【短編】夜になると現れる怪物

佐久間 譲司

夜になると現れる怪物

 まただ。


 そう思った


 自室のベッドに潜ったまま、僕は壁掛けの時計を確認する。


 時刻は丁度、夜中の十一時を指していた。


 ベッドの中で寝返りをうち、暗がりに潜む猫のように、そっと耳をすませる。


 微かに、音が聞こえていた。パパとママがいる寝室の方からだ。木が軋むような音と、苦しそうに呻く声。声の方は、ママのものに違いない。


 大抵は今くらいの時刻に聞こえてくる音だった。しかし、たまにもっと遅かったり、少しだけ早かったりした。


 僕がこの音に気が付いたのは、十日ほど前、丁度八月に入ってのことだった。夜中にふと目が覚め、トイレに行こうと部屋を出ようとしたら、この音が聞こえてきたのだ。


 その時は怖くてすぐにベッドに戻り、毛布を被って寝てしまった。おかげでおねしょをするハメになり、ママから大目玉を食らってしまった。「またオムツを付けますよ!」と言われた。恥ずかしい。


 それから僕は、夜になると、音に注意を払うようにした。正体を突き止めようと思ったからだ。


 しかし、音が聞こえた日の次の夜は、何も聞こえなかった。その次の日もだった。どうやら、毎日聞こえてくるものではないらしい。これは、頭に書き留めておくべき特徴のような気がした。


 そして、おねしょをした日から四日後だった。再び、あの音が聞こえたのだ。


 発生源はわからない。微かな音だった。おまけに、なぜか、周囲へ漏れ聞こえないように、取り計らっている意図が感じ取れた。


 すなわちそれは、良からぬ企みであることを意味している。僕はそう思った。


 突き止めねば。


 そう決意した僕は、そっと部屋の扉を開けた。僕の部屋だけ畳なので、音がしないように注意する。


 廊下に出ると、音がより鮮明に聞こえた。


 廊下の一番奥。パパとママの寝室からだ。


 僕は、泥棒のように、足音を忍ばせ、廊下を進む。そして、寝室の前まで辿り着いた。


 聞き耳を立てると、はっきりと中から音が聞こえる。間違いなく、発生源はここだ。熱の時にうなされるような声と、ベッドの上で寝返りを繰り返すような音。


 息を殺し、中にいる二人に悟られないよう、寝室の扉を数センチだけ開けた。そしてそっと中を覗く。中は豆電球だけで、薄暗かった。


 そこで、僕は硬直した。薄暗い部屋の中、『それ』がいたのだ。


 怪物だった。


 怪物はこんもりとした黒いシルエットになっており、明確な姿は見えない。しかし、人ではないことを僕は確信した。そして、事もあろうに、その怪物は、ママを襲っていたのだ。


 ママに馬乗りになり、パニック映画の化け物のように、ママを貪り食っていたのだ。木が軋むような音は、怪物が貪る度に、上下に揺れ動き、ベッドが悲鳴を上げている音であった。


