第2章 仕える者に、なりたくなくて(1)
よく晴れた朝は憂鬱だ。
いつだって多かれ少なかれ憂鬱ではあるけれど、晴れた平日の朝は輪を掛けて憂鬱だ。
遮光カーテンから漏れる強い日差しが恨めしい。
「うぅ……」
目覚まし時計に手を伸ばして、それが鳴り出す前にスイッチを切った。
そのままだと二度寝して遅刻しかねないので、ずるずると、尺取り虫みたいにだるい身体を持ち上げる。ようにして起き上がる。
「おはようございます、瑠璃さん」
頭の後ろで声がして、一瞬びくっとする。
誰も居るはずがないと思いかけて、昨晩の出来事を思い出した。
「おはよう、ミカ。……眠れた?」
「はい。とても快適でした!」
その笑顔に嘘はないのだろうけれど、クローゼットはともかく、そこに毛布を敷いただけで眠るのは私には厳しいと思った。多分身体中が痛くなる。
「無理しないで今日こそ布団使いなよ。私も床では寝たくないから、一緒に寝ることにはなるけど」
「気を遣っていただかなくても、別にミカは大丈夫ですよ? これでも結構丈夫なんです!」
そう言って細い腕を見せてくる。
とても丈夫そうには見えない。
「……そういえば、もう着替えたんだ。私は学校があるから起きないといけないけど、ミカは好きな時間まで寝てたっていいのに」
まさかミカもこの部屋から自分の学校へ通うつもりではないだろうし。……そもそもミカが普段学校へ通っているのかどうかもわからないけれど。
「ミカは普段から早く起きる方なんです。なので朝ごはんも作っておきました!」
「……え、ありがとう。何かいい匂いがするなとは思ってたんだよね」
しっかり立ち上がって、廊下にあるキッチンへと向かう。
そこにあったのは保温状態の炊飯器と、フライパンの上の目玉焼き、それにウインナー。いつも朝は食べたり食べなかったりなので、作ってもらえたのはありがたい。
「賞味期限切れそうだったし、使ってもらえてよかった」
「他の食材も今日買ってきますので! ……なにしろ、ほとんどすっからかんでしたからね」
冷蔵庫に目をやってから、こちらをじいっと見つめるミカ。
「……ひとり暮らしだとこうなっちゃうんだよ」
「もっと栄養バランスに気をつけないと駄目ですよっ! 野菜が嫌いなわけではないんですよね?」
「うん。どちらかといえば肉より好きなくらい」
「なら野菜もたくさん買ってきますね!」
「……買ってくるのはいいけど、凝った料理作る気力なんてないよ」
「それはミカが作るので安心してください! 今朝は食材がなかったのでこれだけですけど、料理は得意なんです!」
自信ありげなところを見るに、お願いしてしまってもいいのかもしれない。
もちろん三食作れなんて言うつもりはないとして。
「背が伸びるにしろそうでないにしろ、食事はちゃんとするべきなんです。瑠璃さんだってわかってはいるのでしょう?」
「わかるけど、わかっているからできるものでもないんだよ。……それに、暴飲暴食してるのに比べたらましだと思うし」
「瑠璃さんはあまり食べないタイプなんですね」
「多分そう。……自分で言うのもなんだけど、私も細い方だと思うんだ」
腕を伸ばして、ミカがさっき私に見せたように相手に見せる。……ミカは自分が丈夫であることを見せるつもりだったので、意図するところは違うけれど。
ミカはおもむろにそれを――私の腕を触って、ふにふにと揉む。医者でもないのに、何かわかったりするのだろうか。
「……こう、この辺でしたっけ。軽く打つと反射して伸びるのって」
そう言いながら、ミカは私の肘あたりをぺしぺしと叩く。
楽器ではないから音は出ないし、それよりも早く朝食を食べたい。せっかく作ってくれたのだから温かいうちに。
「それは脚だし、いくらなんでも脚気にはならないって」
「確かに、見た目に栄養失調という感じはしませんけど……」
「大丈夫だよ、多分大丈夫。このくらいなら問題ないっていう範囲で手を抜いてるんだから。――それに私たち、どうしたっていつかは死ぬんだし」
「でも健康ではいたいですよね? それこそ、死んでいるとも生きているとも言い難い状態になることは、誰にとっても望ましくないことだと思いますが」
「それは……そうです」
結局何も言い返せずに、勝ち誇った表情をするミカを恨めしげに眺める。
