ウーロン・シニア・ヒーローズ
唯六兎
第1話
高層ビルの間に逃げ込んだ僕は、息も絶え絶えになりながら走り続けた。人払いの済んだ町とはいえ、建物を踏みつけることには少なからず抵抗がある。とはいえここで止まると僕は死ぬ。それ即ち国民の危機だからどうしようもない。
振り返ると地を這う怪獣が目前まで迫っていた。黒々としていて目はやけに丸っこい。不気味な風貌だが、皮膚の頑強性はたかがしれていた。
僕は地を踏みしめて振り返り、怪獣と相対した。
「発破!」
僕が手を振りかざすと同時に、ビルの屋上から弾が放たれた。ドリル機構を取り付けた弾は怪獣の皮膚を食い破り、内へ内へと入り込む。怪獣がグオオンと咆哮をあげたのを合図にビルが二つ根元から爆破され、両端から怪獣の頭を捻り潰した。
変身限度に達した僕は胸の縮小ボタンを押し、ぜいぜいと息をしつつ体を縮こませた。今日もなんとかなったと安堵しながら、本部の連絡を受ける。
「這型、生命反応消失しました」
「他に反応は」
「ありません。想定通り一体で終わりです」
僕は砕けたアスファルトに横たわり、救急隊を待った。
怪獣は地面から生えてくる。詳細はよくわからないが、マントルの辺りから浮上してくるらしい。その対策として古代から現代にかけ怪獣対策本部は成立した。
本部の主な仕事はヒーローの補助と怪獣の存在把握である。怪獣出現の数日前から熱が発生する場所があり、怪獣はそこに出現する。本部はその場所の特定、そして規模や周期から怪獣の種類を調べる。その情報をもとに唯一のヒーロー「ブルー」である僕が主導し対策を立てるのだ。
ヒーロー適合者は今のところ僕しかいない。少子化の煽りを受けるのはヒーローも例外ではないらしかった。
「ところで、脊型はどうですか」
「昨日と変わりません。あと一週間で出現予定です。まあブルーなら余裕でしょう」
「過大評価しすぎだと思います……」
出現まで一週間もあるというのにもかかわらず、脊型は長野の山間部に脊椎を露出させて大規模な山火事を起こしていた。消防ヘリが今朝も出動し延焼を抑えているが、脊型を倒さない限りには鎮火できないらしい。
しかし、待てど暮らせど脊型に関する情報が出てくることはなかった。いつもならすぐに本部から上がってくるのだが、本部曰く前代未聞の怪獣かもしれないという話だ。それで情報もない中戦えというのだから、ヒーローの酷使も甚だしい。
「今までの怪獣には情報あったのに。もっと調べてくださいよ」
「言われずとも調べてます。何か分かればお伝えします。それでは」
ぷつんと切れる無線に、本部は薄情だ、と思う。どうせ軽く調べるだけ調べた後、引き継ぎもまともにせずに中途半端に押し付けてくるに決まっている。歴史ある本部といえども仕事ぶりは所詮その程度なのである。
僕は大地に寝そべったまま瓦礫の隙間から西陽を見た。じきに今日も終わる。
翌朝、ヒーロー大学附属の病院から出た僕は、幾つものレッカーに引っ張られる這型を見た。樹木とフェンスに覆われた広場には見物人が集まっていて、聞き耳を立てるにもうじき解体調査が始まるらしい。見たい気持ちは山々だが僕は病院の敷地をそのまま抜け、ヒーロー資料館に向かった。
ヒーロー資料館の裏口は街路樹の影になっていて涼しかった。緑色の鉄扉を叩くと眼鏡をかけた職員が顔を覗かせる。
「お待ちしていました青山さん。どうぞ中へ」
職員は扉を開け、館内の冷気に包まれた僕を貴重書庫へと案内した。
長く薄暗い階段を下ること数分、ようやく貴重書庫のあるエリアに到着した。貴重書庫の分厚い扉は既に開かれていて、その前には大勢の職員が待機している。
「では皆さん始めましょう。くれぐれも破損はないようにお願いします」
黒服の男がそういうと、今か今かと待ち構えていた職員がゾロゾロと書庫に入っていた。彼らは図ったかのように資料の保管棚に向き合うと、黒服が手を打ち鳴らすのを合図にどっと資料を手に取り始める。僕も資料を一つ開き、その今にも崩れそうな具合にふと慄く。
「この図像は鎌倉と室町のものですか。脊型……」
「違う違う、それ別種だよ。雷に打たれて死んだっていう」
「あの資料取ってちょうだい。赤い背表紙の」
「ああ、江戸の怪獣図ね。ところでこのエレキテルベンダって結局何さ」
「知らない。お酒?」
