私TUEEE系の伝記風自作小説を書いたら、後世で伝説の聖女にされていました!?〜1000年後に目覚めた亡国の皇女は、腹黒王子に溺愛される〜

みやこ。@コンテスト3作通過🙇‍♀️

聖女の目覚めと1000年目の黒歴史


 皆さんは想像したことがあるだろうか。

 悪ノリで書いた私TUEEE系の自作小説がまさか、後世にまで語り継がれ、何の力も持たず取り立ててこれといった長所も無い一介の皇女にすぎない自分が歴史に名を残す伝説の聖女となっていた時のことを——。

 そして、これはそんな私ロザリア・シュルークのやらかしから始まる恋と救済の物語なのである。




 ——はてさて、一体何故そんな馬鹿げたことになったのか?


 私は皇国唯一の皇女という立場でありながら、皇族の中で唯一魔法が使えなかった。だからせめて、物語の中では特別な存在でありたかったのだ。


 小説の中で、私は無敵だった。誰もが私を称賛し邪悪な存在でさえ屈服し膝を折る。



 有り体に言えばこれはほんの出来心であり、むしゃくしゃしてやった。

 誰に見せるでもなく、満足したらこっそりと処分しようと思っていたのに。まさか本が完成してすぐに1000年間も眠らされるだなんて思っても見なかった。


 本当、人生いつ何があるかわからない。

 黒歴史になり得そうなものや人に見られて恥ずかしいものは誰にも見つからないところに隠しておくか、そもそも作らないことが一番だとこの一件で身に染みたのだった。




***




 ————ふにゅっ。


 顔の上に小さな生暖かいものが乗ってきたかと思えば、その後すぐにツンっと鼻に柔らかいものが触れる感覚がして、深く沈んでいた意識が少しずつ浮上する。


「⋯⋯⋯⋯?」


 やけに重い瞼をゆっくりと開くと、焦点が定まらずにぼんやりと霞む視界。何度かパチパチと瞬きしてみれば、目の前に白っぽい球体と傍に立つ一人の人間の姿が確認出来た。


(⋯⋯兄様?)


 いつものように中々起きてこない私を見かねて、兄様が起こしにきたのかしら。なんて呑気なことを考える。

 のろのろと緩慢な動作で気怠い体を起こし、大きく伸びをすれば、全身に血液が行き渡り幾分か頭が冴えた心地がした。ついつい喉元まで出かかる欠伸を噛み殺して、ようやく朝の挨拶をする。


「ん~⋯⋯兄様、おはよう」

「っ!⋯⋯⋯⋯おはよう」


(あれ⋯⋯? 兄様ってこんな声だったっけ?)


 息を呑む音にほんの少しの違和感を感じ、そこで漸く思考が鮮明になる。


「えっ!」


 目に入る景色に思わず声を上げる。

 青と白で統一された気品あふれる室内に、天井には豪奢なシャンデリア。そして、私は何故か透明なガラスでできた棺桶のような入れ物の中にいた。


 ——うん、考えるまでも無くここは私の部屋では無い。


 そもそも、私たちの国——エルコラーノ皇国は、世界の全てを手中に収めようと画策する魔王デリティアリアスに襲われたはずなのに、なぜ私は生きているのだろう。

 デリティアリアスが私たちの住む城を占拠した時、父様と兄様は私を逃がそうとしてくれた。もちろん、家族や皇国民を置いて逃げることは出来ないと抗議したけれど、そんな抵抗も虚しく、2人は私を地下通路に繋がる扉へと強引に押し込めたのだ。

 しかし、諦めきれなかった私は父様と兄様の想いを裏切り、城へ繋がる扉を探して地下通路をひた走った。そして、その途中、私は——


(⋯⋯ううん、今はそんなことよりも)


 父様と兄様は無事なのだろうか。最後に城の小窓から見た景色が、今も瞼の裏に焼き付いている。空は赤く燃え、城下の町は火の海だった。あの惨状の中で民はどのくらい無事なのだろう。今からでも私に出来ることはあるのだろうか。