 苦しそうな呻き声は、ママが発している。当然だ。怪物に食われているからだ。


 僕は急に怖くなり、震えながらその場を離れた。何とか音を立てずに自室へと戻ることに成功し、ホッと息をつく。


 僕は畳の上にしゃがみ込み、頭を抱えた。


 つい今しがた見た光景を頭に思い出す。


 あれはなんだったのだろう。なぜあんな怪物がパパとママの寝室にいたのか。


 そして、僕は、その怪物に襲われていたママを放っておいて、おめおめと逃げ帰ってきたのだ。男としてすたる行為だ。情けない。


 僕は、顔を上げ、部屋の扉に耳を当てた。まだ音は聞こえていた。むしろ、さっきよりも音が激しくなっているような気がした。


 僕はそこではたと気が付く。パパはどうしたのだろう。部屋の中にはパパらしき姿はなかった。怪物に食べられてしまったかもしれない。


 僕は、ベッドに飛び付き、毛布を頭から被った。震える体を抱き、じっとする。


 眠れなかった。当たり前だ。部屋から数歩離れた所に怪物がいるのだ。しかもそこでママが食べられている。助けられず、ごめんなさい。


 やがて朝日が昇り、目覚まし時計が鳴ったところで、僕は起き上がった。急いでベッドから出る。


 一階へと降り、居間へと飛び込む。そこで、僕は唖然とした。


 そこにパパとママがいたからだ。二人共無事だ。なんともない。


 僕が居間の入り口でポカンと口を開けていると、パパとママが怪訝そうな顔で僕の顔を見てきた。


 これは一体どういうことなのだろう。


 僕は混乱した。


 それからというもの、僕は、毎日、夜中になる度に、パパとママの寝室に注意を払い、あの音が聞こえないかチェックするようになったのだった。



 

 初めて怪物を見た日から十日ほどが過ぎた頃だった。パパとママは仕事なので、僕はいつものように、施設へと預けられた。二人の仕事が終わるまで、ここで皆と過ごさなければならない。


 僕は、午前の手芸の時間に、隣の席にいたアキエちゃんに真夜中の出来事について、相談してみた。


 アキエちゃんは怖い話が苦手だ。アキエちゃんは最初、怯えたような表情で話を聞いていたが、次第に真面目な顔で聞いてくれるようになった。


 アキエちゃんの出した結論はこうだった。


 「怪物を退治しないと」


 アキエちゃんの言葉に、僕の胸は緊張と恐怖で高鳴った。そう、それはわかっていた。しかし、怪物に対する怖さで、意識しないようにしていたのだ。


 僕が怪物を退治する。ママを守るために。


 僕は体が震えるのを感じた。


 午後になり、お歌の時間が終わった後、僕は再びアキエちゃんに、怪物について質問を行った。


 怪物の正体についてだ。


 アキエちゃんは首を振った。わからない。ただ、その時だけはパパの姿が消えているということは、パパが何かしら関与しているらしいとのこと。


 僕は頷いた。これはもう調べるしかない。敵を倒すには、その敵を知る必要がある。テレビドラマか何かで言っていた。


 僕が敵の正体を調べようと決心した時、シンジ君が話しかけてきた。話しかけるとは言っても、それには不快になるような冷やかしの言葉があった。


 シンジ君はアキエちゃんに気があるのだ。僕がアキエちゃんと話をしていたのが気に食わなかったらしい。


 シンジ君が、なじるような言葉をかけてくるが、僕は相手にしなかった。うわの空で返答をする。それが、シンジ君の逆鱗に触れたようだ。強く罵声を浴びせてきた。


 僕の目の前が真っ赤になった。気が付いたら、シンジ君と取っ組み合いのケンカを行っていた。


  職員さん達がすぐに引き剥がしてくれたけど、僕の怒りは中々収まらなかった。これも、例の怪物のせいかもしれない。イライラが溜まっていたのだ。


 やがて活動時間が終わり、施設を後にする。送迎バスで家まで送り届けられた僕は、パパとママの下へと戻った。


 ママは怒っていた。施設の職員さんから、シンジ君とケンカをしたことを聞いたのだろう。


 「ママー」


 僕はママに泣きついた。あれは仕方がなかったんだ。あれは嫉妬したシンジ君が悪いんだよ。


 しかし、ママは許してくれなかった。


 「ママじゃありません! もう知りませんよ!」


 ぴしゃりと言葉を叩きつけられ、僕はしばらく落ち込んだ。


 厳しいママ。それでも大好きなママ。僕はママを怪物から守らなければならない。



 

