「黄色いおじさん」と事件

結局、早く登校する計画はその一日で中止になってしまった。


──そして、僕はまた、おじさんから距離を置くようになった。


登校する小学生の中にうまく紛れ、「ハイ、おはよう」を無視して横断歩道を渡る。

あの日以降も、おじさんは変わらず挨拶をしてくれていた。

でもきっと、相手も何か思うところがあるんだろう。それ以上、僕を引き止めたりはしなかった。


5日経ち、10日経ち、20日が過ぎた。

こんなに長く苦しい日々は、今までもこれからもないだろうとさえ思った。


僕たちは、気まずさ──いや、それとは少し違う複雑な気持ちを、それぞれ抱えたままだった。



一ヶ月後。

僕は、アスファルトとにらみっこしながら人混みの中を歩く。


…横断歩道が、迫ってくる。


「ハイ、おはよう」


傷口に消毒液をかけたような痛みが、全身を貫いた。僕は唇をぎゅっと噛み締める。


と、その時。


「危ない!!」


叫び声が響き渡る。

ハッとして顔を上げた。

僕の目に真っ先に飛び込んできたのは、横断歩道へ飛び出した少年と、その腕をつかんでいるおじさんの姿だった。

信号は──赤。

おじさんは、すぐに少年を歩道に引き戻す。

その目の前を、車が通過していった。

ほんの一瞬の差だ。


「危ないだろ!!」


耳をつんざくような怒鳴り声。

通行人は足を止め、みんなあっけに取られたように二人を見つめている。


「なんで赤なのに飛び出してるんだ!」


少年は手に「横断中」の旗を持っている。

それで、だいたい見当はついた。おじさんから旗を奪って、そのまま逃げようとしたんだろう。

信号が赤だということにも気づかずに──。


「死ぬかもしれなかったんだぞ!君が死んだら、家族も友達も、たくさんの人が悲しむだろ!」


おじさんが怒っているところを、僕は初めて見た。

いつも仏様のように微笑んでいたおじさんが、小学生に絡まれても決して叱らなかったおじさんが、ちょっと大人しい性格だったおじさんが──。

僕は、今、眼前にある光景が、とても信じられなかった。


おじさんは、まるで別人のような変わりようだった。少年を見つめる眼光は鋭く光り、深く刻まれているシワには威厳すらある。足がすくむほどの迫力が、ここまで伝わってくるようだ。


青ざめた少年は、怯え切った様子で頭を下げた。


「ごめんなさい…」


おじさんは、なお厳しい表情を崩さなかったが、少年から旗を受け取ると、


「…次からは、気をつけてね」


その口調は、表情は、もう元に戻っていた。

そして、ひとかたまりになって動けないでいる僕らの方に、身体を向ける。


「…ハイ、おはよう」


誰も返事をしない。

周りの人たちはぞろぞろと歩き始めたけれど、みんなおじさんを避けるように横断歩道を渡っていく。まるで、おじさんの前にだけ、透明な壁でもあるみたいに。

僕は胸が苦しくて仕方なかった。

無言でその横を通り過ぎながら、意味もよく分からない「ごめんなさい」を、心の中で何度も何度も繰り返した。

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