第9話

 浜田組はこの国の幕府が倒れる前から存在している。

 もとはと言えばケツ持ちから喧嘩の仲裁が主なシノギであったが、経済や身分が大きな変化を迎えると、浜田組のその波に流され変わらざるを得なかった。

 いまでは権力者の票集めの為に、恫喝をもって組織票をかき集めるなんて仕事も行っていた。今までは選挙なんてなかったのだからこんな仕事が生まれるはずもなかった。

 妙な世の中になったものだと、組長の浜田利一はままならぬ世の中にため息をつく。

「んで、お前らは女2人も捕まえられねぇわけか」

 付き合いのある権力者から、罪の隠ぺいのために女二人を捕まえて欲しいと頼み込まれた浜田は、一般人である権力者の娘を殺さないという事を条件に女の確保に協力した。

 ただの女を脅すという事は浜田の仁義に反するのだが、仁義で部下の飯が食わせられるのなら苦労はしない。

 しかし、結果は女二人にこっぴどくやられたどころか逮捕者まで出す始末である。浜田は組を畳んだほうがいいのかもしれないと本気で考え始めた。

「それで、何名死んだ」

「えっ?」

 なぜか虚を突かれたような反応を返す部下に浜田は苛ついた。

「えっ?じゃねぇんだ。

 相手に銃ぶっ放されて逃げられたっつったろ、死んだ奴らの家族にせめてものお詫びも持って行かなきゃなんねぇし、さっさと言え」


「それが……重傷者はいますが、死人はいないんです」


 憂鬱な気分の浜田の耳に届いたのは信じられない言葉だった。

「なに?馬鹿言っちゃいけねぇ。

 殺し合いの中で相手がご丁寧に急所を外してくれるわけがねぇだろ。

 お前もカチコミに行ったことあるじゃねぇか」

「私もそう思ったんですが……。

 頭、間違いありませんよ。

 さっき部下に確認に行かせたんですが、誰一人死んでませんでした」

 浜田は絶句した後、言葉を漏らした。

「俺たちは何と戦ってんだ?」

 部下は首を振った。

 おそらく妖怪の類だろうと部下は思ったが口にはしなかった。

「それと頭、今回の仕事を頼んできた奴の娘が連れていた女の正体がわかりました。

 何でも屋の綾小路ですよ。

 逃がした部下に『これは貸しだ』と伝言させたそうです」

「奴が絡んでいるのか!

 藤堂め、俺達が渋ると思って隠してやがったな」

 浜田は忌々し気に吐き捨てた。

 綾女の名前は裏社会にもある程度知られている。

 彼女の理想に反すると判断したことは、どんなに深い闇でも首を突っ込んでくる厄介な相談屋。

 彼女を敵に回して思い通りの仕事を行うのは、太陽の下で影を作らないことぐらい難しい事だった。

 浜田は目を閉じ、沈黙した。

「この揉め事からは手を引くぞ」

 ボスの発言に部下は驚いていないようだった。

 すでに被害が大きく出ているし、見返りが権力者との今後の付き合いだけでは綾女を相手にするのには割に合わない報酬だろう。

「頭、いいんですかい」

「面子なら気にするな。

 どちらにせよ、綾小路の存在を隠して俺達に伝えたのは向こうだ。

 こっちはその巻き添え喰らったって話だ」

 綾女たちを時計店への道中で襲った最初の刺客は藤堂の部下だった。それが武器も使わずに撃退されたと知った藤堂は、自分たちの部下がすでに撃退されたという情報を伏せて浜田組に連絡を取ったのである。

 藤堂は裏社会の人間ではない為、綾女の実力を把握していない。部下の失態で面子が傷付くのを恐れての行動だったのだが、結果的にそれは浜田に綾女の存在を隠していたと受け取られてしまった。

「分かりました、皆にそう伝えます」

 部下が出て行った後、一人になった浜田はひとり呟く。

「それに、奴みたいに馬鹿正直に生きられちゃあ、やくざの筋を通す俺が馬鹿みたいじゃねぇか」

 浜田はまたため息をつく。

 藤堂との付き合いを失った後の根回しがこれから待っているのだった。


 浜田組に一方的に綾女と花蓮の捕獲を打ち切られた藤堂は荒れに荒れていた。

 屋敷の装飾を壊しまわり、ようやく気が落ち着いたころには屋敷は目も当てられない惨状が広がっていた。

 しかし、誰も彼を諫めるものはいない。

 普段ストレス発散の慰み者になっている花蓮も今はいない。

 怒りに頭を掻きむしる彼の姿は、まるで悪魔にでも憑りつかれているようであった。

 そんな彼に声をかける唯一の命知らずがいる。

「荒れてんな、旦那」

 藤堂はその声に振り向くと声を荒げた。

「零士!貴様どこをほっつき歩いていた!」

「あんたが今回俺は関わるなって言ったんじゃねぇか。やりすぎるからってよ」

 零士と呼ばれた男は非常に長身だった。190センチに近い針金のような体躯に短く刈り込んだ紙が粗野な刃物を連想させる。

 零士の目には何も映りこんでいなかった、どろりとした暗い瞳で怒り狂う藤堂をただ見つめている。彼にとってこの状況は心底どうでもよいものであるらしかった。

 なんの意図も返さない瞳に吸い込まれるような錯覚に襲われた藤堂は、背筋に寒さを感じ、ようやく怒りを収めた。

「そんで現状は?」

「……浜田組に手を切られた。

 今後の付き合いはともかく、今回の件は我々だけで対処しなければならん」

 へぇ、と零士の声が漏れた。

 ほんの少しその眼に色が宿る。荒事のプロであるヤクザを2人で退けたという事実は零士をやる気にさせたようであった。

 霧崎零士は名の知れたガンマンである。

 貧困街から暴力だけで名を上げ、金さえ積めばどんな者の下にも付いて引き金を引いた。

 相手が弱者であろうと暴力をふるった。

 最早暮らしに困らないほどの金が零士にはある。しかし、どれだけ金を得ても心の空白を埋めることはできなかった。

 満たされない心に首をかしげながら、零士は今も暴力の世界に身を置く。

 今の雇い主は藤堂であったが、零士の躊躇なく暴力をふるう性質をうまく扱いきれず持て余しているような状況であった。

 そんな零士にぴったりの仕事が今回の事件ではないか。

 藤堂は何かあった時の為に零士を手元に置き続けていたことに安堵した。

「零士、仕事だ。

 綾小路と花蓮を捕まえてこい」

「生死は?」

「……問わん」

「それなら楽な仕事だ」

 気怠そうに藤堂に背を向ける零士は、扉に手を添える。

「後で後悔すんじゃねぇぞ」

「……とっとと行け!」

 零士が扉の先に消えた後も、藤堂は行き場のない感情に立ち尽くし続けた。

 娘への屈折した思いは、怒りの中で確かなしこりとして藤堂の頭にこびりついていた。

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