 僕は怪物に対抗するため策を練ることにした。そのために、まず図書館に行って、情報を集めようと思った。


 幸い、図書館は歩いて行けるほどの距離にあったので、パパやママに送り迎えして貰う必要がなかった。


 僕は、図書館の中へと入った。今は夏休みなので、人が多い。


 僕は普段、利用することもないジャンルの本棚の前にやってきた。そこは、世界の怪奇、伝奇を扱った本が揃えてある。


 僕は、その中から、例の怪物に該当しそうな本を探した。それには、随分と時間を消費してしまった。何せ、相手は正体不明の怪物なのだ。易々と情報を得られるわけがない。


 それでも、何とかいくつか本をピックアップすることができた。


 その本を持ったまま、読書スペースへ行き、設置されている机に座る。


 そして、机の上に本を並べた。


 『ぬえ』『ドラキュラ』『フランケンシュタイン』『キマイラ』


 世界各国の、夜にまつわる怪物達を扱った本である。そのどれもが、表紙におぞましいデザインが施されていた。


 僕はその一つ一つを確認していく。怖いものが嫌いな僕にとって、恐怖に満ちた本を読み進めるのは、お化け屋敷を一人で歩いていることと等しい。


 それでも、一通り目を通し、漠然と怪物がどんなものかわかるようになった。


 『ぬえ』や『フランケンシュタイン』は違う。これは、どちらかというと妖怪やゾンビに近く、夜に怪物として現れる存在には該当しない。


 僕が見繕った中で、一番相応しいものは『ドラキュラ』だった。


 夜な夜な窓から家の中へと進入し、女の人の生き血を吸うのだ。


 僕は、あの夜の光景を思い出した。あれは、『ドラキュラ』がママの血を吸っていたのか。


 だが、『ドラキュラ』に血を吸われたら、その者も『ドラキュラ』になってしまう。しかし、ママは『ドラキュラ』ではない。日光に当たっても、平然としているからだ。


 それに、外から入ってきたとしたら、パパはどうしたんだろうか? 眠ったままなのか。


 いい線行っていると思うのだが、いまいちピンとこない。、か。


 そこで僕の目に、一つの書籍が留まった。持ってきた本のうちの一つで、画集だった。書籍ではなく、大した情報はなさそうだったので、目を通していなかったのだ。


 『夢魔』と書かれた絵画だ。画家名はヨハン・ハインリヒ・フュースリー。ドイツの画家らしい。


 僕は、その本を開く。


 そこで息を飲んだ。


 まさに、そこにあの『怪物』がいた。


 白いドレスに身を包んだ美女がベッドに仰向けに寝ており、その上に、大きな怪物が馬乗りになっている。その怪物は黒いシルエットで覆われ、明確な判別はできないが、禍々しく、人ではない存在だということは、はっきりと見て取れた。


 僕は、その絵画を前に、しばらく硬直していた。


 敵の正体を掴んだのだ。


 こいつが、夜な夜なパパとママの寝室に侵入してきているのだ。説明文を読むと、夢の中から現れるらしい。これで、ママだけ襲われていることにも納得がいく。こいつは、ママの夢だけに取り憑いた怪物なのだ。


 この怪物『夢魔』は、取り憑いた人間の生気を食らうようだ。しかもすぐに殺すような真似はせず、死なない程度に留め、それからまた夜な夜な生気を食いに姿を現すそうだ。


 これで、『夢魔』に襲われていたはずのママが朝、無事だったのも頷けるし、どこか疲れているようだったのも納得できる。


 その後僕は、いくつか『夢魔』に対する情報を集めた。だが、肝心の『倒し方』まではわからなかった。


 しかし、これは大きな前進だった。今までは正体すらわからなかったのだ。これからだ。これから逆襲してやる。もう前みたいに逃げ帰ったりはしない。見ていろよ『夢魔』。


 僕は、『夢魔』を倒す決心をした。




 週明け。八月も中旬に差し掛かっていた。


 僕は、さっそく仕入れた『夢魔』の情報をアキエちゃんに話した。


 すると、アキエちゃんは的確なアドバイスをくれた。


 「夢から現れて襲っているなら、実体があるはずよ」


 僕は思わず膝を打つ。その通りだ。夢の中から生まれた存在だから、てっきり幽霊のように触れることが不可能だと思っていたが、違うようだ。これは、朗報だ。『夢魔』はこちらの攻撃が通じる可能性が高い。


