10.拠点にて
「なぁーんで、ヤらなかったんですか」
そんなとんでもないことを言うのは、
目の前に出された盃を口につけようとしていた
ここは、沈梓昊の拠点としている廃屋だ。
見た目は廃屋のままだが、寝泊まりをしている室内だけは綺麗に整頓されている。
その奥の間の空間で、卓を囲み情報共有を含めた遅めの夕餉を取っているところだった。ちなみに、
最後に会った時の姿はきちんと後ろにまとめてあったのに、ここに戻ってきた時に髪紐もなく乱れていたのが、個人的に許せなかったらしい。
「……なんでお前が、それを言うんだ」
「えー、だって。俺見てましたもん」
「私は、やめなさいと言いました」
「…………」
悪びれもなく自分の行動を明かす沈梓昊と、背後で自分の髪を梳いてまとめてくれている沈英雪は、二人きりにしておくとすぐに喧嘩を始めるが、実のところは仲が良い。
沈英雪のさらなる告白に、尹馨は呆れ顔になった。
注意をした、という事は彼も一緒に尹馨の行動を見ていた事となる。
自分の為によく働いてくれる二人ではあったが、行き過ぎた行動は何とかならないものかとつくづく考えてしまう。
「普通はあのままなだれ込むってのが男としての務めでしょー? あぁ、勿体ない」
沈梓昊は酒がすでに回っているのか、尹馨に対して容赦がない。ちなみに、言葉通りで本気で勿体ないと思っているところが、手に負えないところだ。
「……
「まぁそうですけどね。……でも、実際のところ、どうなんです?」
「どうとは?」
「姫さん、尹馨に適う存在でしたか」
沈梓昊にそう言われて、尹馨は小さく肩を震わせた。
それに気づいた沈英雪は、静かに笑みを漏らしている。
「……
「すみません、どうぞ続けてください」
二人の『弟弟子』は、何かと自分を煽ってくる。
何より慕ってくれている証拠なのだが、尹馨はこの煽りが若干苦手だ。
「……答えないと駄目なのか」
「それはもちろん」
「私も聞かせて頂きたいです」
とりあえず、確認の為に問いかけるが、二人ともそろって笑顔でそう返してきた。
こうなると、尹馨が折れるしかないのだ。
「噂通りの姫だったよ。……外見も、心も、綺麗な子だった」
尹馨が少しの間を置いてそう言えば、沈梓昊も沈英雪も、楽しそうな笑みを浮かべた。
そして、さらなる言葉を無言で要求してくる。
「お前たち……」
「いやー、いいじゃないですか。好きになっちゃったんでしょ?」
「それは……」
「師兄があれほど情熱的に接する姿など、見たことありませんでしたよ」
見ていたのであれば、改める必要などないだろう。
そう、言ってしまいたかった。
それでも尹馨は諦めの境地でゆっくりと口を開く。
「――あぁ、俺は……あの子が好きだ」
尹馨のその言葉を卓を挟んで向かいで見ていた沈梓昊は、待ってましたとばかりに卓を叩いて喜んだ。そして新しい酒を自分の盃に注いで、一気に口に運ぶ。
対する沈英雪は、感極まって真っ白の袖で目の端を拭っている。ちなみに、尹馨の髪は彼によって丁寧に新しい髪紐で纏められていた。
「…………」
二人の反応に、告白をした側の尹馨は、とても複雑な心境である。
「んで、姫さんに何か残してきたんですか?」
「花丹の補充を、少しだけ。本人に気づかれない程度にだが……」
「……他には、何か感じませんでした?」
「お前の情報どおりで……黎華の命は随分削られていた」
尹馨の静かな言葉を受けて、沈梓昊は盃を置いた。楽しそうな表情は一変して、真面目のそれになる。
「早く会えたのはいいですけど、問題は山積みですね」
「……私としては、早めに王家と張家を排除してしまいたいのですが」
音もなく移動し、自然と沈梓昊の隣に腰かけた沈英雪が、自分の本音を交えての意見を続ける。
そんな二人の光景を見ながら、尹馨は苦笑した。
「取るに足らない相手のほうが、余計に厄介だ。……権力者という立場もあって、表立って動くことも憚られるしな」
「うーん……怪異騒ぎでも起こして、ちょいと脅しかけてみます?」
沈梓昊がそんな提案をした。
彼はすでにこの考えを練っていたのだろう。
「その『怪異』は?」
「何のための俺たちだと思ってるんです。『?
「そうか……なるほど」
尹馨は沈梓昊の言葉の意味を理解して、頷いた。
この二人は本当によく自分に尽くしてくれる。何も見返りが無いのに、それでも真っ先に尹馨を思って行動してくれるその事に、感謝せずにはいられない。
「俺も協力出来たら良かったんだが」
「大師兄はシャレにならないので、おとなしく『剣士』でいて下さい。どうせ、この後移動するんでしょ?」
「そこまで読まれてるのか。お前には適わないな……。明日、いや……明後日には一旦こちらを離れる予定だ」
そう言いながら自分の盃に酒を入れようと徳利へと手を伸ばすと、沈英雪がすかさず身を前に出して尹馨の代わりに酒を注いでくれる。それを有難く受け止め、ゆっくりと喉を潤した。
「姫は淋しがるでしょうね」
「……そう思ってくれれば、俺も嬉しいが」
「簪を受け取っておきながら、何を言ってるんですか。彼はあなたの残した髪紐を片手に、毎日泣き暮らすでしょう」
「あの子はそんなに弱くはない」
困ったように笑いながら、尹馨はそう言った。
だが、沈英雪の言葉を完全には否定しきれない部分もある。
――なんでも、なんでもない……。
そう言って涙をこぼしていた黎華を思い出す。
あれは、色んなものを我慢してきた表れだ。弱さを見せまいと必死に耐えているものが、尹馨との触れ合いで少しだけ崩れたのだ。
「黎華……」
思わず、名を呼んでしまった。
それを目の前で聞いていた二人は、目を丸くする。
そして直後に、二人同時に笑い出した。
「ははっ、ほんとに傑作ですよ尹馨!」
「師兄のこんな姿を見れるとは……」
心の声を漏らしてしまった尹馨にとっては、またもや複雑な心境になってしまう。
だが、それで自分の意思も明確になった。
出来る限りの事を進めていかなくてはと決意する。
「――
「任せてください。花丹のほうも、どうにか出来るように策を練っておきます」
「私も同じく」
沈梓昊と沈英雪は、揃って尹馨の前に両腕を出し、一礼をする。
それから三人は、様々な相談を重ねた。
夕餉後、尹馨は一つの文を書き一つの贈り物を用意し、沈英雪へとそれを預けるのだった。
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