僕が開けた黄色い資料は昔の怪獣図だった。もちろん、脊型の詳細が現れることはない。資料をしまい、また別の資料を手に取る。
「戦国、明治の時代は血気盛んね。怪獣肉の大盤振る舞いもあって」
「平安の人は逃げ惑うばかりで」
「先史時代も分かればなあ」
「あの、戦時中の記録はないんでしたっけ」
「あるにはあるけど、数が……」
聞き耳を立てていた僕は職員に声をかける。
「あの、戦時中の記録を探しましょう。少ない記録から」
「わかりました。みんなにも伝えましょう」
戦時中の記録がこれほどまでに少ないのは、他国への対処が優先された為だと東都大の教授は言っていた。勿論ヒーローは戦時中も各地で怪獣を倒し続けたはずだが、それらが記録されることはなく、多くの怪獣出現が無視されたという説だった。
職員は三人一組で一つの資料をあたった。指と発言が飛び交うが大体は否定され、ページが次々繰られていく。
「これは。少し違和感が」
「いや這型の特徴だろうよ。こっちの方が変じゃないか」
「これは亞型っすよ。次」
そうしたどこかヒリついた空気を肌に感じながらも、僕が資料のとある一ページを繰ったときだった。地方新聞のその片隅、小さく戦地の情報に埋もれるようにして、『燃える大怪獣、山脈横断』の見出しがあったのだ。
「ああ、これ、ちょっとちょっと、来てください!」
僕の驚いた声に職員の手がピタと止まり、半信半疑のままに寄って来た。彼らは僕の指先にさされた文字を見るや否や、乾いていた目を潤ませ始める。
「燃える怪獣なんて、まるで、いや、まさに脊型じゃないか……」
「こんな細かい記事よく。黄と赤と青の英雄が撃退ですって。撃退法は、書いてない」
「肝心なところが。おい、いつの記事だ」
こぞって欄外の日付を見る。
「一九四三年……。丁度八〇年前か」
古いは古いがまだそこまで古くはない。であれば、どこかに情報が残っている可能性も十二分にある。途端に空気が和らいだ。職員は無事次の調査に移れることに安堵しているようだ。黒服はすかさず指示を出す。
「じゃあそっちは大体八十年周期で資料をあたってください。特に八十年前の資料は集中的にお願いします。小さい記事も見逃さないように頼みますよ。で、青山さんは……」
「任せてください。当時のヒーローを探してみます」
僕は職員を見てこくりと頷いた。
僕はすぐに本部に連絡し、世界規模での資料収集を依頼した。北から南まで、各国各地の大使館が途端に動き出す。ただ、ヒーローや怪獣の資料は重要な国家機密であり、多くの国において閲覧手続きに一週間以上はかかるはずだ。早く早くと急かしても各国の冷たい反応が返ってくるだけであろうことは安易に想像がついたが、それでも国内だけで動くよりかはずっと安心感があった。
これからどうしようと考えながら、ただいつまでも答えは見つからぬまま、僕は一人、暑い日差しの中を歩く。
八〇年もの歳月が経っているのだ。いくらヒーローといえども寿命は人並みで、生死も定かでない人をどうして探そうか僕には見当もつかなかった。一つつてがあったりすると芋づる式に知れることなのだろうが、そのきっかけも僕にはない。本部にもそうした情報は残っていないらしい。
そんなことを考えながらも、僕は図書室の自習机で昔の小説を読んでいた。なんてことないものの中にこそ何かしらのヒントが見つかるような気がしたのだ。もちろんそんなものが都合よく見つかるはずもない。小説一本読み終えた頃にも、相変わらず元ヒーローを見つける方法を問う声が頭に響いている。
僕は読み終えた小説を棚にしまう。その横には作家、木戸弦一郎の小説が数冊並んでいた。僕はそのうち一つに手をかけた。表紙には雲から顔を覗かせる太陽とそこに佇むヒーローのシルエットが印刷されている。
「これしかないのか」
あまり気乗りはしなかったが、気づけば奥書にある出版社に電話をかけていた。図書委員に注意された僕は軽く会釈し、そそくさと図書室を出る。
「と言うことでお伺いしたのですが、何かご存知のことはありませんか、木戸さん」
木戸は眉間に皺を寄せながらタバコを燻らせていた。その煙は僕を取り巻き、つい咳き込んでしまう。それを見た木戸は急いでタバコの火を灰皿の底でねじ消した。
「すみませんね、つい癖で……」
タバコの火は最後の煙を登らせ、儚く消えた。
