で宙返りなどをしでかすような子だ。

 どこからを無理と定義づけているのか。基準がズレている。俺よりも際どいところにあった。俺は身を以てそれを知っている。これ以上無駄な論争をするつもりもなく、俺はいくらかスピードを上げた。

 明莉は何の難もなく、すらりと横をついてくる。ターボで飛んでいるフリューは、スピード制御が難しい。急激であれば、平衡感覚を揺らすものもいる。明莉にその様子は微塵もなかった。


「どうしたんだ?」


 明莉もフリューに乗るのは好きだろう。運動も好きだ。だが、こうしてわけもなく散歩をするような質ではない。目的を持って動く。用もないのに休日に学校島へやってくるとは思えない。


「遊びに行く待ち合わせしてるの」

「わざわざ、こっちで?」

「もう部活を決めたんだってさ。早いけど体験入部って形で参加してるみたいだから」

「なるほど。じゃ、俺は寮に戻るから」

「うん、またね~」


 また、の具体性はない。幼なじみで過ごしてきた日々の弊害だろう。意識せずとも、顔を合わせる明日はまたやってくるものだった。

 それは、高校生になってもそう変わりがない。とはいえ、寮生活は距離ができるものだった。

 今まではマンションの隣室だったのだから、学生寮の部屋は遠ざかっている。さりとて、関係が引き剥がされるものでもない。幼なじみの関係は脈々と続いている。

 べったりとしたものではなかった。適度な距離感が、俺と明莉の幼なじみとしての在り方だ。それが心地良いからこそ、関係は続いているのかもしれない。

 明莉がアクティブで、あちこちに顔を出す性格なのも災いしているだろう。良い距離感を保ち続けられていた。

 同じくらい、明莉の好奇心に振り回されることもある。男女関係なく辺りを駆け回るような小さいときは特に、遠出をして怒られたり、森の中で遊びほうけて怒られたり……とにかく、面倒なことに巻き込まれて怒られてきた。

 ろくなことがないな? 子分か何かと思われているのではなかろうか。

 そんなふうに思うことはままあるが、奔放に生きているのが明莉なのでしょうがないと諦めている。俺が諦めているから、輪をかけて増長するのかもしれない。

 だが、今更関係を揺り戻すのも面倒だし、俺はこの間合いを気に入っていた。振り回すのは抑制して欲しくはあるが、だからこそ体験できた馬鹿みたいなこともたくさんある。

 遠出して迷子になったことも、森で怪我して大騒ぎしたことも、幼いころの冒険として思い出になっていた。だから、すべてを迷惑の箱に入れているわけではない。明るいのは明莉のいいところだ。

 俺の仲の良い数少ない友人だった。他の友人は他校に進学したので、現在の友人は明莉だけに等しくなっているが。挨拶を交わすくらいのクラスメイトはいる。学園島をうろうろしていれば、顔見知りとすれ違うくらいにはいた。

 寮はマンションを何棟も建てる形で運用されているが、新学年はほとんどまとまって入寮するので、自分の棟の周りでは知っている顔を見かける。だからこそ、俺も不用意な行動を取りたくないという発想が出てくるのだ。

 今日も、明莉と別れて寮島に戻ってくる途中に、クラスメイトの姿を見かけた。

 月岡つきおかさんだ。

 月岡さんは、薄い茶髪というのか、黄土色というのか、色素の薄い髪色をしている。紺碧の瞳には、出身だという海を閉じ込めているのかもしれない。

 この世界には、俺たちが住む空島と海島がある。海島というのは、本来は島と呼ばれていたものらしい。だが、今となってはどの島も半分以上を海に侵食された、水中都市のようになっていて、島々は小さなものだ。いくつもの島がそれぞれ施設の島として割り振られているのは、空島と変わらない。

 ただ、乗り物は波を捉えて移動するサーフボードのようなものだと言う。用途は、フリューと同じらしい。漠然としているのは、水上を移動して生活することが想像できなかったからだ。

 空島にもプールなどの大型施設はある。しかし、海とプールでは違うだろう。まずもって広さ、深さもそうであろうが、波などの自然現象に差があるはずだ。そういうものは、想像で補うには無理がある。

 空と海の移動は難しい。空船で海へと下りることはできる。だが、着陸できる場所が少ないので、交通機関は不便だ。

 だから、月岡さんのように海から空へやってくるものは少ない。といっても、これが本当かどうか俺は知らなかった。他のクラスメイトと話していたのが、微かな噂になっているのをたまたま耳に入れただけの不明瞭な情報だ。

 けれど、月岡さんの青い瞳を見ると、やはり海からやってきた子なのかもしれないと思ってしまう。

 そりゃ、海島生まれの人が全員青い瞳をしているわけじゃない。空島にも青い瞳の持ち主はいる。月岡さんにだけ思うのは、情報によるものでしかない。それでも、そう思ってしまうほど、太陽に揺らめく艶と深みと透明度を併せ持つ。惹かれる瞳をしていた。

 その瞳が合うほどの距離ではない。それでも、遠目に月岡さんであると分かるほどには目に入っているクラスメイトだった。会話をしたことはない。だから、見かけたところで何もなく通過する。

 あちらもこちらに気がついているのか。気がついていないのか。それすらもよく分からない。薄々、顔がこちらの景色を捉えている、くらいの距離感。

 これが俺と月岡さんの間隔で、それに変化が訪れることなど、このときの俺はまだ少しも考えていなかった。

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