雨宿りのひと時

田山 凪

第1話

 私のお母さんは妹にとても甘い。私が姉だからという理由で不平等な扱いをよくうけていた。お母さんが突きつける無理難題に対して、私は負けず嫌いだからがんばってこなた。でも、結局また新しい難題を突き付けられる。それどころから、上手くやれたことを褒めることさえしない。

 ただ、妹より早めに生まれてきたから、それだけの理由で家庭内の差別があたりまえのように行われる。妹はお母さんと話をするから私に対する愚痴を聞いた影響もあって、次第に仲が悪くなった。妹のためにどれだけがんばったことか。どれだけ我慢したことか。

 がんばっても、我慢しても、報われないなら何も意味はないじゃないか。


 高校生になって少し自由になってから私は家を帰る時間を極端に遅くした。テキトーな理由をつけていいわけをして、友達と遊ぶ日々。遊んでいる間は家のことを考えなくていいからよかった。

 でも、別れた瞬間、足取りは重くなる。あの家に帰らなきゃいけないのかって。あそこに安らぎはない。でも、完全に逃げられるほど知識もお金も場所もない。親ってのは子どもが自立するまで面倒をみるものじゃないの? 私は何かおかしいことをした?


 夜の街で友達と別れ、家へ帰ろうとすると雨が降り始めた。このまま帰るとずぶぬれで制服がすけてしまう。公園の屋根のある休憩場所で時間を潰すことにした。

 不思議と雨音を聴いていると気持ちが落ち着く。まるで、いまの私の心を代弁している様だ。……なんてちょっと詩的なことを思ったり。

 雨足は強くなってやむ気配はない。

 もう、このまま雨が降り続いて大洪水になって家を壊してくれないだろうか。そんなバカげたことさえ考えてしまう。でも、そんなバカげたことに頼りたくなるくらい今の家は嫌だ。

 私が親に愛されていたのなんて、妹が生まれるまでだろう。物心ついた時にはもう姉だからというほしくもないレッテルを張られて我慢を強要されてきた。

 大学も電車で行ける距離の場所ならまだまだこの生活は続く。離れたところかせめて寮がほしい。


「すみません、ちょっとお邪魔しますね」


 急に入ってきたのはたぶん大学生くらいの男性。白いシャツを羽織りしたにはシンプルな黒いシャツ、青いデニムというなんともシンプルな姿で清潔感はあるけど存在感は薄いようなそんなタイプ。わざわざお邪魔しますだなんて、私にはここがお似合いということか? 腹立たしい。

 

 男性は私から少し離れたところに座って同じように雨を眺めていた。見えている左の頬が少し赤いように見えたけど、暗いからいまいちよくわからない。

 正直、男性がやってきた時には立ち去ろうと思っていたけど、この人は特に私に声をかけることもなくこっちを意識することもなく雨をただ眺めている。まぁ、金髪の女子高生に話しかけて面倒に巻き込まれたくないんだろう。

 

 私が髪を染めたり肌を焼いたりしたのは親に対する反抗心だ。黒髪で清楚であることが親の願いだったからあえて逆にした。成績がよかったからいい高校に入れたし、中途半端な高校と違って規則も厳しくない。成績さえあげとけば緩いものだ。

 それに比べてこの男性ときたら、THE普通といった感じでどこにでもいそうなタイプ。私とは真逆の存在と言ってもいい。なのに、同じ場所で同じように雨を眺めて、同じ時間を共有している。不思議な時間だ。


 スマホの充電も切れかかって退屈した私は刺激がほしかった。それでつい男性に話しかけてしまった。


「なんでここにいんの?」


 こういう言葉遣いもいつの間にか慣れてしまった。もちろんちょっと前なら敬語で話しかけてたし、それが普通だったけど、親が言葉遣いにうるさいからこうなった。


「え、俺?」

「あんた以外に誰がいんのよ」

「あ~確かに」


 なんとも気の抜けた人だ。まさか話しかけられるなんて思ってもみなかったのだろう。私だって雨で足止めされてなければ話しかけはしなかった。


「いやぁ、傘取られちゃいまして」

「災難ね」

「本当に。今日は災難な日です」


 どうして災難と口で言っているのに、この人は笑っていられるのか。

 どこかむかつくようで、どこか興味を持ってしまった。

 大人なんて嫌いなのに、どうせ自分の都合のいいようにしか相手を見ていないのに、ほんの少しだけ期待してみたい気持ちになっていた。私の荒んだ心を受け止めてくれるんじゃないかって。それは、危険な道に行ってしまう可能性もある。でも、危険でとても刺激的だとしても、そこに身をゆだねるほうが家に帰るよりはるかにましかもしれない。たとえそれで間違いを犯しても。