 さまざまな疑問がパニック寸前の脳内に一気に駆け巡る。



「やはり目覚めたばかりだから気分が優れないのか?」


 考えがまとまらないまま逡巡を続けていると、不意に声を掛けられ、私は弾かれたように顔を上げる。考えに耽るあまりすっかり存在を忘れていたが、声の主は兄様だと勘違いした人物だった。


「いいえ、大丈夫よ」


 私はあえて気丈に振る舞って見せる。


(本当はまだ混乱してるけど⋯⋯見知らぬ男性に弱みを見せるわけにいかないもの。それにしても、当たり前のような顔をして声を掛けて来たけれど、私はこの男のことを知らない——)


 私は改めて目の前の人物を観察する。

 金糸雀カナリア色の指ざわりの良さそうな髪に、海のように深い蒼玉サファイア色の切れ長の瞳の胡散臭い笑みを浮かべた端整な顔立ちの男性。

 瞳と同じ色の宝石で華美に着飾った彼は、一体何者なのだろう。


「あの、少し伺いたいのだけど⋯⋯ここはどこなの? 貴方は、誰?」


 様々な疑問が脳内を飛び交う中、私は意を決して目覚めてからずっと気になっていたことを尋ねる。


「っ! ああ、これは失礼。長年の夢が叶った興奮のあまり説明を忘れていた。⋯⋯まずはこの場所について説明しようか。ここは自由と愛の国、サルデーニア王国。そして俺はこの国の第一王子シャルル・フランチェスコ・ディ・サヴォイアだ。ちなみにこの場所は神聖の間といって、聖遺物などを保管する場所だよ」


 自らを王子だと名乗ったシャルル(本当に王子なのか甚だ疑わしいので敬称を付けずにそう呼ぶことにした)は一瞬きょとんと目を丸くした後、一息に話し出した。

 しかし、不思議なことに彼は仰々しい態度で言葉を紡ぎながらも、どこか熱を孕んだ視線で見つめてくる。


「サルデーニア王国? 聞いたことないわ⋯⋯」


(少なくとも地図上にそんな国は無いはずよ)


 私は頭の中で世界地図を思い浮かべる。しかし、いくら辿ろうともそんな国名は見つからない。


「うん、貴女が知らなくても無理は無いだろうね」


 シャルルは飄々とした態度で答える。

 全てを見透かしたような言動を繰り返すシャルルに、僅かな苛立ちを覚えた私はむっつりと押し黙った。

 それを見た彼は困ったような笑みを浮かべると、まるでもったいつけるかのようにおもむろに口を開く。


「なぜなら貴女は——エルコラーノ皇国ロザリア・シュルーク皇女は⋯⋯1000年もの間眠りについていたのだから」

「⋯⋯っ!?」


 私はあまりに驚いて言葉に詰まる。最初、シャルルの言っている言葉の意味が理解出来なかった。

 しかし、言葉の意味を咀嚼した途端にカァッと頭に血が上って、彼に向かって衝動のままに鋭い言葉を浴びせる。


「いっ意味がわからないわ! 貴方、私を揶揄っているんでしょうっ!? あまつさえ私を国から連れ出して⋯⋯このことは国を通して正式に抗議させてもらうわっ!!」


 しかし、憤る私に反して、シャルルは冷静さを欠かなかった。


「⋯⋯俺が今言ったことは紛れもない真実だ。それに、無断でロザリア皇女を連れ出したわけでも無い。我が国、サルデーニア王国はエルコラーノ皇国が魔王デリティアリアスに滅ぼされた後、瘴気に侵されていない一部の土地と周辺諸国を統合して造られた国なんだよ」

「そ、そんな⋯⋯⋯⋯」


 ろくな心の準備も無いまま突き付けられた残酷な現実に、身体中の血液がサァッと引いていく感覚がする。


(この人の言っていることは受け入れ難いけれど、確かに真実味がある。だって、デリティアリアスに占拠された国がどんな末路を辿るかなんて火を見るより明らかだもの)



