第15話
倦怠感と全身の激しい痛みに揺さぶられるようにして、綾女は目を覚ました。
「……おはよう」
ベッドの上に包帯や軟膏を塗りたくられた状態で目を開いた綾女を出迎えたのは巧子であった。ベッドの傍に机を寄せて、綾女の銃を分解清掃しながら彼女が目を覚ますまで待っていた様子であった。
「もしかして花蓮が?」
巧子がいるという事は、どうもこの場所は山神時計店であるらしい。
煙を吸い込んでかすれた声で綾女が尋ねると、巧子は大きくため息をついた。
「いろいろ言いたいことあるけど、まずはあの子にちゃんと謝ってきて。
ボロボロの綾女を泣きながら引きずって来たもんだから、今度こそもうダメかと」
一瞬息を詰まらせた巧子は、直ぐに調子を平静に戻す。
「立てる?」
「なんとか。ねぇ、巧子」
綾女は、巧子のも目元がうっすらと腫れていることに気が付いた。
「いいから、行ってきなよ。
あの子、お医者様が来るまでずっと綾女の傍にいたんだから」
「……ありがとう」
綾女がふらふらと隣の部屋に消えた後、巧子は苦々しい表情を浮かべる。
「あー、私っていい女。
……都合のいい女の間違いか」
涙の浮かぶ目を擦って、巧子は頭を乱雑に掻いた。
巧子は綾女が自分の察しのいい性格を好んでいると知っているから、綾女の前では自分を押し殺してしまう。綾女は巧子の胸に仕舞った何かに気が付いていながらも、巧子のやさしさに甘えてしまう。
二人の関係はまだ、背中合わせで向き合わない。近くて遠いままだった。
あちこちから悲鳴を上げる体と、腫れあがって阻害される視界にうんざりとした表情を浮かべながら、綾女はふらふらと花蓮を探す。
ケガ人であるにも関わらず結構雑に扱われている事に疑問を感じながら、死にかけた手前灸をすえられている気がして綾女は文句を言えなかった。
綾女は明かりのついた部屋をようやく見つけると、こっそりと部屋を覗き込む。
そこには、ランプの明かりに照らされた花蓮がベッドに腰掛けていた。
その華やかな顔は腫れぼったい目や赤らんだ鼻で台無しになっており、綾女が眠っていた間の花蓮の様子を雄弁に語っていた。
あまりにも気まずい。
しかし、ここで声をかけない訳にもいかない。流石に巧子も許してくれないだろうと判断し、綾女は恐る恐る扉の影から顔を出した。
「花蓮さ~ん……?」
花蓮は顎で綾女に指示を飛ばす。
「ん」
「あっち行け、という事ですわね」
「……」
「勿論冗談ですわ、睨まないでくださいまし」
観念して、綾女は花蓮の隣に腰掛けた。
「私が怒ってる理由、分かる?」
花蓮の問いかけに、綾女は遠い目をした。
女性が投げかけるめんどくさい問いかけナンバーワンと目される難問である。
綾女はすまし顔で花蓮の手を取った。
「無粋な問いをしますのね。
私と貴女、二人の夜には似合いませんわ」
綾女は今まで温めていた対女性への隠し玉を繰り出した。
いつか真似したいみたいと思い、密かに読んでいたロマンス小説に則り口説く。
勿論赤黒く腫れあがった顔で効果があるはずもなく、花蓮は綾女の腫れを指でつついた。
「いったい!クソ痛いですわ!何するんですのアイタタタ……!」
体中の痛みに悶える綾女に、花蓮は拗ねる子供の様に呟いた。
「綾女は私たちを馬鹿にしてるんだわ」
「花蓮?」
「だってそうでしょ。
……あんな風に一人で突っ込んで。死んでもいいと思ってるんでしょ!」
綾女は言葉を詰まらせた。それは図星だったからだ。
「っ……!じゃぁ、どうすればよかったんですの!
あの中では私の選択がこの事件を解決する最善手だったでしょう!」
「そんなのわかんない!
私も一緒に戦えばよかったじゃん!」
思わず言い返した言葉に返って来たのは滅茶苦茶な返答、綾女は遂にカチンときた。
「流れ弾一発でも私たちは死ぬの、三文小説とは訳が違うってことがわからないの?
それで死んだ依頼人だっていますのよ!」
綾小路綾女はこれまでケンカをしたことがない。
彼女が罵り合いの現場にいる時、いつも誰かの死でそれは終わる。
唯一の友人である巧子も、綾女の人生の支えとなるこの生き方を否定できずに、いつも彼女に付き添って来た。
だから彼女は子供じみた喧嘩をしたことがない。
綾女と花蓮は、もう何分も言い合いを続けた。
「そんなのわかんない!」
「私にだってわかりませんわよ!」
呼吸が乱れる二人は、暫く荒い息で無言の呼吸をしながら突っ伏した、
なんて無駄な言い争いなのだろうか!綾女は感情的になった自分に呆れた一方で、胸の内の身様に晴れやかな気分にも困惑していた。
誰かに思いっきり胸の内を叫んだことなど今までなかった。
仲直りという言葉が綾女の脳裏にちらつき始めたとき、花蓮が綾女の肩を両手で抱くと、自身と向かい合わせる様に綾女の体を動かした。
「もう、一人で逃げろなんて言わないで。一人にしないで。
綾女が死んだら私だって死んでやるんだから……」
涙を目一杯に浮かべながら、花蓮はそれでも歯を食いしばって、泣き崩れることなく綾女の言葉を待っていた。
花蓮もケンカをしたことなどなかった。彼女の話し相手は暴力的な父親と、その全てが計算されつくした社交界の無機質な人々であった。
「ごめんなさいね。
もう、二度と言いませんわ」
「一人で生きてるなんて思わないで、死んでもいいなんて思わないで。
こんなに楽しい時間があるなんて、勝手に教えた癖に。
無責任よ……」
「善処しますわ」
花蓮の涙は瞼が瞬くたびに落ちて行く。
しかし、花蓮の表情も不思議とどこか爽やかであった。
初めてのケンカは、相手に思いの丈を伝え、受け入れられたのだから。
「ケガもしないで」
「それは無理ですわ」
「……サイテー」
「理不尽じゃなくって!?」
二人は体力の限界まで騒ぎ、巧子に怒られてようやく眠りについた。
同じベッドで、初めての友人と共に安らかな夜を過ごしたのである。
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