 私は、少しだけ男性に近づいた。 


「なんで敬語なの?」

「おかしいですか?」

「私が質問してる。だって、大人は年下に対してすぐため口で話してくる」

「確かにそうですね。大人になればなるほど、誰かを制御したり上に立ちたい気持ちの表れなのかもしれません」

「あんたは?」

「僕ですか……。僕は自慢できることは何もありません。あなたのように賢くないですから」


 それは謙遜なのかそれとも下手に出ながら相手を見下しているのか。私がこういう風に考えるのも親の影響が強い。怒鳴り付けることもあればあえて敬語で教育ママのごとくチクチクと言葉を刺してくる。あんたが私を教育したことなんてほとんどない。私に火をつけて消すのを忘れているくせにこれを教育なんていわせない。

 

「なんで私が賢いと思うの。髪を染めて肌も焼いてんのにさ」


 どうせテキトーにいった言葉だろうと思い私は辛辣かつストレートに返した。これで動揺するなら世渡り上手で他人の顔色ばかり伺うろくでなしだと思ったからだ。

 なのに、驚くくらいすんなりと返事をしてきた。


「金髪で肌を焼いてる女子高生が賢くないなんて誰が決めたのでしょう」


 私の投げたストレートを平然とキャッチし、私よりも鋭いストレートを投げてきた。私はキャッチした手が痺れるような動揺を、表には出さなかったものの感じていた。

 私の人生で、こんな風に大人がはっきりと言ってくれることはあっただろうか。いつだってどこかで借りた平均的な答えしかくれない。間違えをひどく恐れ間違えを認めないから、発言にも説得力がない。

 なのにこの人と来たら恐れを微塵も感じさせないで言ったんだ。


「世間一般的にはそういうもんでしょ。ギャルはバカだって」

「そう思う人がいることは確かでしょうね。でも、一括りにできるほどギャルも単純じゃないはずです。それに、世間なんてものが存在するのか疑問です」

「じゃあなにが存在するわけ」

「大勢の個人です」


 おかしな人だ。大勢の個人。それを世間というのだろう。

 でも、たぶんそういう意味じゃない。この人は全体を見ているんじゃなくて、個人を見ている。似たようなスーツを着た人たちがいて、もしその一人が犯罪を犯したなら、おおよそ世間の人々はサラリーマンという属性か、年齢、経歴、どこかに犯罪を結びつける。若者が老人が、こんな過去があるからだとか、こんな会社の人間はとか。

 私自身、常識とか世間がって言葉を親に言われ続けてきた。きっと世の中には優しい親もいるんだろうと思えるくらいにはまだ正常だけど、もしかしていないんじゃないかって考えておかしくないくらい私の親は私個人を見てくれなかった。

 年齢や見た目で括ってほしくない。そんな的外れな枠に私を入れないでほしい。私は私だ。誰でもない私だ。

 私という個人をみてほしい。そんな思いをこの人は一瞬で叶えてくれた。

 簡単に信用しちゃいけないことくらいわかっているのに、まだちゃんと警戒はしているのに、あと一押しされたらこの人にすがりつきたくなりそうになっていた。


「あんた、変な人って言われない?」


 冷たい言葉が出てしまった。こんな風に言えばあんたも怒るんだろって、ほら怒ってみろって、子どもを見下して理解したふりをして私に説教してみろって、バカなことを考えていた。


「よく言われます。どうしてでしょうね」

「さぁ、私だって親から妹と比べられて散々なこと言われて。きっと親からすれば私はろくでもない変人だと思われてる」


 どうしてだろうか。私はこの人に自身の悩みを簡潔にあっさりと伝えてしまった。期待しているのか? 何かを求めているのか? あってまだ一時間も経っていないおかしな人に、私の悩みを解決する力なんてあるはずない。大人は大きいだけで大したことないってわかっているのに、私はどうして頼ろうとしているんだ。

 

「今の聞かなかったことにして。子どもの悩みなんて大人からすればちっぽけだってわかってるから」

「個人のスケールで痛みは変わります。子どもだから大人の悩みよりちっぽけだなんてそんなことはありえないですよ」

「どうして? どうしてそんなにはっきり言えるわけ? 私のことも知らないのに、あんたは変人なのに」


 もうわけがわからない。頼りたいのに冷たくして怒らせようとして、私はこの人にどうしてほしいの。この人をどうしたいの。頭の中がぐちゃぐちゃになりそう。親とは違うまったく別の気持ちが私の中で暴れてる。