「⋯⋯落ち込むのも無理はない。すぐには受け入れられない事実だってことも理解しているつもりだ。貴女の傷を癒せるのだったら、俺はどんな手でも尽くそう」


 シャルルは青ざめた私に向かって言い聞かせるように言葉を紡いでいく。


「⋯⋯⋯⋯起きたらいきなり1000年後ってどう受け入れろっていうのよ。悪い夢でも見ているようだわ。それに⋯⋯私の居るべき場所は——国は滅びてしまった。守るべき民も、もうどこにも——」


(⋯⋯私だけが、時間の流れから取り残されてしまった)


 失意のどん底へと叩き落とされた私の瞳にはジワリと涙が浮かぶ。溢れないようにゆっくりと瞼を閉じ、もう二度と会えない家族や民たちの顔を思い浮かべた。


「言っただろう? 我が国の前身はエルコラーノ皇国だと。ロザリア皇女はサミュエル・サヴォイア侯爵は知っているかい?」

「え、ええ。知っているわ」


 思いがけない人物の名を耳にしてハッと目を開けた。


(サミュエルは皇国の外交官でもあり、私が月に一度開催していた読書会のメンバーでもあった人よ。でも、何故ここで彼の名前が出てくるの⋯⋯?)


 私は目を伏せて考え込む。ジッと真っ白な床を凝視しながら考えてみても、一向に答えは出ない。

 しかし、その疑問はシャルルによってすぐに解決されることになる。



「皇の命により隣国に赴いていた侯爵は、デリティアリアスの侵略による難を逃れた。役目を終えて帰還した彼は皇国の跡地にサルデーニア王国を興し、唯一の生き残りでありデリティアリアスの呪いにかかったロザリア皇女を保護したんだ」


 シャルルはそこで一度言葉を切ると、青色の瞳を真っ直ぐに私に向けて言った。


「⋯⋯たとえ名前が変わっても、どんなに時が経ったとしても、貴女の守るべき国や民はここにある」

「っ⋯⋯!!」

「ロザリア皇女の居場所は紛れもなくここにあるんだ。これ以上、何も貴女から奪わせはしないから安心するといい」


 シャルルは力強く、諭すようにそう言った。

 会ったばかりの彼の言葉が今の私にはどんな同情の言葉よりも心強く、そして勇気をくれた。


「⋯⋯ありがとう」


 その一言に全てを込める。

 シャルルの言葉にどんよりと曇った心の空模様が晴れ、一筋の光が見えた気がした。それによって頭の中を覆っていた霧も晴れて、幾分か冷静な思考を取り戻すことが出来た。



「——それはそうと貴方、侯爵の子孫なのね。言われてみればどことなく面影があるような⋯⋯。だから見ず知らずの私にも親切にしてくれるの?」


 私は改めて目の前の男の顔を見た。今思えば、深い青色の瞳がサミュエルを彷彿とさせる。


「それもあるが、それだけじゃない。何より、俺にとってロザリア皇女は見知らぬ相手では無いからね」

「⋯⋯?」


 私はシャルルの言葉の意味が理解できず、思わず首を傾げた。


(1000年も眠っていた私とこの男が知り合いのはず無いじゃない)