 さすがアキエちゃんだ。頭がとてもいい。僕はアキエちゃんのアドバイスに従うことにした。


 それから何日かかけて、準備を行った。準備とは言っても、用意するものは少なく、日をかけたのは、『夢魔』が現れるタイミングを伺っていたためだ。


 だが、なかなか『夢魔』は現れなかった。これまでは、日をろくに置かずに現れることもあった。なのに、こちらが待ち構えている時に限って、その姿を見せようとはしなかった。


 もしかすると、こちらの意図がばれたのでは?


 そう思い始めた矢先、とうとう『夢魔』は姿を現したのだった。




 僕は、ベッドから降り、音を立てないよう、畳を踏みながら、ゆっくりと扉に近付いた。


 そして、扉をそっと開ける。


 聞こえる。あの音が聞こえる。ベッドが軋む音と、ママが呻く声。


 僕は用意したものを手に持ち、息と足音を抑えながら、パパとママの寝室へ向かった。


 暗がりの中、寝室の前に辿り着く。目の前にある扉を慎重に開けた。


 豆電球のみの薄闇の中、奴はいた。


 『夢魔』だ。


 『夢魔』は、相変わらずママに覆い被さり、激しく動いている。ママの生気を食っているのだ。こんなに堂々と。畜生。


 僕は、部屋の中に聞こえないよう、ゆっくりと息を吐いた。そして、再び大きく息を吸い、止める。


 心の中で、いくぞと声を出す。


 僕は、寝室の扉にぶつかるようにして、中へと勢いよく突進した。


 そのまま、手に持った包丁を前に構え、『夢魔』に突っ込む。


 「ヒッ」


 『夢魔』とママが同時に悲鳴を漏らした。ママの上に乗っていた『夢魔』の胸に、包丁を突き立てる。


 台所から持ってきた包丁は、驚くほど『夢魔』の胸にスルリと入り込んだ。『夢魔』は裸のまま、ベッドの上から転がり落ちた。


 僕は、手に持った包丁に目を向けた。刃に、べっとりと血が付いている。豆電球の中、妙に赤黒く見えた。


 僕は心の中で、やったと声を上げた。


 ベッドの下に倒れている『夢魔』を見る。裸だ。胸からおびただしい血が流れていることが見て取れた。


 そこで僕は目を疑った。それは『夢魔』ではなかった。


 パパだった。パパは胸から血を流しながら、ピクリとも動かない。股間から、どういうわけかちんちんが角のようにそそり立っている。そして、しぼんだ風船のようなものが被さってあった。


 これは、一体どういうことなのだろう。パパが『夢魔』だったのか?


 僕は、ベッドの横で呆然と立ち尽くした。


 悲痛な声が聞こえる。


 「お義父とうさん、どうしてこんなことを……」


 裸のママがベッドの上で、震えながら僕の方を見ていた。ママは血で染まっている。


 「ママのためだよ」


 僕は笑った。


 ママは、怪物でも見るような目で、僕の姿を見た。


 「あなたはお義父さんよ。私達の子供じゃないわ」


 ママは何を言っているんだろう? 僕は怪訝に思う。


 そこで、僕の体にある反応があった。股間の一部が盛り上がっているのだ。こんなのは、感覚だった。


 僕は自身のズボンを下げた。枯れ木のような、しわがれた足に纏わり付くズボンを取り去る。


 性器が隆々とそそり立っている。さきほど見た、パパのと同じだ。


 そこで、僕ははたと気付く。


 そうだったんだ。『夢魔』に取り憑かれていたのはパパだったんだ。そして、パパの中から抜け出て、次は僕にこうして取り憑いたんだ。


 今の僕は『夢魔』だ。


 僕は裸のママに近付いた。


 ママが怯えた表情をした。僕の性器がさらに固くなる。


 僕は、前の『夢魔』がやっていたように、ママに覆い被さった。


    

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