推理編1
女中に呼ばれた兵士二人は、彼女に案内されて例の部屋に入った。実はこの二人は見張りの最中というわけではなく、見張りを怠けていた所だったのだが、人が倒れているとなれば赴かないわけにもいかなかった。仕事が適当でもそのくらいの正義感はある。
「……うん。死んでるな」
「ああ……」
兵士達のうち無口な方が、伯爵の呼吸がなく心臓も動いていない事を確認すると、陽気な方はその場で手を合わせて祈りを捧げた。
「そうですか……私はどうすれば」
女中が静かにそう言うと、無口な男は立ち上がって腕を組んだ。
「とりあえずそこにいろ。しばらく状況を確認する。質問するかもしれない。ちなみにお前の名前は」
「マノン・ル・ルーと申します」
女中マノンは丁寧に礼をしながら名乗った。ん、とぶっきらぼうに無口な兵士は返事をして、改めて遺体に目をやる。
「伯爵って言ってたけど、これ誰?」
「シェロン伯爵だよ、アルム!」
「なんでマノンよりお前が先に答える」
陽気な兵士は無邪気な子供のように得意気な顔をした。
「シェロン伯爵様は、元々こちらのお住まいではありません。ご自分のお屋敷が郊外にありますし、ご親族はそちらにいらっしゃるそうです。私は伯爵家の女中ではなく、この宮殿に仕えている者ですが、シェロン伯爵様は五年前から国王陛下のご意向でこちらで暮らしていらっしゃいます。その部屋付けの一人が私です」
マノンは丁寧に説明した。それを聞きながら、同僚にアルムと呼ばれた無口な男、正式な名をアルマンという男は、遺体のそばにしゃがみ込んだ。
「そうか。で、如何してこうなった?」
水浸しの床を見ながら彼がそう言うと、マノンは俯きながら語り始めた。
「先程まで、伯爵様は陛下主催の会議に出席しておられました。その間に掃除をしていたのですが、ご覧の通り、バケツをひっくり返してしまって……慌てて雑巾を取りに行っている間に、帰っていらした伯爵様はきっと床が濡れていると気付かずこのようなことに……」
「足を滑らせた、か」
「君のせいじゃないから、気にしなくて大丈夫だよ」
陽気な兵士ディディエはマノンの顔を心配そうに覗き込みながら声をかけた。それをよそにアルマンは遺体を避けて遺体のそばの棚の前に立つ。棚の上にばらばらに放置された手紙に目をつけた。
「一通だけ開いてる。死ぬ直前に読んだのか?」
「きっとそうだと思います。私が離れる時、手紙はそこにはありませんでしたから……」
アルマンは手紙を置き直すと、マノンに下がって良い事を伝えた。
「お部屋はこのままで?」
「ああ、俺達が処理しておく。あ、お前その雑巾だけ置いて行ってくれるか。後でこの床も拭いておく」
どうぞ、とマノンは雑巾を手渡して部屋を出ようとした。
振り返ったすぐそこに、いつの間にか人が来ていたので、マノンは咄嗟に声を上げた。それを聞いたその人物は微かに口角を上げた。目の表情がわからないのは、彼女が目隠しを巻いていたためである。
「驚かせたみたいでごめんなさい。目が見えないものであまり距離が正確にわからないから」
「いえ……申し訳ございません、セシル様。失礼致します」
盲目のセシルはマノンが出ていくのをわざわざ振り返らずに付け足すように言った。
「女中さん、バケツは持って帰らなくても良いの?」
マノンはぴたりと足を止めた。
「……バケツなら、こぼしてしまった時に洗濯場に持って行って、つい置いてきてしまいましたから」
「そう。それなら良かった」
行きなさい、とセシルが言うと、今度こそマノンは去っていった。
アルマンは終始意味が分からずにそれを見ていた。
「お前は誰だ。何でここに来た?」
「アルム、セシル様だよ。公爵家のお嬢様!」
どうしてここに来たのかは分からないけど、とディディエは何故か笑って言った。顔が広く噂話をよく知っているディディエは、セシルが去年起こした、あるいは起こされたとも言う、王太子との婚約破棄騒動についても良く知っていて、聞いてもいないのにアルマンに無邪気に説明をした。アルマンが流し聞きした末に、本人の前でその話ができるの凄いなと返事をすると、ディディエは子供のように得意げな顔をした。褒めてはいない。
「ドアが開けっ放しになっていて、死んでるだのなんだの言っているから、つい。事故にしては不自然なのも気になって」
「ねえセシル様、どうしてバケツをあの子が持ってないのがわかったんですか?」
「音」
目が見えなくなると耳が良くなるのが自分でもよくわかる、とセシルは淡々と答えた。
「……事故にしては不自然って言ったか?」
「手紙が一通だけ開いてるって言ったでしょう。あの言い方だと、別に遺体が握っていたわけじゃないんでしょう。握っていたならそれを読みながら死んだ事なんて明白だから」
「棚の上に他の手紙と一緒に落ちていた」
「だとしたら、やっぱり少し変。シェロン伯爵の女癖といったら有名だから……どうせその手紙、みんな女性から受け取ったものでしょう」
「……当たり」
アルマンは改めて手紙の差出人を確認して言った。姓を見るに、恐らくその全てが貴族の女である。
「そういう男が……それも、欲深くて、我慢の効かないような男が、一通だけ手紙を開けて立ち去ろうなんて、そんなことよっぽどの事がなければしないと思う」
「そういうこともあるだろ」
アルマンはディディエと遺体を一度部屋のより広い所に退けてから、マノンの置いていった雑巾で床を拭き始めた。
「アルム、僕も手伝おうか、すごい濡れてるし」
「一枚しか無いんだよ、雑巾」
「……一枚しか無いの?」
反応したのはセシルの方だった。
「何が気になるんだ」
「彼女、お掃除しに来たんでしょう。しっかりバケツを持って。普通バケツとセットで雑巾も持ってくるでしょう。それで掃除中にバケツを溢した。一枚だけで拭くには水が多すぎる。もう一枚取ってこよう……ということじゃないの。わざわざ元々持ってきていた雑巾を持って帰る必要なんてないから、最低でも二枚はあるのが普通じゃない」
彼女が何か嘘をついていないなら、とセシルは言った。それからしばらく、白い巻毛の覆う頭に指をぐりぐりと押し当てながら考え込む。考えながら、何処かに座りたいのだけど、と言ったセシルに、アルマンは手を引いて一先ず部屋の中の長椅子に座らせた。
やがて何かを閃いたようにぴくりと僅かに姿勢を良くしたセシルは、舌を鳴らしながら指をちょいちょいとしてアルマンを呼んだ。
「彼女を探してちょっと聞いてきてちょうだい」
「……ん」
「僕は?」
「あなたはここに居なさい。ついて行っても仕方がない。何かあれば他の事を頼むかもしれないし」
「セシル様と一緒でいいんですか!?」
素直な男は喜んで長椅子の隣に腰掛けた。アルマンが出かけると同時にセシルは少し深呼吸をしつつ脚を組み直して伸びをした。
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