私の心に空いた穴 〜天涯孤独になった美少女に起きる奇跡から始まるラブストーリー〜

第1話

　2月の寒い夜だった……お母さんの容態が急変したと病院から連絡を受けた私はアパートから飛び出すと病院へ向かって一心不乱に走っていた。

　小学生の頃に周りからお父さんが居なくて寂しい？　ってよく訊かれる事があった。でも、私はお父さんがいない事にそれほどこだわっていなかった。私には大好きなお母さんがいる……ただそれだけでよかった。

　他には何も望まないから、だから神様お願い……そのお母さんを連れて行かないで……。

　最後に会った時は元気な様子だったお母さんがまさかと思いながらも必死に神様へ祈りながら病室に駆け込んだ。

「◯◯時◯◯分……死亡を確認しました……」

　お母さんの担当医だったおじさんは息を切らす私にそう言った。

「え……」

　一瞬その言葉が理解できなかった。

　お母さんが……死んだ？　あれだけ元気にしてたのに……うそ……だよね？

　体から全ての力が抜けていくような感覚に立っていられなくなった私はその場にへたり込んで色のない真っ白な世界を見ていた。

「お母さんの分も頑張って生きるんだよ……」

　おじさんは私の肩にそっと手を置くと静かに部屋を出て行ってしまった。

　まだ信じる事ができない私は何とか立ち上がるとゆっくり震える足を引きずってお母さんのベッドまで辿り着き、そこに眠るお母さんの青白い顔を見た。

「わぁぁぁぁー‼︎」

　全てを悟った時、深夜の病院でも構わず私は言葉にならない叫び声を上げ、幼い子供みたいに泣き喚いた。

「お母さん……お母さん……おかぁさん！」

　私はお母さんにすがりつきながら大きな声で泣いた。今までお母さんの前で絶対に泣かないと決めていた分も全部吐きだした。もうお母さんの優しい声が聞けない、もう暖かい温もりを貪ることもできない。そう思った時悲しみは更に大きく押し寄せ私を飲み込んでいった……。

　私はこれからどうやって生きていけばいいの……。

　しばらく泣いた後、お母さんの白くやつれた顔を見ながらそう思った。

　他に頼る人もいない、たったひとりでこの先を生きていてもきっと私は幸せにはなれない……お母さんとの思い出をひっぱり出しては泣く人生に決まってるんだ。私の心に空いた大きな穴は一生埋まることなんて絶対ない……だったら私も……。

　ガチャ

　何の前触れもなく部屋の扉が開いた。お医者さんか看護婦さんか……でも私は視線は動かさない。もう誰とも話したくないからその人が出ていくまで顔を伏せていよう。

「君のお母さんは本当に残念だった。それで……驚くかもしれないけど君のお母さんとこの前籍を入れたんだ」

　私はその最後の言葉に驚いて思わず振り返ってしまった。

　涙で歪む視界に知らない男の人が立っていたのは分かった。涙を拭うとその人はサングラスをしていて表情は分からなかった。

「籍を入れたって……それって結婚したって事ですか⁉︎」

「ああ……」

　意味が分からなくて頭がぐちゃぐちゃだ。そう、これは嘘だ……嘘に決まってる！

「こんな時に非常識な嘘をつかないで下さい‼︎ 」

「本当なんだ……これが証拠だ」

　一枚の紙が差し出されると震える手で受け取る。それは婚姻届の写しで、見慣れたお母さんの綺麗な字は疑う私を納得させるには十分なものだった。

「お母さん……何で……なんで何も言ってくれなかったの！」

　お母さんに言っても何も答えてくれない。

「突然の事で混乱していると思うからまた来るよ」

　男の人の歩く音がドアに向かっていくとピタッと足音が止まった。

「……君の悲しみは想像を絶するものだと思う……だけど君はまだ若いんだ。これから色々な経験をして自分の幸せの為に生きて欲しい。お母さんもそれを望んでいると思うから」

　男の人は最後にそう言い残して部屋を出て行った。

「訳がわからないよ……私はどうすればいいの……」

　お母さんに言ってもやっぱり答えは返ってこない。

　私はこれからあの人と暮らすの？　それは嫌だ、知らない男の人と暮らすなんて……もうほんとに訳がわからないよ……。

　それから葬式は行わず火葬を終えた日、私はあの人からこう切り出された。

「俺と暮らすのは嫌だろうから1人暮らしをしてはどうだ？」

　私はためらいなく頷いた。そうしたら一枚の紙を渡されて、見ると何かの地図だった。

「3日後にここに来てくれ。それと君の荷物をまとめておいてくれ、運んでおくから……」

　そして3日が経ち、地図に書かれた場所に行くとその建物に目を見張った。

「嘘でしょ……」

　思わずそう漏らすほど見上げれば首が痛くなる高いタワーマンションが周りの建物を突き抜けて建っていた。

　言われた通りに来てみればこんなところなんて……住所を間違えたのかな。

　高級タワーマンションの前で立ち尽くす私に誰かが近付いて来る気配がした。

「あなたが可奈さん？」

「そうですけど……」

　目の前にスーツを着こなして仕事ができそうなお母さんと同じ年くらいの綺麗な女性が私を興味深そうにじっと見ていて、その視線に耐えられなくなった私がそっと視線を逸らすとやっと口を開いてくれた。

「あ、ごめんなさい。私は椎名恵っていうの。お父さん……だと少し戸惑うと思うから彼……そう、上条から頼まれて今日からあなたの暮らしをサポートするからよろしくね」

　上条……それは私の新しい苗字だった。

「あの人って何者なんですか？　こんな高級マンションを私ひとりの為に用意するなんて……相当なお金持ちだとは思いますけど」

　あの薄暗い部屋でサングラスをかけていたから顔は分からない。あの時はどうでもよかったから特に気にしてなかったけど、これを見せられたら少し気になった。

「うーん、ごめんなさい。言わないように言われてるの。でも、そのうち分かると思うわ。さ、行きましょ」

　そうはぐらかされてしまうとこれ以上言っても無駄だと思って大人しく後について行くことにした。

　……何もかもが凄かった。

　堅固なセキュリティーに守られたマンションの中を歩いて405号室とあるドアを開くと道中で新築だと椎名さんから聞いた通り木のいい匂いがした。リビングにはおしゃれな家具が部屋を彩り、電化製品はうちにあったものより大きくて高そうだった。私の荷物、たった3つのダンボールが入ってすぐの所に積まれていた。

「これから毎日来るからね。確か……学校は2週間後からよね？」

　色々と家電製品の説明とか暮らす上での注意点を聞かされた後にそう訊かれた。

　今日は３月17日だと壁に貼られたカレンダーを見て確認すると頷いた。4月1日が入学式だった。

「はい……」

「また明日来るから何か聞きたいことがあればその時言ってね。あ、そうだ」

　椎名さんが差し出してきたのはスマホだった。中学生の頃皆が持っていた仲良しツール。私だけが持っていなかったものだ。

「はい、あなたのよ。使い方は説明書を見て分からなかったら明日教えるわ。とりあえず私と上条の番号が入れてあるからいつでも電話してきなさい」

　椎名さんを玄関で見送った後、大きなお風呂を覗いて寝室に勉強部屋と一通り見終わるとリビングにある大きなソファーに体を投げた。

　しばらくぼうっとしていると不意に涙が頬を伝った。

　こんなに豪華で素敵な部屋にいても心に空いた大きな穴が感情を全て飲み込んでかき消してしまう。

「お母さん……やっぱり寂しいよ……」

　何も考えないようにしても不意にお母さんを思い出して涙する……ただ虚しさだけが私を覆っていた。