第7話

 朝日が昇り、その高度を頂点に近づけ始めた頃、ようやく店の扉も開き始め街はその目を覚まし始めた。

 綾女はいつもの黒いブラウスとスカートを着込み、三味線のケースを肩にかけて歩いており、花蓮は最近はやりのモダンな服に白い帽子を合わせた服装を見せている。

 二人とも、傍から見ればまるで武装しているようには見えない。

 しかし、綾女も花蓮もその服の下に武器を潜ませているのだった。

 街を歩く綾女には、町民からのあいさつが絶えず投げかけられていた。

「嬢ちゃん、今日も人助けかい?」

「綾女さん、またうちに遊びに来てくださいね」

「おねーちゃん、うちの猫ね、子供が生まれたんだよ!」

 笑顔で向けられる言葉に、綾女も笑顔を返す。

 その様子に、花蓮は感心したように頷いた。

「町の人から尊敬されてるんだね」

 綾女は肩を竦めた。

「どうでしょう。

 ただ、敵意よりは暖かくて嬉しいですわね」

「……意外とドライなのね」

「人の心は移ろいやすいものですわ。

 噂や猜疑心は、あっさりと関係を打ち砕きますから。

 私の心が臆病とも言えますわね」

 最後におどけて見せた後、綾女は頬を掻いた。

「あ~……、ごめんなさいね。

 貴女にはつい話過ぎてしまいますわ。

 普段はもうちょっと、楽しい話ができますのよ?」

 花蓮は首を振った。

「貴女の事、何も知らないから。

 もっと聞かせてくれたら嬉しいんだけど」

 綾女は驚いたように息を詰まらせたが、直ぐにいつもの様子でにこりと笑った。

「口説かなくたって、報酬は無理のない形で構いませんわ」

 花蓮は不本意を口にしようとし、ため息にそれを変えた。

 花蓮が綾女の事を知りたいと思う反面、綾女は依頼人との心の一線を引いている。

 出会って一日の、それも助けてもらっている身の花蓮がこれ以上綾女の内心に立ち入ることは酷く傲慢なことに思えた。

「すぐそういう話に持っていくんだから。

 そんなこと言うなら、限界まで渋っちゃいますからね」

 脇を突き、二人は笑った。

 花蓮は社交界の女であり、綾女の意図を読み取らずにはいられないのだった。

 内心の落胆を隠しながら、花蓮は話題を変える。

「これから向かうのは、佐久間宝石店だよね?」

「えぇ、大木氏のネックレスの購入履歴を確保しておきますわ。

 貴女が持ってきたネックレスと証書が合わされば、貴方の証言と合わせて証拠としては十分なはずです。

 後は警察に掛かる圧力に対抗する工作ですが……ここは私の腕の見せ所ですわね」

 二人は顔を上げた。

 佐久間宝石店という名の彫られた大きな看板の掲げられた店内にはだれもおらず、何かを聞きこむには絶好のタイミングである。

「早起きの甲斐がありましたわね」

 店内には、1人の店員が客を待ち構えていた。

 綾女と花蓮が入店すると、営業スマイルですり寄ってきた店員はすぐに平常の顔に変わる。

「事件ですか、綾小路さん」

「話が早いですわね」

「貴女が宝石に興味があるとは思えませんし」

「今将来の顧客を一人失いましたわよ」

 気安いやり取りを交わした店員は綾女と旧知の仲であるようだった。

 その男性定員は、花蓮の顔を見ると険しい顔を浮かべた。

「まさか、今回の調査は」

「えぇ、藤堂氏について調査していますの」

「綾小路さん、今日の朝刊をご存じですか?」

 首を振った綾女に、店員は囁くように小さな声を発した。

「昨日大木氏が藤堂氏の家の前で死亡しているのが確認されました。

 警察は自殺の線で調査を進めているとのことです」

「家の“前”?」

「自殺って……!」

 青ざめた顔で花蓮は綾女と顔を見合わせた。

「さっそくもみ消しに掛かりましたわね。

 大方、藤堂がでっち上げた筋書きをそのまま警察が採用したってところでしょうけど。

 これは、中々にグロテスクですわ」

「お父様は、手段を選ばない。

 ……だけど、こんなのって、酷すぎるよ」

 定員はただならぬ気配を察した様だった。

「綾小路さん、手早く済ませてしまいましょう。

 今回は何を?」

「昨日、大木氏はこの店でネックレスを購入したはずですわ。

 その購入履歴を記した帳簿が欲しいのです」

「それは難しいですよ。

 お客様の信用問題にもかかわります」

「人の命がかかっています。

