12.大蛇
「……このあたりだとは思うが」
村から人の歩みで二時間ほどの距離だ。林の先に山肌が崩れ穴のようなものが見える。
山道から僅かに外れている為、実際は人は近づかないはずだ。
『――誰かと思えば、お前か
「!」
低い声が
直後、尹馨の倍はある影が彼を覆い、ずるりと何かが降りてくる。
――大蛇だった。
「そうだろうと思っていたが……やはりあなたか」
尹馨はそう言いながら、ひらりと地上へと降りた。
それに続くようにして、大蛇も岩肌を伝って地へと降りる。
「……村人から噂を聞いたんだが」
『それなら、俺様じゃないぞ』
「ここはあなたの根城だろう。まさか何か変化が?」
『……さほどの問題ではないんだが、二月ほど前あたりに『何か』が放たれてな。山頂の
見た目はどう見ても化物、と言うにしっくりくる大蛇は、人語を介しさらには尹馨とは顔見知りのようであり、少々呆れ声で言葉を続けていた。
「何か、とは?」
『まぁ、俺様と同類……いや、あれはなんていうか、邪なるモノだな。何匹かは俺様が倒したんだが』
「変容するんだろう?」
『そうそう、どでかい犬の時もあれば、猪だったりもする』
長い舌をちょろりと出してはそんな事を言う大蛇を見つめつつ、尹馨は眉根を寄せていた。
『邪なるもの』だとすれば、絞り出せる存在がいる。
だがそれは、早計すぎる考えだ。
『…………』
黙り込む尹馨に、大蛇がその体をゆっくりと動かして、顔を近づけてきた。
それに驚き、尹馨は瞬きをする。
「……なんだ」
『いや、なんか雰囲気が変わったなぁと思ってな』
「そうか? 別に何も……」
『俺様を誤魔化すなよ
大蛇は包み隠さずそんな言葉を声を張り上げて言った。何故かは分からないが確信している上にとても嬉しそうだった。
ちなみに尹馨を字で呼ぶのは、その名がこの地にちなんでいるからだ。
対して、直接的な言葉をぶつけられた当人である尹馨は緊張感が一気に削がれてしまい、思わずのため息を吐いた。
「あなたは……もう少し言葉を選んで欲しい」
『あははっ、悪いな。何しろ久しく人語なんて話さなかったからなぁ。……でも、否定はしないか』
「……どうだろう。女性ではないしな」
『それはつまり、相手も雄ってことだよな? 別にいいんじゃないのか? 雌じゃなくても嫁に出来るし、子も残せるぞ!』
「だから、あなたはどうしてそう話を飛躍させるんだ……」
尹馨が呆れながらそう言うと、大蛇は楽しそうに笑いながらその場で
そうして一しきり笑った後、ふぅと息を吐きこぼして、また口を開く。
『お前が人の
「…………」
『……なぁ、もっと胸を張れ。お前はずっと苦労してきた。たくさん死にかけたし、今だってあまり変わりないだろ。だったら、やっと見つけた
大蛇の言葉に、尹馨は小さく笑みを浮かべた。
嘲笑などではなく、心が穏やかになっていくそれであった。
「あなたといると本当に退屈しないな。……わかった、出来るだけそうしてみる」
『なんか進展あったら絶対教えろよ! 俺様はずっとここにいるんだしな』
「そうだな」
大蛇は元々、この山の主であった。
普通の蛇が永く生きて妖仙となった一般的な存在であり、今も一匹でこの地を守っている。
尹馨と知り合ったのも、その永きを生き抜いてきた間の出来事だ。
「……話を戻してすまないが」
『ああ、さっきの『何か』だろ。俺様も色々と気になってるんだが、お前は何を思った?』
「…………」
尹馨はその問いに答えることが出来なかった。
大蛇はそれを見て、目を細めている。
ちょろり、と舌を出した後、ふむと一度小さく唸ってから体を動かした。
『――言いにくいなら、俺様が言ってやろう。お前を呪った
「!!」
大蛇はそう言った。
そして尹馨は、その言葉に激しく反応した。直後に視線のみで何かを訴えようとするも、ゆるく首を振って否定する。
『まぁ、何を言いたいかは大体は分かるが……』
「……いや、良いんだ。俺もそろそろ向き合わないといけない」
『大丈夫なのか。今日も山頂の様子を見に来たんだろ?』
「俺の事は心配ない。それよりあなたに余計な負担をかけていると思えば、その方が申し訳ない」
尹馨の言葉を受けて、大蛇はまた笑った。
『馬鹿だな、お前は。俺様の事は駒の一つでいいと前にも言っただろ』
「――蛇王よ。それは言わない約束だ」
『ならば言い方を変えるぞ。お前は俺様の友だ。友のために行動することは当然であって、間違いではないだろ』
大蛇はそう言いながら、己の頭を尹馨の傍へと寄せてきた。そうして彼の頬を撫でるようにして眉間あたりを押し付けてくる。
尹馨はそれを素直に受け入れて、大きな彼を抱きしめるようにして両腕を上げた。
兄のようでもある大蛇は、尹馨にとっては弟弟子たちとは少しだけ違った立場で、救いとなってくれている。それを再確認して、尹馨は静かに笑った。
「いつも、ありがとう……」
『お前はもっと自分を労われ。そして俺様を頼れ』
大蛇の頼もしい言葉に、尹馨は黙って頷く。そうして、一拍を置いた後に顔を上げて、山道のほうへと視線をやった。
いつの間にか、空は橙色に染まっている。
「……麓が暮れてきたな。周囲を見回ってくる。今晩はあなたと共に過ごそう」
『そいつはいい。今までの土産話を聞かせてくれ』
そんな会話を交わした後、尹馨は一旦その場を離れて大蛇の根城を中心に見回りと結界を施し、その日の夜は大蛇と語り合う為に時間を共にした。
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