 私の心中を敏感に感じ取ったシャルルは、ゴホンとひとつ咳払いをしてから口を開いた。


「ロザリア皇女のことは初代国王サミュエル・サヴォイアにより記された建国記と——」


 するとシャルルは途端に活き活きとした表情になって、懐から一冊の本を取り出した。


「このアウローラ著の『エルコラーノ皇国と白薔薇の聖女』に記されていたのだからね!!」


 子どものように爛々と瞳を輝かせたシャルルが取り出した真っ白な装丁そうていの本を目にした瞬間、私の心臓は止まりそうになる。


「なっ、ななな⋯⋯!?」


 私の全身からは大量の汗が吹き出し、声にならない声を上げる。

 しかし、一度火が付いたシャルルは止まらない。


「この伝記はロザリア皇女のことが記されたものだろう? この本を読んだ瞬間から俺は貴女の虜になった。幼い頃から毎日毎日時間を見つけてはこの部屋に通って、安らかに眠る貴女のことを眺めていたんだ。⋯⋯ずっとずっと、貴方と言葉を交わしてみたかった。それに、瞳の色もようやくこの目で確認することが出来たよ。⋯⋯ふむ、伝記には端的に緑色とだけ記されていたが、実際には銅リチア電気石パライバトルマリンのような青緑色なのだな」


 シャルルは恍惚とした笑みを浮かべると、早口で捲し立てるようにそう言った。先程までの誠実な彼が夢や幻だったかのようだ。


「ああ、そうだった! ロザリア皇女の肖像画を飾った部屋があるんだ! もちろん俺が書いたんだよ。後でその部屋にも案内するとしよう」

「けっ結構よ⋯⋯!!」


 私はやっとの思いでその一言を絞り出す。


「なぜそんなに取り乱しているんだ? この書物には貴女の勇姿が余すことなく記されているというのに。誇ることはあれど恥じることは無いはずだろう?」


 今になって挙動不審な私に気付いたシャルルは、心の底から不思議そうな顔をして言った。


「⋯⋯⋯⋯そう、ね」


 私は慌てて表情を取り繕う。しかし、その心の内は激しく動揺していた。


(ええ、ええっ! その伝記に書かれたことが事実ならね!? そして、その本は私が他人を装って書いたものなんですものっ! つまりは自作自演の自己満足小説なのよ!! 書き終わった時は『私文才ありすぎないかしら?』って思って、つい出来心で装丁までしてしまったものが何故こんなところに!?)


 これまでの話の内容からして、目の前の男が恐らく私のストーカーであることと、何よりも自らの黒歴史が暴かれたという事実にくらりと目眩がした。


(落ち着くのよ、ロザリア。今はショックを受けている場合じゃないわ! まずは目の前にある黒歴史をどうにかしなければ⋯⋯っ!)


 私は再び活き活きと語り始めたシャルルとの距離をじりじりと詰めると、彼の右手で私の助けを求めている分厚い本を勢いよく取り上げた。


「ッロザリア皇女!? 突然何するんだい!?」

「こんなものッ! こうしてやるわ!!」


 私は本を手にすると、在らん限りの力でそれを引き裂く。シャルルはあまりの衝撃にその場に立ちすくみ、荒ぶる私の様子を目を丸くして見ていた。


(証拠隠滅完了。これで黒歴史は永遠に葬られたわっ!!)