 ……それに、恐らく藤堂氏も証拠を先に抑える程度の頭はあるはず。

 私が証拠を取るか、彼らが証拠を取るか、それだけの違いですわ」

 しばしの沈黙の後、店員は頷いた。

「貴女には命を救われました。

 信じましょう、直ぐに取ってきます」

 店員が持ってきたのは一枚の紙だった。

「他のお客様の名前は塗りつぶしてあります。

 大木氏がなぜ死んだのかは詮索しませんが……、あの方には随分よくしていただきました。何か彼に不都合なことがあったのなら、それを白日の下にさらしていただきたい」

「ありがとう、必ずそうしますわ」

 綾女は懐にその紙を仕舞うと、店員と硬く握手を交わした。

 父の恐ろしさを思い出していた花蓮は、ふと寒くなった背中に背後を振り返る。


 そこには、銃を構えた男達がずらりと店を包囲していた。


「綾女っ!」

 悲鳴のような花蓮の叫び声が飛ぶより早く、綾女は動き始めていた。

 片手で花蓮の手を引きつつカウンターに手をつき、ふわりとカウンターの中に飛び込む。

 花蓮が転がり込むようにカウンター裏にしりもちをついたことを確認した綾女は、、背中に吊るしていた三味線のケースを開き、盾の様に自身の前に掲げた。

「私の背中に隠れて!」

 綾女の叫びは、四方八方から雪崩れ込む銃声にかき消された。

 店のガラスがけたたましい音をかき鳴らして砕け、店内に雨の様に煌きながら降り注ぐ。

 暫く経って銃声が止んだ後、恐る恐る店員と花蓮は伏せていた体を上げた。

「嘘、もしかして生きてる?」

「まだ早いですよ、もしかしたら、もうあの世かも……?」

 お互いに頬をつねり、その痛みに涙を浮かべて頬を抑える二人に楽器ケースを盾にした綾女はただ呆れていた。

「バカやってないで緊張感を持ってくださいまし」

 所々窪んだケースの内側からは、内装を破った銀色の仕込み鉄板を晒していた。

 この楽器ケースは銃撃戦を想定して、銃器を隠し持つことだけではなく、銃弾を防ぐための盾になれる様に鉄板が隠されていたのだった。

 銃撃は乗り切ったが、状況は何一つ改善していない。

 綾女はケースからライフルを取り外し、銃剣を着剣すると弾を込める。

 ボルトが薬室に弾丸を送り込み、敵を吹き飛ばすスタンバイを終えた。

「花蓮、彼を連れて裏口から逃げてくださいまし。

 私はあの無作法な連中にお灸をすえてきますから」

男たちが、店内の様子を確認するために続々と店内へ足を踏み込んでくる。

 時間的猶予は残されていない。

「でも……!」

「心配しないで、これが私の日常ですから」

 花蓮は、自分が綾女にささやかな反感を抱いたことに気が付いた。

貴女は確かに、この場面を一人で乗り越えられるのかもしれない。

だけど、そうやって貴女を一人で残し、貴女を失った人がどう思うかなんてこれっぽっちも考えていない。

 一度自覚した現状への怒りは、ふつふつと彼女の心を沸き立たせる。

『それは貴女のエゴじゃない』

 父へ反抗するのか?

 彼女の心がささやいた。

 碌なことにはならないぞ、抵抗なんてやめておけ。

 鳴り止まぬ心の警告を、彼女はついに振り切った。

 目の前のこの人を助けたい、花蓮の心を占領するのは、何よりもその一心だった。

花蓮は綾女が身を乗り出し、襲撃者たちの視線が彼女に集まった瞬間、別角度から立ち上がった。

太腿のホルスターから抜いた44口径が、2つの大きな口を敵に向けている。

大仰なマズルフラッシュと、弾丸の暴風が吹き荒れた。

まるで回転砲塔のように旋回しながら、花蓮はハンマーとトリガーを動かし続ける。

体に寄せたコルト・ドラグーンの火力が、散らばった12発の弾丸として店内の敵を蹴散らした。

一瞬呆気に取られた綾女だったが、この好機を見逃さない。勝機を嗅ぎ取った嗅覚に身を任せ、銃剣と主に外の敵へと駆け出した。

「ったく無茶して!これだからトーシロは!」

 悪態をつきながら、一筋の弾丸の様に店を飛び出した。

 綾女に気づいた男の一人が銃口を向けるが、綾女は即座に発砲する。

 ライフル弾の威力は拳銃弾とは非にならず、男の肩を吹き飛ばした。

 その間に綾女は店を外から包囲していた男たちの懐へ飛び込んでいた。

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