閑話23 胸騒ぎ


 聖王国歴727年……深淵との戦いが終結し、1ヶ月以上が過ぎようとしていました。女王たる私――アストリア・リュミエール・ディアスは、聖王国各地の戦災による被害や復興の進行状況の報告を受けていました。


「カムル殿、ブレイズフィール侯の御加減は如何ですか?」


「やはり、心の傷が深いようです……」 


「そうですか……」


 グラン殿の兄であり、宰相補佐を務めるカムル・アルフォードからの報告に胸を締めつけられる。強い火の力を宿すブレイズフィール侯爵家が治める領地で惨事が発生した――現ブレイズフィール侯爵の長男御夫妻が、今回の戦火で死亡してしまったのだ。


 侯爵の長男御夫妻は、領民の避難誘導を行いながら自身らも魔法で騎士団の援護に尽力してくれたという。しかし、魔力を多く消耗して疲弊していたところを大挙してきた深淵の軍勢に突かれ、夫妻は命を落としてしまった。


 跡取りである長男夫妻を亡くしたショックで、ブレイズフィール侯は病に伏してしまった。長男夫妻の間には、まだ子供も生まれていなかった。


 それゆえに、ブレイズフィール侯爵家の次期当主は次男が継ぐ事となった。侯爵家の次男である“彼”は、深淵との戦いで守護騎士として最前線で活躍してくれた。


 “彼”は守護騎士の一員として、この国を守っていくつもりでいましたが、兄上夫妻の死と病床に伏した父上、何よりも故郷に住まう人々を見過ごす事など出来なかったのでしょう――守護騎士を辞し、故郷であるブレイズフィール侯爵領へと帰還しました。


「もし、長男御夫妻が御健在なら守護騎士の次期隊長は“彼”が最有力候補だったのですが……」


 現在の状況が落ち着いたら、守護騎士隊長を務めているグラン殿と私は結婚する。グラン殿は聖王国の国王に就任する――当然、守護騎士隊長の座からは退く事になる。


 それゆえに、守護騎士の新たな隊長を選出しなければならない。“彼”を守護騎士の隊長に就任させようと考えていた矢先に今回の悲劇が起きてしまった。


「“彼”がブレイズフィール侯爵家を継ぐ以上、他の候補者から隊長を選出しなければなりませんな」


「ええ、グラン殿とも話し合ってみます」


 今、グラン殿は数人の守護騎士と騎士隊を率いて、聖王都近辺に潜んでいる深淵の軍勢の掃討に赴いている。私の護衛を他の守護騎士達に任せてしまった事に対し、申し訳なさそうな表情をしていた。


 私は気にしてはいないのですが……むしろ、グラン殿の方が心配でした。戦いが終結してから数日ほど、心ここにあらずな婚約者の姿に私は胸を痛めました。


 おそらく、ディゼル殿が居なくなってしまった一件が相当堪えたのでしょう。責任感が強いグラン殿は自分を責め続けていました……ディゼル殿を犠牲にしてしまった事を。


 深淵の王との戦いで消耗した影響で、ディゼル殿はひとりだけしか空間転移で飛ばせないと悟った末にグラン殿を転移させたのでしょう。婚約者であり、次期国王であるグラン殿を救って下さった事には心から感謝しています、感謝していますが――。


「(ディゼル殿、あなたにも帰って来て欲しかった。妹の、アリアの為にも……)」


 ディゼル殿は、妹であるアリアの護衛騎士を務めていた。此度の戦いが終結したら、再びアリアの護衛騎士として妹の傍に居てくれたでしょうに……。


 彼が帰還しなかった事で、アリアはずっと部屋に閉じ籠ったままの日々。何とか食事は摂ってもらっているものの、あまり芳しい状況ではありません。


 今日の仕事を終え、私は溜息を吐いて自室の椅子に腰掛ける。国の復興、妹の事、これから先の事……問題は山積みだ。


 少し、本でも読んで落ち着きましょうか。そう思い、自室の本棚の前に立つ。


 最後に、自室で本を読んだのは何時だったでしょうか……等と、考えていると、ある事に気付いた。本棚に、不自然な空白がある――本が一冊無い?


「(あら、どうして一冊だけ本が無いのかしら? ここにあった書籍は――)」


 そこまで思考して、私の頬から汗が伝う。何故なら、そこに収められていた本は聖王家の秘術が記された秘術書だったのだから――!


 聖王家に代々伝わる秘術書……本来、その書物は聖王宮の図書室にある禁書区画に厳重に保管されている。今回の戦いで、王家に伝わる秘術が必要であると考えた私は、禁書区画から秘術書を持ち出し、毎日のようにこの部屋で秘術に関する記述に目を通した。


 最後に秘術書に目を通したのは、グラン殿とディゼル殿に秘術である破邪法陣と送還術を使う旨を伝える前日だった筈……禁書区画に戻さず、自室のこの本棚に収めた記憶がある。


 何故、その本が無いの……まさか、誰かが持ち出した? 一体、誰が!?


 それは、女王である私の部屋に許可なく何者かが侵入した事を意味する。無論、そのような行為に及ぼうものなら、厳罰が下される。


 厳罰を受ける覚悟で、誰かが秘術書を持ち出したとしか思えない。だけど、この部屋の本棚に秘術書がある事を知っている人間は私以外に居ない筈……。


「――!」


 ハッとした。秘術書をこの部屋で読んでいた時に、ひとりだけ来訪者が居た事を思い出した。 


『姉様、その本は?』


『これは、我が聖王家に伝わる秘術書です。今回の戦いを終わらせる為に必要な術が、この書物に記されているのです』


 まさか、そんな、あの子が……アリアが秘術書を持ち出した? あの子が、あの書物に記された秘術を使おうとしているというの?


 だけど、一体何の術を使おうと――そこまで思考して、私は血の気が引いた。あの子が私が読んでいた項目を訊ねた時の事を思い出したのだ。


『姉様、これはどんな術なのですか?』


『これは、禁術と呼ばれる絶対に使ってはならない術です。私でも成功する可能性は低いでしょう』


『姉様でも……? す、凄く難しい魔法なんですね』


『難しいというよりも、別の問題でしょうか。これを発動させるには、術者の資質が重要なのです』


『術者の資質?』


『ええ、これを発動させるには――』


 あの時の出来事を思い出している最中、聖王宮を大きな揺れが襲った。地震によるものではない、と瞬時に悟る。


 頭の中に声が聞こえてくる――通信魔法によるもの。語り掛けてきたのは、グラン殿だった。


『陛下、御無事ですか! 聖王宮に帰還したのですが、一体何事ですか!?』


「グラン殿、直ぐに私のところに来て下さい……これから、アリアの寝室に向かいます!」


『アリア殿下の御寝室に……? 今しがた、聖王宮を襲った揺れと何か関係があるのですか?』


「とにかく急いで下さい! 胸騒ぎがするのです……!」


 今はあれこれと考えている暇は無い。私は、自室を飛び出すと妹の寝室へと向かった――。





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