 私がしたり顔でシャルルの方を見ると、彼はついに耐えきれないといった様子で吹き出した。


「ははっ!! いやはや、実際のロザリア皇女は随分とお転婆な女性のようだ。⋯⋯しかし安心するといい」


 シャルルはそう言うと、先程と同じように懐を弄ってそっくり同じ本を取り出した。


「なっ⋯⋯!?」


 想定外の出来事を前にして、私は開いた口が塞がらなかった。


「この伝記は我が国の民で知らぬ者はいないほど有名な教典なのだ、スペアならいくらでもある。伝説の聖女様とて、時には衝動的になることもあるだろう。⋯⋯はい、どうぞ」


 シャルルは満面の笑みで2冊目の本を私に差し出した。なんだか生温かい視線を向けられている気がする。


「わっ、私にこれをどうしろっていうのよ!?」


 私は顔を真っ赤にして食って掛かるが、シャルルは相変わらず青色の瞳を細めてクスクスと笑っていた。


「大丈夫。俺はどんなロザリア皇女でも受け入れて見せるよ。なぜなら俺は貴女のファンだから。⋯⋯そして、これからは貴女の夫となる男なのだから」

「はあっ!?」


 私は驚きのあまり言葉を失った。この男の言葉によって度肝を抜かれるのは、本日何度目だろうか。

 冗談にしては些か悪ふざけが過ぎるし、もしも本気ならばこの男は気が触れているとしか思えない。





「——それでは皇女様、お手をどうぞ?」


 シャルルはこれまでの柔らかい雰囲気から一転して畏まった表情になると、そう言いながら白い手袋を纏った手をこちらに向かって差し出した。


「え、ええ⋯⋯」


 私は反射的に差し出された手のひらに指先を乗せる。しまった!と思った時にはすでに遅く、優しく、しかし力強く握り込まれてしまった。



「貴女をとっておきの場所にエスコートするよ」

「ど、どこに行くの!?」

「大聖堂だよ。そこでこれから俺たちの結婚式が執り行われるんだ。⋯⋯ああ、幸せだなあ。幼い頃から恋焦がれた憧れの聖女様と結婚出来るだなんて」


 一向に暴走を止めないシャルルにくらりと目眩がした。それから私は彼の手を振り解こうと、力の限りに腕を激しく上下させた。


「いっ、嫌よ! 離してっ!! さっきは貴方、もう夢が叶ったって言ってたじゃない!  私を目覚めさせたかっただけなんでしょう!? 貴方は憧れを恋と錯覚してるだけなのよ! 目を覚ましなさいっ⋯⋯!!」

「いいや、これは間違いなく恋⋯⋯ううん、愛だ。断言出来る。それにこれは俺の長年の野望だよ。貴女に相応しい男になるため、これまでの人生の全てを捧げてきたんだ。これがただの憧憬しょうけいであるはずがない」


 私はこめかみを押さえる。ううん、頭が痛い。

 それから少しの間思案すると、幼い子どもに諭すような口調でシャルルに語りかけた。


「⋯⋯よおく考えてみなさい。記憶が正しければ私は18歳の時に眠りについた。見た目はさほど変わっていないとはいえ、貴方の話によるとあれから1000年の時が経ったのよね? つまり、歳の差はおよそ1000歳。そんな歳の差結婚聞いたことある!? 貴方から見ると私はお婆さんを通り越して化け物なのよ!?」

「歳の差だなんて些末なこと⋯⋯そんなもの気にするほど俺は狭量じゃないさ。それに、俺はどちらかといえば歳上の女性が好きだ。それが歳上であればあるほど好ましい」

「ならその辺の老婆にでも求婚したらどうかしらっ!?」

「いいや、先程の言葉には語弊があったよ。俺は好きになった人がタイプだ」

「~~~~!」


 私ははしたないとは思いつつも、思いっきり地団駄を踏みたくなった。このやるせない気持ちを発散させるには一体どうすればいいのだろうか。



「まだ何か異論があるかな?」


 そう言ってシャルルはにっこりと微笑んだ。しかし、笑っているはずなのに何故だかそれだけではないような気がして、背筋に冷たいものが走る。

 私は思わず足がすくんだが、自身を奮い立たせ反論するために再び口を開いた。


「あっ、あるわ! 愛の無い結婚だなんて冗談じゃない!」

「俺は貴女を愛している。柔らかなプラチナブロンドの髪も、宝石の如く煌めく石緑せきりょく色の瞳も、さえずる小鳥のように可憐な声も、人々を救わんとする優しい心根も⋯⋯お転婆で向こう意気の強いところでさえも全てが愛おしい。それはもう、貴女が思っている以上にね。それに、これから必ず俺を好きにさせて見せるさ」


 迷いもなくキッパリと言い切ったシャルルのあまりに真っ直ぐな言葉に、私は頬が火照るのを感じた。そして、彼の自信たっぷりな物言いに、まるで私の方が間違っているのではないかと錯覚しそうになる。


(危ない危ない。少しばかし顔が良いからって騙されるところだったわ!)


 顔だけの性格に超難アリ男なんぞと結婚すれば、せっかく始まった第二の人生お先真っ暗。私は、ここで負けるわけにはいかない——!


