芝生に落ちる光のような言葉たち

橙真らた

足元

*カクヨム甲子園2022の創作合宿用で公開したショートショートです。一度非公開にしたやつですが、ここで再掲。






 気がついたときには、もう手遅れだった。


 人生17年目で初めて恋を経験し、間もなくして実り、それから全ての日付を一周した頃、それは跡形もなく静かに崩れ落ちた。本当に呆気あっけなかった。

 一瞬の出来事だった。いつもの場所、いつもの時間、いつも通りの日常。それがいつの日か終わりを迎えるかもしれないなんて疑わなかった。

 この日も彼と並んで、朝の光を全身に浴びながら川沿いの通学路を歩いていた。流れる川の水が太陽の光を乱反射してキラキラと輝いており、夏に相応しいまぶしさを感じられた。私の心も同じように、もしくはそれ以上に幸せだという気持ちを輝かせていた。ゆえにだろうか。浮かれていた私は、近づいてくる雨雲に気付かなかった。


『もう別れたい。ごめん』


 それが彼から聞いた最後の言葉だった。

 意味が分からなかった。その言葉がはらむ意味を汲み取ることができなかった。

 鼓膜を揺らした音が脳内で反芻はんすうする。やがて音という形は実体を持たない意味だけを残して消えていく。

 普段だったらそれを冗談と受け取り、背中を叩いて彼の「痛い」という悲鳴を聞いて笑いあうはずだ。意味を察してしまった私の心はそれを認めることを拒んだ。


 脚が動かない。何かの呪いにかかってるみたいに、体が言うことを聞いてくれない。

 彼が遠ざかっていく。待って、まだ行かないで。しかし声が出ず、それは頭の中で響くのみ。徐々に小さくなっていく彼の背中は、手を伸ばしたところで無意味に宙を掻いた。嫌だ、待って、行かないで……。


 そして願いむなしく、曲がり角に消えていった彼の姿はもうこの目では捉えられなかった。


 彼に追い付こうと向けていた視線が足元へと落ちていく。地面には濃い斑点が散見できる。ポツリという音が重なっていき、斑点同士が結合する。いつの間に降り始めたんだろう。


 再び彼の声が頭の中で木霊こだまする。なんで……、どうして、そんな急に……。

 体に力が入らなくなって、その場に膝から崩れ落ちた。彼の、いつもより低く、感情の読めないトーン。それが指すものを本能的に察してしまったのか。冗談と受け取れなかった。急すぎると思った。私が、何かしてしまったのかな。

 無様な私を責め立てるみたいに雨足が強くなる。もしかすると彼の言葉は、急すぎるものではないのではないか。思い返せば、それは明白だった。最近手を繋いでくれなくなった。通話も出てくれなくなった。笑顔を見る回数が減った。代わりにどこか朧気おぼろげな表情を見ることが増えた。そうだ。全部そうなんだ。

 予兆がなかった訳じゃない。ただ自分の気持ちしか見てなかった私はそれに気付けなかった。それだけの話なんだ。

 顔を温かい水が伝う。雨、ではなかった。なに、私、泣いてるの? なんで、私のせいなのに?

 自分が泣いているなんて認めたくなくて、零れる涙を拭うことはしなかった。そんな意地など知らずに涙はとめどなく溢れる。傷心ゆえに認めて拭ってしまえば、さらにその勢いは増し、遂には声までもが漏れてしまう。抑えようとしても、あふれる感情の波が容易く意志を崩壊させる。

 雨雲の存在に気付かなかったみたいに、彼との思いのすれ違いも、浮かれてる私は気付こうとすらしなかった。それが全てで、今になってその報いを受けたんだ。

 痛みを伴うほどの豪雨が私を打ち付ける様は、後悔と罪悪感に押し潰されそうな私をそのまま表してるみたいだった。

 ふと視線を上げる。彼と毎日一緒に歩いた道。視界を覆う雨粒の大群がそれを塞いでいた。 私にこの道を進む資格はない。後悔に縛られている私を嘲笑あざわらうように、周囲から水の打つ音が鼓膜を揺らす。

 私の道は、完全に閉ざされた。

 それに気付かず、足元を見ず気の赴くままに彼を追い求めた結果。手遅れだった。

 気付けば私の足元に、道はなかった。

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