――しかし私がよくないのはきちんと食べないことより運動をしないことなのだ。ミカにはそっちの方をこそばれないようにしたい。
……ようやく解放された私は、茶碗に炊きたてのご飯をよそう。
茶碗はひとつしかなかったので、ミカの分は茶碗ではないけれど茶碗のような大きさの椀で代用した。
目玉焼きとウインナーはまとめて別の皿に盛り、私の朝ご飯としては随分きちんとしたものが出来上がった(ミカの手によって)。
「食器も買い足さないとね」
いただきますと呟いて、目玉焼きに醤油をかけながら私は言う。
ミカがどのくらいの間居るのか知らないけれど、今どき食器なんて百円ショップにもたくさんあるのだから買っておいて損はないだろう。
「ミカは今日色々と買い出しに行ってきますので、そのとき一緒に買います。瑠璃さんの必要な物があればそれも買ってきますけど、何かありますか?」
「特にないかな」
「了解です。それであの、差し支えなければ部屋の鍵とかってお借りしても……?」
「いいよ。スペアがあるから」
どこに閉まったか忘れてしまったので、目玉焼きを飲み込んでからあちこちの引き出しを探し出す。
プラスチックのチェストを引いて、でもこんなところに仕舞うわけないしと思って見ずに閉める。
机の引き出しを引いて、けれど文房具の間にも見当たらない。
最終的には小物入れの中から見つかった。……物の多くない部屋でよかった。
「はい。大丈夫だと思うけど、出掛けるときは鍵を閉めてね」
「ありがとうございます。……ミカが言うのもなんですけど、あっさり貸してくれるんですね」
「いまさらだよ。『ずっと家に居ろ』なんて言ったら、ただの軟禁か監禁になっちゃうでしょ」
「それもそうですね。ふふっ」
昨日の白い衣装を着て明るく笑う姿を見ると、やっぱり天使みたいだなと思う。窓から差し込む朝日を受けて、金糸の髪がきらきらと輝く。
「昨日はそれでも問題なかったけど、今日出掛けるときは私の服を着て行きなよ。無理強いはしないけど」
「それではありがたくお借りします。……パジャマは少し大きめくらいだったので、きっと他の服も着られると思いますし!」
「サイズが合いそうなやつ、適当に見繕って着て行っていいから」
「……? どれをお借りしてもいいんですか?」
「いいよ。お気に入りのものとか、特にないから」
「そうですか」
些か腑に落ちないというような表情を浮かべつつ、ミカはチェストの中を探り出す。
ミカの好みがどんなものかにもよるものの、少なくとも今ミカが着ているような服は持っていない。だからこそ着替えを勧めたわけだけれど、昨日みたいに人目を惹かないようにできるのなら、無理に着替えなくてもいいかなとは思う。そう思うようになった。
……あ、でも洗濯は必要か。そもそも洗えるのかな、あれ。
「どの服もセンスがいいですね!」
私の大人しい服は意外にも好評みたいだ。
……まあ、ミカの服もはじけてるのかと言われたら、むしろ真逆なのかもしれない。
「全部ファストファッションだよ」
「そうなのですか……? ミカはそのあたりあまり詳しくないのです」
「私も全然詳しくない」
「なら一緒ですね!」
ミカは安心したように笑う。
私がブランドなんて何一つ知らないのは、この部屋にそれらしきものがひとつもないことでわかってもらえると思う。
「……ごちそうさまでした。美味しかった」
「それはよかったです。ミカはまだ食べ終わってないので、あとでまとめて片付けておきます」
「片付けくらい私がやるよ」
「いいんです。ミカは居候なんですから、それくらいはしないといけません!
それにほら、瑠璃さんは学校へ行く支度があるでしょう?」
「そんなにないよ」
「そんなになくても! 少しくらいはあるはずですよ」
……このままだとミカがまたお説教モードに入ってしまいそうなので、仕方なく登校の準備をする。
とはいっても私は比較的余裕をもって起きる方だし、学校も電車で三駅くらいの近さだ。遅刻したことはほとんどない。
なのでだらだらと準備をしつつ、ミカの後ろから、低いテーブルに向かって食事をしているその背を眺める。
……明らかな異物であるはずの小さな背中は、不思議と、やや無機質なこの部屋に馴染んでいた。
天使ではない少女の詠う 暮並果 @snowafterrain
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