「すっストーカーと結婚するだなんてごめんよっ!!」


 シャルルは私の言葉にきょとんと目を丸くする。


「⋯⋯ストーカー? もしかして、俺がロザリア皇女の寝顔を毎日見つめていたことを言っているのかな? 俺はただ、皇女が今日も安らかに眠れているか、呼吸は止まっていないかを確認したり、部屋に侵入者が来た時のために警護を買って出ただけさ。ストーカーだなんて邪な輩と一緒にしないでくれ」

「⋯⋯⋯⋯」


 ストーカーに嫌悪感はあるものの、やはり、ストーカーは自分がストーカーだという自覚が無いらしい。


「そ、そうだったわ! 私、起きたばかりで本調子じゃないの。だから、伝記の内容にある聖女の力はしばらく使えないわ」


 私は最後の手段とばかりに苦し紛れにそう言った。愛だの恋だの言いつつも、きっと、シャルルの目的の大半は特別な力を持つ聖女である私にあるのだと思ったから。

 しかし、私の予想に反してシャルルは真剣な顔になると、そっと私の両手を包み込み、真っ直ぐに目線を合わせながら一切の迷いなく言葉を紡いでいく。


「俺は、貴女の力目当てに結婚するんじゃない。時代遅れの政略結婚なんてクソ喰らえだ。俺たちのは紛れもない恋愛結婚に決まっている。⋯⋯ね、ほら。何も問題は無いだろう?」

「⋯⋯⋯⋯!」


 私は不覚にも、シャルルの言葉に心を打たれた。真っ直ぐに見つめてくる強い光を帯びた青い瞳に居た堪れなくなって、思わず顔を背ける。


(これじゃあなんだか私の方が聞き分けの悪い子どもみたいじゃないのっ! 悔しい⋯⋯!!)


 私が何を言っても言葉巧みに言いくるめられてしまう。悔しいがこの男の方が一枚も二枚も上手のようだ。

 私はこれ以上は逃げられないのだと悟った。そして、言葉に詰まったところをこれ幸いとばかりに、シャルルは私の手を取ると駆け出したのだった。




***




 衝撃の連続ですっかり聞き忘れていたが、シャルルの左肩の上にはずっと大きなピンクのリボンがついたハリネズミが乗っていた。 彼の相棒だというハリス(♀)は私を目覚めさせた功労者だという。

 なんでも、真実の愛の口付けで眠りから目覚めると聞きつけたシャルルが眠る私の唇を奪おうとしていたところを押しのけ、鼻と鼻をくっつける『スメルキス』というものをやってのけたのだ。


 しかし、せっかくハリスによって守られた私の唇は早くも危機的状況に陥っていた——。



「——健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「はい、誓います」


 司祭の問いかけに即答するシャルル。対して、いまだに納得のいかない私はむっつりと黙り込んでいた。


「⋯⋯⋯⋯」

「あのう⋯⋯?」


 一向に返事をしない私に痺れを切らした司祭は白く染まった眉を下げシャルルに助けを求める。


「ああ、すまないね。ロザリア皇女はとってもシャイで照れ屋なんだ。見ての通り、俺と彼女は相思相愛だから進めてくれて構わないよ」


(なあにがシャイで照れ屋よっっ!! 貴方の都合のいいように解釈しないでちょうだい! 私はただ、こんな場所で騒ぎ立てるわけにはいかないから大人しくしてあげてるだけなのよ⋯⋯!!)



 私は今、太陽の光が反射してキラキラと美しい輝きを放つステンドグラスがはめ込まれた大窓が壮観な大聖堂で、純白のドレスを見に纏い、タキシード姿のシャルルとともに見事な白髭を貯えた司祭の前に立っている。

 隣に立つシャルルはこれまでにないほどにこにこと上機嫌に微笑んでおり、参列者たちはそのほとんどが涙を流していた。


 そしてそんな中、一番に目についたのは彼らの身体中に浮かび上がる黒い痣のようなものだった。

 これは魔物の発する瘴気を浴びた者や、瘴気の充満する場所に長時間滞在した者などに現れる症状だ。見た目の痛々しさだけでなく、放置すれば重篤な健康被害の要因にもなる忌避すべきものである。


(やっぱり、この時代でも多くの人が瘴気に侵されているのね。彼の話によるとあれから1000年も経ったんですもの。デリティアリアスによる侵攻は相当に進んでいると考えてもよさそうね。でも、今は人の心配よりもこの状況をどうにかしないと⋯⋯!)


