惰性で生きる

Aoi Midori

面倒臭い

 生きていくということ、やりたいことや目標があるうちは良いのです。それが無くなったとき、生きる意味を考え始めます。私はなんで生きているんだろう?

実際惰性で生きている気がしてしょうがない。生きる理由が無くなっても、死ぬ理由も特に無いのです。自殺なんていろいろ面倒なだけで、後始末も大変らしいですね。それで生きているのかな。事故死なら相手に全て責取らせるとか出来るのかな?


 そして気がつくと生きる理由が出来ています。いろいろな柵が再構築されていくんです。一度全部切ったのに、新しく出来てくるのです。生きている限り、柵は増えていく一方でしょう。


 人の記憶に残らない死に方をしたいけど、既に記憶された分はなかなか消えないでしょう。私が死んでも世界は変わらず、一部の人に影響を与えるだけ。私に関する全ての記録及び記憶を消せるなら、いつ死んでも構わないと思っています。


 生きていくのは面倒臭い。でも頑張って生きてる方には失礼な内容かな。私は既に生きることに疲れているから、今更新しく始めたい事は特に無く逆に減らしていきたいくらいです。


 寿命を分けたり売ったり出来たらどんなに便利かな、問題も沢山あるだろうけど。昔から長生きしたいと思ったことは一度もなく、50歳までには死にたいって思っていました。なんせ最初に自殺を考えたのが小学3年生のときで、流石に理由は思い出せませんがいろいろ考えて思いとどまった事は覚えています。


 私の両親は他界しておりますが、二人ともボケる前に逝けて良かったんじゃないかと思います。人は、というか生物はいつか死ぬ、ただそれが早いか遅いかの違いなだけ。と私は思っています、そのせいか人の死にあまり心を動かされません。とりあえず私もボケる前には死にたいです。


 死はある意味絶望であり、ある意味救いである。



ーー

2023年9月17日

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