15.便り

 黎華リー・ファはその晩、久しぶりに深い眠りへと導かれて、心身ともに癒された。

 翌朝、早くに目覚めると、昨日までの不調が嘘のごとく体が動くようになっていた。


「……あれ? なんか、誰かいたような気がするんだけど……」


 ゆっくりと起き上がると、額に乗ったままだった布が乾いてパサリと落ちてくる。

 それを手に取りまじまじと見た。見かけない布だったのだ。


「霊力……もしかして、これが熱を吸い取ってくれた……?」


 布に手のひらをかざすと、やはり知らない気配が残っていた。僅かに感じるのは霊力だ。

 何かを問いかけられ、自分も何かを問いかけた。


 ――尹馨イン・シンかと、尋ねてしまった。


 予想は出来ていたが、欲しかった返事は得られなかった。

 『姫』が出会ったばかりの男に懸想している――そんなことが広まれば、周囲がややこしいことになる。特に、チャン家とワン家が迫ってくるだろう。自分たちを差し置いて、などと言ってくるかもしれない。適当にあしらえばいいのだが、相手が権力者である以上、色々と難しいのだ。


(ん、待てよ……そういえば最近、張のオヤジも王のジジィも、顔見てないな……)


「誰か」


 色々と思案している間に、黎華はふと重要な事に気が付き、控えている侍女を呼びつけた。

 二大権力者たちが、訪ねてきていないのだ。


「張様、王様から何か頼りは?」

「それが……外では少々物騒なことが起こっておりまして……」


 呼びつけに応じた侍女が、頭を低くしながらそう言っていた。

 黎華が最近の事情を把握できていないのは、体調不良で臥せっていたためだ。だがそれでも、以前までであれば何かしらの情報が嫌でも耳に飛び込んできていた。やれ見舞いだの、高級な薬や侍医だのと両家ともうるさかったはずなのだ。


「物騒な……? 何かあったのですか」

「私どもも詳しくは分かりかねるのですが、まずは両家ともに護衛が消え、それから夜に妖獣が出るようになった、とか……」

「護衛が……まさか、尹馨さま?」


 彼と出会った時、自分は張家の護衛だと言っていた。

 あれからすでに一月ほど経っているが、張家の動きが鈍くなったのは半月前くらいかと考える。王家にも凄腕で美丈夫な男が護衛に立ったという話を聞いていた。他の侍女たちがその話題で色めきだっていたのを憶えている。

 護衛が消えた――まさか尹馨とその王家の護衛が衝突したのだろうか? だとすればもっと話題になるだろうし、消えたという表現は当て嵌まりにくい。

 妖獣の類は珍しい事ではないが、彼らはあまりヒトには介入しないはずだ。

 だが、自分は宮を出られない以上、何も知ることが出来ない。


「……あの、姫様?」


 黎華が眉根を寄せつつ思わず胡坐をかいて考えていると、先ほどの侍女が声をかけてきた。

 付き合いも長い女性なので、黎華を男だとも知っているし、普段の態度も心得ている人物でもある。


「ああ、ごめん……なに?」

「その、卓の上に何か」

「……え?」


 侍女の視線の先を追うと、自分の傍の卓がある。花瓶を置く台として使っているもので、その花瓶の底に挟めるようにして何かが置かれていた。

 黎華はそれに手を伸ばして、見慣れない小さな巾着と文らしいものを手に取ってみた。


「……、ごめん。少し外してください」

「はい、わかりました。程よき時にまたお呼びくださいませ」


 黎華がその手紙に視線を落としたままで、侍女を下がらせた。彼女も、何かを感じ取ったのか素直に一礼をして室を出て行った。


 文の主は、尹馨だった。

 開く前だったが、何故かそう確信できてしまった。

 黎華は一呼吸してから、その文をかさりと開いてみる。


 『――黎華リー・ファ様。

  お元気ですか。先日はあなたに失礼をしてしまい、申し訳ございません。

  体調などはいかがですか。お会いした際、少々お疲れ気味なのが気になりました。

  厚かましいとは思ったのですが、一つの薬を届けさせてください。花丹を安定させる効果があります。

  もう一つは、街で見かけた夜明珠をあなたにと加工しました。気に入りましたら佩玉はいぎょくとしてお使いください。


  それから、私は少々事情がありましてしばらくこちらの霊峰を離れなくてはなりません。

  あなたに再び会うとお約束しておきながら、事後の報告となり申し訳ございません。

  必ずまた、戻ってまいります。


  そしてまた、あなたにお許し頂けるなら、お目通りできますことを願っております。

  外では僅かながらに不穏な動きもあります。私の信頼を置ける人物を二人残していきますので、何事かありましたら右手の池にこの文を浮かべてください。


  あなたの無事を祈っております。


  尹馨イン・シン


 文にはそう綴られていた。

 当たり前だが、彼の筆跡を初めて見る。しっかりとした筆運びに、綺麗な文字であった。

 黎華はその文字一つ一つを人差し指でなぞり、ほぅ、と息を吐く。

 そうして、水色の小さな巾着を開けて、中身を確認した。文の内容どおり、薬包と加工された夜明珠――蛍石が入っていた。


「……尹馨」


 黎華はその加工石を静かに握りしめた。

 何の便りもないまま、一月。張家の護衛なら割とすぐに会えるだろうと思っていた。

 だが実際は、その予想は大きく外れた。しかも文面からするともう、彼は霊峰自体からすでに居ないのだろう。


「尹馨のばか。嘘つき。どうせ俺のことなんて……」


 そう言う黎華の表情は、言葉とは裏腹であった。頬は染まり、口元は緩んでいる。

 嬉しかったのだろう。

 あんな僅かな時間で自分の体調を見破られてしまった事もそうだが、尹馨という男は並みの存在では無いのだろうと改めて思う。花丹を安定させる薬を贈ってきたり、高価で貴重な夜明珠をわざわざ加工までして贈ってきたり、すべて黎華の体の事を考えてのことだ。

 夜明珠には元々、調和と活性の霊力が宿っている。置物ではなく身につけるものとして加工してきたところから言っても、花丹のことを第一に考えてくれている証拠だ。

 出会っただけ、唇が触れただけ。

 それだけなのに、既にこんなにも愛おしい。

 尹馨もそう思ってくれているのだろうか。彼がくれた髪紐を、黎華が肌身離さず持っているように彼もまた、自分の渡した簪を持ってくれているだろうか。


「会いたい……早く、帰ってきて……」

 

 祈るように、握りしめたままの夜明珠へと唇を寄せる。

 昨夜、自分の傍で僅かに看病してくれた存在は、おそらくこの文面にある信頼のおける人物なのだろうと思った。

 きっと今この瞬間も、どこかで様子をうかがってくれている。

 そう確信して、黎華は文を抱きしめながら、寝台の上で頭を下げていた。

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