 強引すぎる展開に納得のいかない私は幾度となく逃走を試みた。しかし、その度にシャルルやメイドたちに阻まれ、大聖堂へと引き戻されてしまうのだ。


(ようやく王子がご結婚を~とか、これでお世継ぎの心配がなくなる~だとか、このままではこのじいや首が飛ぶところでしたぞ~とか!! 誰かこの強引すぎる粘着ストーカー男を止める人はいないのっ!? っていうか、こんなのが王子でいいのかしら!?)



「こほんっ。それでは誓いの口付けを」


 心の中で悪態をついている間にも式は着々と進んでいたようだ。司祭が咳払いをし、私にとっては死刑宣告ともいえる言葉を発する。


「⋯⋯!!」


 私は縋るような目でハリスを見た。

 しかし、私の期待は早々に打ち砕かれることになる。眠る私への口付けは非合意として阻止してくれたものの、残念なことに今回は合意したとみなすようで、一向に止める気配は無かった。

 シャルルの肩口で嬉しそうに『キュイッ♪』と鳴くハリスに、誰も味方がいないと悟った私はがっくりと肩を落とした。



「⋯⋯ロザリア皇女」


 シャルルは慈しむような声音で私の名を呼ぶ。彼は目を細め優しい手つきでベールを持ち上げると、そっと私の頬に手を這わせた。それから蕩けるような笑顔を浮かべ、おもむろに口を開いた。


「俗世と隔てる棺のガラス越しに焦がれ続けた貴女とこれからは同じ時を共に生きていけるんだね。この命の限り⋯⋯いいや、たとえこの命が尽きようとも俺は貴女を愛し続けるよ。君に永遠の愛を捧げると誓おう、ロザリア——」


 そう言うと、ゆっくりと近づくシャルルの顔。


「ち、ちょっと!?」


 あまりの羞恥心と驚きで逃げ出そうと腰を引くが、すかさずシャルルに引き寄せられてしまう。それでも抵抗を諦めず、ぴっとりとくっつきそうなほどに迫った彼の胸板を両手で必死に押し返そうとするが、体格差の前では無駄な抵抗に過ぎなかった。


「まっ待って⋯⋯!」


 どうにもこうにもならなくなった私は、最後の抵抗とばかりにか細い声を洩らす。赤く熟れた柔らかそうな唇がもう、すぐそこまで迫っていた。

 頬に熱が集中し、ドクンドクンと激しく高鳴る鼓動。まるで全身が心臓になってしまったかのように感じる。


(どっ、どうしようどうしよう!? 私、出会ったばかりの人⋯⋯それも粘着ストーカー男にファーストキスを奪われてしまうの?)


 身体が際限なく染まっていく頬から伝播するように熱くなっていく。私はこれまで感じたことのない感情に耐え切れず、ギュッとキツく目を瞑った。




 ————ちゅっ。


 ついに、軽い音を立てて口付けが落とされた。小さく吐息が聴こえゆっくりと離れていく唇。


「⋯⋯!?」


 私はカッと目を見開く。誓いの口付けは息を止め、来たる衝撃に備えていた唇ではなく、額に落とされたのだと理解したのは名残惜しそうな表情をして離れていくシャルルを見てからだった。