「あの、僕が元ヒーローと関係があるってどういうことですか、青山君」
「僕、木戸さんの小説をよく読むのですが、ヒーローものが多いですよね。まさに『ヒーロー文芸の先駆者』。よくメディアで言われている通りで……」
「まあ、それはそれは……」
「で、その話の内容が実に過去の記録と一致しているんです。例えば『冬の戦争』の中でブルーがイエローを見殺しにしますが、これは一九九三年のイエロー引退の真相を土台にしたものですよね。こっちの『テキーラ・ヒーロー』でレッドがテキーラを飲んで戦うのは、一九八〇年から五年間担当したレッドのルーティーンと一致します。全部記録でしか、あるいは直接聞くことでしか知れないことです」
「それか、たまたま設定が現実と合ってしまった、とか。有り得そうですがね」
「それを言われては、おしまいですが、そんな確率的に……」
すっかり困ってしまった僕を見て、木戸は豪快に笑って見せた。顔をしかめた僕に、木戸はまあまあと手を振る。
「ごめんね青山君、やっぱり本物には敵わんな。それにしてもよく僕の作品を見てくれている。本物に見てもらえるなんて光栄だね、ヒーローものを書いててよかった」
笑う木戸の前で僕は苦笑いをする。からかわれた若干の腹立ちと、どこか少しの嬉しさが僕の中で滲み出る。僕は少し引け目を感じながらも木戸に尋ねた。
「基本ヒーローは引退したらすぐ秘匿される存在です。一体どこでお知り合いに」
すると木戸は首を傾げた。
「どこでも何も、怪獣対策本部直々の打診だよ。知らんのかね」
「どういうことでしょうか」
「もう三十年も前になるか、怪獣対策本部は一旦解体されたんだよ」
「解体ですか。もしかして、イエローの死亡事故と関係が」
「大アリさ。本部に侵攻してきた怪獣を追い払おうと無茶したイエローが死んだことで、本部は物理的に破壊されてね。で、再建しなきゃいけなくなった。どうせ再建するなら市民の皆さんにも開かれていたほうがいいってことで、私に依頼が来たわけだ」
「それでヒーローものを書き始めたんですか」
「そのとおり。もちろん僕も物書きの端くれなもんだから、国におもねってばかりいられなかったがね。で、その過程の中で、本部から元ヒーローの取材を許可されたわけだ。情報も全部、僕の手元。まあ、結局本部からの連絡は途絶えたから、僕の勝手に、ね」
顎を撫でながら、僕は今までのことを思い返していた。本部の対応がどこか雑だったこと。元ヒーローの安否や居場所を記す情報がなかったこと。全ては三十年前の本部崩壊に伴って人員や情報が散逸したことによる所為だったのかもしれない。
「ありがとうございます、貴重な話を……」
「いやいや、逆に今まで本部がこのことを伝えていなかったことに驚いた。まったく、適当な仕事をするようになったもんだ……」
そう言いながら、木戸は赤いソファに座り直した。
「で、青山君の頼みは八十年前のヒーローに会いたいと」
「はい。一週間後に出現予定の怪獣について聞きたいことがありまして」
木戸は難しい顔をする。
「まあ、連絡先は持ってるんだけど……」
僕は木戸が言わんとしていることを察した。
「もしかして、先方に何か」
「歳が歳だから、ちょっと」
「構いません。何かヒントが得られるかもしれませんし」
木戸は頷いた。席を立ち、デスクの引き出しを開ける。
「じゃあ、場所を教えるから……」
「あの、もしよければ少し不安なので、同行願えませんか……」
強引に割り込んだ僕に、木戸は少し笑った。
「じゃあ今から。思い立ったが吉日だから」
僕と木戸は新幹線に乗りながらずっとトランプをしていた。木戸は僕の持ち札を一枚引く。あからさまに嫌な顔をする。木戸は手札をシャッフルし、僕に提示した。僕は一枚一枚反応を確かめ、目の動きを追い、引く。ダイヤのエースが手元に揃うと、ポイとテーブルに投げ捨てた。
「木戸さんトランプ弱いですね」
「僕が弱いんじゃなくてね、君が強いんだよ。さすがブルーを担当しているだけあるってもんだ。そういえば代々ブルーは知的で心理学に明るかったとか」
「過大評価ですよ」
そんなことをしていると、あっという間に駅に着いた。思いの外楽しんでいたことを知り、自分のことながら驚く。
「さあ、向かおうか」
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