第46話 母と柿の木

昨日、母の所に行くと「柿の枝が切りたい」と言う。

隣のおうち方向に伸びているのが気になる と。

てっきり、「私が切る」って話だと思い表に出ると

「私が切るのよ」と言って梯子を昇り出す母(89歳)。

昇ってしまったものを引摺り降ろすわけにも行かず、オロオロハラハラしながら、梯子を押さえて見守る事

小一時間。言い出すと聞かない。そしてやり出すとしつこい。始めは小型ノコギリで調子良く切っていたが、10センチほどもある太めの枝を切ろうとし始め

途中で止めて「鋏をくれ」と言う。太枝の先の細枝を鋏で切り始めたので、その方が良かろうと 身を乗り出して切っているのを見守り、漸く終わったかと思ったら、また太枝をノコで引き出す。「太枝切るねらその先の細枝を切る意味がなかろう」と、やりたいままに子供の様にやっているなぁと見ていると

手を若干上に上げて10センチの枝を切るのは流石に無理 と気付いた様で、諦めていた。(良かった)。

そして、名残惜しそうにあちこち、さして必要もなさそうな細枝を切りながら、左手にノコギリ、右手に鋏を持って梯子を降りるわけだが、膝痛で正座が出来ず、膝を曲げて踏ん張れないはずの人が梯子を降りて来るわけだから、危ないに決まっている。「隣のおばちゃんは一人で梯子に昇って落ちたらしいのよ。私も一人ではやらない様にしてるの」

他の兄姉なら、私の様にボーっとしてはいないから、母より先にさっさと梯子に昇り、母は見守るしかなかっただろう。私は母を止められない。それを見越して母に利用されたな と思いつつ、まぁ無事だったので良しとする。やりたいままにやって、ストレス解消にはなったでしょう。

梯子の下の方は少し段が広くなっていて、膝で踏ん張らないと降りられない。そこだけ何度か手伝って

無事降りて来た母に「少しは年の事も考えて下さいね」とありきたりな事を言うと「年の事なんて考えてたら何も出来ない」とこれもどこかで聞いた様な返事が返って来た。まぁね、そうなんだけどね。

もうすぐ越してしまうこの家で、梯子に昇るのも

隣へ伸びる柿の枝を気にかける事も 

きっとこれで最後だ。

限界を超えてやり切った母は「少し寝るわ」と言ってグーグー眠った。2時間位かな。

私が昼風呂に入って出て来た後もまだ寝ていて

姉からの電話で一旦起きたが、その後も眠り

元気になって、夕方、明日葉を茹でてくれた。

そして「ここにいて植物を見たり採ったり出来るのは やっぱり良いわね」と言った。

永遠に続くのではないからこそ、その良さに気付く。母は以前、「庭の世話をするのは限界だ」とも言っていた。伸びて行く枝を毎年毎年切る と言うのは

「それが好き。続けたい」という自覚がなければ

続けて行くのは難しい。母の場合は「好きだけど面倒くさい」と言うのが本音なわけだから、思い切って庭から離れるのは、正しい選択になるだろう。

高い枝を進んで切ってくれていた父は、もういないのだ。姉2人が現にやっているように、集合住宅のベランダに好きな草木を並べたら良い。

庭木の豊かさ、幸せの象徴「木漏れ陽」はなくなってしまうが、管理出来る範囲には収まるだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る