幕が上がる。

「…………」



 ベッドの傍に誰かが立つ気配がして、俺は目を開けた。


「――おはようございます、アルター様」

 

 その声をきっかけに、頭の中で、ぱちん、と音がした気がした。

 起き上がる。


「…………」


 定時に鳴る時計の鐘の音にいちいち反応などしないように、俺は彼女に一瞥たりとも寄越さない。

 彼女が用意した温い湯が張ってある洗面器で洗顔などを終え、用意された着替えに袖を通す。


「よくお似合いでございます」


「…………」


 ネクタイを通しつつ、ルネリアが差し出している鏡を見ると、ぞっとするほど冷たい男の目がこちらを見返す。


 削げたような頬はどう微笑んでも冷笑以外にならず、口を開けばチロチロと二つに割れた舌が覗くとしてもおかしくはない。

 見慣れた顔つきではあるが、いつも以上に凄みを感じる――これも特訓の成果である。


「――問題なさそうですね、アルくん」


 ルネリアの“アルくん”呼びで、ぱちん、と頭の中でスイッチが切り替わった。

 ほっと息を吐く。と同時に、鏡の中の俺も人間味のある表情になる。これも特訓の賜だ。


「いよいよ今日か……」


 とは言っても、今日という日は始まりにすぎない。

 本命のイベントは先にあり、少なくともそこまでは嫌な奴でいなければいけないわけだが……。

 

 そのおかげでダークフォルト家と縁を切る強力な一助を得られるとすれば、どこかにあったはずの「楽しい学園生活」とやらを切って丸めて下水に流しても構わない。素直にそう思える。

 

 そのために、俺は完璧に演じきるのだ。

 悪役で差別主義者の”アルター・ダークフォルト”を……。


「ただ、やはり顔つきは最後まであまり変えられませんでしたね」


「なんでだよ! めちゃくちゃ変わってたわ」


「……?」


「本当にピンときてない時の表情!」


「きてません」


 あ、そう……と肩を落とす俺に、


「私は好きですよ、どんなアルくんの顔も」


 そんなことを真顔で言いつつ、ルネリアはドアノブに手をかける。


「言っとくけどそれ、あんまフォローになってないからな」


「まあまあ」


「まあまあ、じゃねえよ」


 ルネリアは不満げな俺に構わず、ドアノブを捻った。

 廊下の空気が隙間から流れ込み、自室の匂いと混ざり合う。


 外の匂い。

 世界の匂いだ。


「それでは――。

 いってらっしゃいませ、アルター様」


 ぱちん。

 

 開けはなたれたドアから、俺は一歩を踏み出した。

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