「やはりロザリアの唇は想いを交わしてから奪おうと思ってね。だから今はココに。残念だったかい?」

「~~~~っ!!」


 私はキッとシャルルを睨み付ける。


「その顔は⋯⋯期待していたと解釈してもいいのかな? と、言うことは俺たちが結ばれる日も近いということだね」


 そう言って悪戯っぽく笑うシャルル。唇が触れた額から更に身体が熱を持ち、それを食い止めようと思わず私は額を押さえた。


「わっ、私の覚悟を返してよっ!!」

「う~ん、困ったな。せっかくの俺の決意を鈍らせないでくれよ。そうだな⋯⋯お望みとあらば今からでも——」

「⋯⋯っ!」


 シャルルが私の腰を抱き、緊張とほんの少しの期待で震える私の唇に長い指を這わせる。そして、再び顔を近付けたその時、異変は起こった——。


「へっ⋯⋯!?」

「こ、これは——」


 気付けば、辺り一体を眩い光が包み込んでいた。突然のことに、皆が呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。


(一体、何が起こっているの!? 魔王軍による襲撃!?)


 わずか数秒のことだったが、私には何倍にも感じられた。

 いくらか時間が経った後、目を刺すような強い光徐々に弱まっていく。私は恐る恐る目を開けた。


「——!!」


 目にした光景にハッと息を呑む。


(なんて綺麗な光景なの⋯⋯)


 大聖堂中に降り注ぐ光の粒子がステンドグラス越しの太陽光を反射してさらに眩い光を発していた。幻想的な光景に皆が言葉を忘れて見入る。



「なっ、なんだ!?」


 不意に後列の方から声が上がる。

 声の方に顔を向けて見れば、降り注ぐ粒子が式の参列者の一人を包み込み、肌を黒く蝕んでいた痣に触れているところだった。

 すると、驚くことに粒子が触れたところから痣がゆっくりと消えていく。


(あの光が黒痣を消した⋯⋯?)


 妙に冴え渡った頭で考えに耽っていると、その男を皮切りに大聖堂内の至るところから声が聞こえてくる。

 しかし、初めて目にするはずなのに、私はこの光景に見覚えがあるような気がした。


(⋯⋯この既視感は私の気のせいなの?)



 大聖堂内はひとしきり大騒ぎした後、それまでとは打って変わって水を打ったようにシンと静まり返っていた。人々は動揺を隠しきれない様子で、信じられないものを見るかのように目を見開いている。


「アザが消えた⋯⋯!?」

「瘴気を退けるだなんて」

「これは聖女様のお力だ!!」


 粒子が完全に消えた頃、再び大聖堂内に感嘆の声が上がり始める。



「なんて神秘的な光景だったのだろう⋯⋯さすがは俺の聖女様だ。早速、その御力で我らの臣民をお救いになるとは」


 それまで沈黙を貫いていたシャルルが私を見て微笑んだ。


「こ、これ⋯⋯私がやったの⋯⋯⋯⋯?」


(癒しの力⋯⋯そうだわ! こんなのまるで、私の書いた小説そのものじゃない⋯⋯!!)


 シャルルの言葉にようやく合点がいった私は、信じられないというように今しがた起こった奇跡の名残に目を向ける。歓喜の声を上げる人々を見て、私は夢のような光景に目を疑った。


「⋯⋯ううん、でも少し残念だったかな。これから俺と君は真実の愛の口付けを交わすところだったのにね?」


 シャルルは私に向かって揶揄うようにパチンとひとつウインクをしてみせる。彼は残念そうな口ぶりだったものの、その表情は明るく、どこか嬉しそうだった。


(これは私に都合のいい夢を見ているだけなの⋯⋯!?)




「「「聖女様万歳!!」」」


 人々が祝福の声を上げる中、私だけがこの現実を受け入れられなかった。


(これまでどんなに努力しても、祈りを捧げても、父様や兄様のように魔法を使うことが出来なかった私が、何故今になって⋯⋯?)



「あ、あれ⋯⋯?」


 急に目の前がチカチカと光り出しくらりと目眩がしたかと思えば、途端に天地がひっくり返る。瞼が重くなり、視界が徐々に暗くなっていく。

 あまりの衝撃に耐え切れなくなった私は、ついに意識を手放したのだった。








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