26.互いの感情・ニ

「……あのシー師傅に参ったと言わせるなんて……」


 黎華はそう言いながら感嘆のため息を零していた。

 当然だが、二人の会話の内容は届いてはいない。

 隣に座したままの沈梓昊シェン・ズーハオには聞こえていたのか、小さく苦笑している。


「きゃあぁぁ~っ! 沈英雪シェン・インシュエさま~!!」

「素敵~! こっち向いてぇ~~!!」

「こちらを見て~! あたくしのほうへ向いて~っ!」


 両者が距離を取り一礼を終えた後、周りから歓声が上がった。

 それと同時に、侍女たちからも黄色い声が上がり、沈英雪の周りに色とりどりの花が舞う。

 女性が男性に好意として贈る物の一つだが、ここでは侍女たちにも多少の花丹が備わっているので、自力で花を生み出して彼に投げているのだ。

 沈英雪はその花の一つをゆっくりと拾い上げて、頭を下げていた。

 するとさらなる女性たちの悲鳴が上がり、さらに場が賑わってしまう。


「……まぁ、普通に考えて、あれだけ美人だとね……」

「ちなみに、あれが尹馨イン・シンだと完全無視だぞ」

「え……」


 ぼそり、と思わずの本音が漏れてしまった。

 するとそれをきちんと耳に留めていた沈梓昊が、楽しそうに笑いながら言い添えてくる。


「姫さん、尹馨のことは美男だとは思わなかったのか?」

「い、いえ……それはその、大層な美丈夫だと……思いました」

「そうだろ? だから普通にどこ歩いてても、女から声が掛かるんだ。でも、全く色気が無くてなぁ」

「……そうなのですね」


 そんな話を聞きながら、黎華は何となくその光景を想像できてしまう事が不思議だった。

 尹馨の事は何も知らない。

 知っているのは、優しいところと唇の温かさだけ。

 それなのに、尹馨の反応や行動がなんとなくわかってしまうのだ。


「……尹馨のこと、かなりお好きですね?」


 沈梓昊がいつの間にか目の前にいた。

 顔をのぞき込んで、楽しそうに笑みを浮かべている。


「沈梓昊……」


 黎華はその言葉に、言い返すことが出来なかった。

 どうやら何もかもが筒抜けらしい彼と沈英雪には、何も言い繕えないと感じているのだ。


「姫さん、かわいいですねぇ」

「……あの、あまりからかわないで下さい」

「そうじゃないさ。俺も特別な奴はいるけど、それでもちょっとぐらつきそうになるくらい、あんたは綺麗だぜ?」

「…………」


 物凄い事を言われた、と思った。

 普通に聞けば、おそらくは口説き文句と捉えてしまうだろうと思えるほどの言葉並びだ。

 黎華もやはり素直に照れてしまい、彼から目を逸らしてしまう。


「――沈梓昊、何をしてるんですか」


 冷ややかな言葉が飛んできた。

 その言葉が無ければ、沈梓昊は黎華に近づきすぎていただろう。興味が勝り『姫』に言い寄る形となっていた彼は、苦笑しつつ黎華から距離を取る。

 声の主は沈英雪だった。

 彼を見れば、静かに怒りを湛えているように感じて、黎華も思わず竦んでしまった。瞬時に室内が寒くなったのも、気のせいでは無いのだろうと思う。

 それと同時に、確信へと至る感情を得た。


「……沈梓昊シェン・ズーハオの仰る『特別な方』は、沈英雪シェン・インシュエですね?」


 黎華は迷わず、彼らにそう言ってみせる。

 その言葉に、沈梓昊は楽しそうに笑みを作ったままだったが、沈英雪は動揺したように見えた。


「姫は余計な事を考えず、尹馨の帰りだけを待っていれば良いのです」


 沈英雪のそんな態度を受けて、黎華は思わずの笑みを零してしまった。

 普段、表情を動かさない人だからこその動揺は、解ってしまうとやはり楽しいと思えてしまうのだ。


「二人がとても頼りになり、そして打ち解けやすい方たちで、安心しました」


 そう言いながら微笑む黎華は、美しい。

 改めてそれを目の前で確認してしまった黒と白の従者は、僅かに複雑な心境に陥り、苦笑するしかなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る