 わからない。全然わからない。

 表情に出ていたのか、それとも偶然なのか、男性は私のほうへと少しだけ体を向けて顔を見て言った。


「あなたは逃げられない中で必死に自分を維持してきたんですね」

「何も知らないくせに」

「でも、言葉や声色、それに表情から見えてくるものがあります」

「精神科医かカウンセラー?」

「いえ、ただの個人ですよ」

「……もし、あんたを頼ったら何をしてくれる?」


 少しだけ素直になれた。

 当然こんな状態でずっと過ごしたくはない。いつかは親のことなんて考えずに自由に生きたい。鳥かごの中に手が入れられるたびに必死にもがくような生活はもう嫌だ。

 だから、少しだけ期待させて。


「では、ご飯でも食べます?」

「はぁ?」

「そう警戒しないでください。お腹空いてきたんです。それに、雨もまだやみそうにない。すぐ近くのファミレスとか」

「私あまり金持ってない」

「ファミレスくらいなら奢りますよ」

「何も返せないけど」

「話し相手になってくれるだけで十分です。それにお腹が空いてますよね?」

「……うん」

「なら、お腹を満たした方が気持ちも落ち着きます。いきましょう」


 男性は私の返事を聞かず立ち上がった。私もそれに釣られ立ち上がる。だけど、外は雨が激しく降っている。走ったとしても濡れてしまってすけてしまう。私がそんな心配をしていると、男性は私の頭に自身のシャツを脱いでかぶせてくれた。

 半袖の黒いシャツから見える腕はたくましいわけでもないけど、男性らしく少し太くて、でもあまり運動をしていないのか肌は白い。本当に私と逆だ。


「走りますよ」

「えっ、ちょっとまって」

「いいえ、行きます!」


 男性は私の手を引っ張って走った。不思議と倒れそうにはならない。きっと、私がこの人についていきたいと心から思っているから、自然と体もそれに追いつこうと動いてくれる。

 男性の手は私の手よりも大きくて、雨に濡れていたのに温かくて、とても安心する。本当はこういう安心を親から受け取るものなのだろう。

 身近に頼れる大人がたくさんいるほうがめずらしい。子どもにとって一番信頼できるのは親だ。だけど、私にはそれがなかった。信頼させてくれなかった。拒絶をされて理不尽な差別が見せつけられ、よくも今日まで壊れずやってこれたと思う。

 でも、こうやってこの人と雨の中を走っているだけでも、今日まで壊れなくてよかったと思う。私は、久しぶりに作りものじゃない笑いができた。


――

 私は負けず嫌いだ。もし、親に感謝することがあればこの負けず嫌いと粘り強さを得られたことだろう。彼が言っていた。それは科学的根拠に基づくものではないけども、人の性格は環境と状況が作り上げる。生まれつきの善人もいなければ、生まれつきの悪人もいない。

 それを鵜吞みにするんだったら私のこういう性格は親が作り上げた差別環境がそうさせたのだろう。ガラクタの山で使えるものを探すように、私は負けず嫌いを手に入れた。


 彼は、私と親との関係を取り持つことができるほど強い人じゃない。だけど、私が私のままでいられるようにしてくれる。いまはそれだけでいい。逃げられる場所ができた。それが私にとって心の余裕となり、もう少しだけ戦う力をくれた。

 だから、もし本当に私が壊れそうで、また雨が降り出したら、私の手を引いてくれる?


「またファミレスでいいんですか?」

「なに、不満?」

「いえ、あなたがそれでいいのなら、僕もそれがいいです」


 気づいたことがある。この人は空っぽなんだ。自己というものがとても希薄で、吹けば飛んでいきそうなほど脆い。それは彼の弱さでもしかしたら無意識に自覚しているのかもしれない。

 ある意味、私たちはお似合いかも。尖ってしまって自己を強く表現する私と、自己が希薄な彼。お互いの足りないところを穴埋めして手を取り合える数少ない存在。きっと、そういう出会いは人生の中でまだあるはず。ただ、偶然にもあの日に出会った。私たちがこうやって一緒にいるのは偶然のめぐりあわせ。

 

 彼に不満がないと言えば噓になる。だって、いつも私の提案をそのまま鵜呑みにする。ちょっとは自分で決めたらというと、決まって私が行きたいと思っていた場所に向かう。だけど、誰よりも理解していることも確かだ。不満だけど贅沢な不満で私はあきれながら心の中ではありがとうと言ってしまう。

 

 根本的に問題が解決し訳じゃないけど、今を生きるには十分。今はこれでいい。彼も今を楽しんでいる様だから、今はこれ以上望まない。

 

 ただ、強いていうならスマホを確認する回数が増えたから、点数が落ちないか心配だ。まぁ、もしもの時は彼のところに行けばいい。空っぽだから受け止めてくれるし、私だから彼の空っぽをうめられるんだから。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

雨宿りのひと時 田山 凪 @RuNext

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

同じコレクションの次の小説