第6話
ソファの位置を戻して飯を食い、暫くして五月雨の隊員が数名やってきた。配達業者に変装しており、うち一人が帽子を取ってヱマと話した。
「ざっと見た限りでもデータに損傷はないので恐らく出てくると思います。まあ公安がこれだけ動いても見つからない相手ですし、一筋縄では行かないでしょうが」
軽く振り返り、黒い袋に詰められていくのを見つめた。それから思い出したように懐を探る。
「これ、そこに落ちてたやつです」
くるりと回転させてグリップの方をヱマに差し出した。先程投げたリボルバーだ、「ありがとう」と笑顔で返して受け取った。
「……まだ襲ってこないとも限りません。彼らの消息が途絶えたとなると貴方が生きている事もここにいる事もバレる、そろそろ移動した方がいいと思いますよ。五月雨は少し難しいので、公安とか」
彼女の言葉に考慮していたのか、軽く腕を組みながら肯いた。
「やっぱ無理があるよなあ。俺的にはここが安心できんだけど……」
うーんと顎を触って考える。すると何か思いついたのか、あっと声を漏らして顔を上げた。他の隊員に指示を出していたが振り向いた。
「あの病院、確かいけるはずだぞ。ノア使ってんなら尚更」
それに書類上婚約者ならば難しい事は何もない。帽子を被り直した相手も笑顔を咲かせて肯いた。
「あそこならまずバレないでしょう。警察と公安両方が関わってますし、流石に殺し屋でも難しいと思います」
都内でも有名な病院だしセキュリティ面でも心配はない。ヱマは早速連絡すると言ってデバイスを操作し、五月雨隊員は荷造りが完了すると順次運び出していった。
病院側はすぐに承諾してくれた。何より南美の精神面に大きく関わるからだ。人工生命体のノアは患者のストレスに左右されやすい性質を持つ。
ヱマははじめちゃんに事の次第を告げ、ここは完全に無人にすると言った。修理代は先に電子マネーで払い、荷物を纏める。
「拳銃は……南美が使ってるやつにしよう」
リボルバーでもいいが弾の問題がある。彼が一番装備している警察仕様のものを金庫から出し、幾つかのマガジンと共に適当な鞄に放り込んだ。タクシーを呼んであるので格好はいつも通りのものに着替えている。
「よし、これで大丈夫なはず……」
事務所の事は完全にAIとロボットに任せた。まさか南美のいる病院に隠れたとは思わないはずだ。そう自分の判断が間違っていない事を祈りつつ、無人タクシーの後部座席で昂った気持ちを抑えた。
日付が変わる前に病院に到着した。ロータリーは敷地内にあるので周りからも見えない、事前に連絡を受けて看護師が一人出迎えてくれた。
「こちらとしてもありがたいです。患者のストレスも減りますし、軽いリハビリぐらいなら琉生さんにやってもらった方が南美さんも気楽でしょうから」
疲れた笑みを浮かべる。入院患者ではないのでそこまで過干渉される事もない、ヱマは通されたシンプルな個室で荷物を片付け、その日はそのまま眠った。
病棟にあるフリースペースでデバイスに耳を当てた。ちらほらと入院患者がおり、隅っこの方で声を潜めた。
「そっちの方は大丈夫なんすか」
通話の相手は境井だ。一応礼儀を通しておいた方がいい。あの若い鉄砲玉の事を告げたあと問いかけた。
『まあとりあえず落ち着いたで。こっちの死人は出んかったが、流石に向こうには何人か出てしもうたわ。とち狂って川に飛び込む阿呆もおったしなあ』
嘲笑う声に視線をあげる。窓の外には都心の景色が広がっていた。
「全部、タオティエに関係するもんなんでしょう」
ヱマの低いトーンに境井は肯いた。
『酷い高揚感を覚えて、尚且つ強なった気いになる。幻覚やー幻聴やーゆうまぼろしはないが攻撃的んなって誰彼構わず襲うバーサーカーになり果ててまう。儂らのように暴力団やら警察、大和は格好の餌食ってわけや』
だからそこかしこで交番や大和の支部が襲われている。
「そのうえ依存性、中毒性が高くて見た目がキャンディーみたい、か 」
『最悪やなあ! こんな治安のちの字もあらへん腐った世の中で安く簡単に手に入るんやから、そりゃ若い連中が飛びついて然るべきやな』
タオティエによる事件のなかには実親の殺害、会社の上司への傷害、地下鉄での無差別的な暴行等があり、鬱屈としている人間程ターゲットにされていた。しかもネットが主流となっている今、軽い気持ちで購入する者も勧める者も多い。
『……幾ら儂らヤクザもんが裏社会に睨み効かせとっても、若い連中は表社会におりながら簡単に黒い事をする』
境井の嗄れた声に肯く。
「ああ。だから余計に厄介なんだよ」
ヱマの溜息に一つおいていつも通りの声に戻した。
『まあ、精々タマとられんようにの。ヱマちゃんが死んだら儂、悲しくて泣いてまうわ』
全く気持ちのこもっていないふざけた声音に「どーも」と短く返して通話を切った。デバイスを軽く操作し肩を落とす。例えタオウーの元凶を殺したところですぐには収まらないだろう、そう考えると怒りを通り越して面倒くさい気持ちが勝ってくる。
「ヱマさん」
憂鬱とした表情がふっと明るくなる。振り向くと少し痩せた南美がいた。すぐに立ち上がる。
「お前、歩いて大丈夫なのか?」
既に点滴も外されており、身軽に見えた。ただ体内ではノアが不眠不休で動き回っている。
「ええ、寧ろ運動不足になるから少しでも歩けと……」
苦笑いをこぼす彼に同じように笑った。
「んじゃ、散歩でもすっか」
スカジャンのポケットに手を入れ、口の中でキャンディーを転がした。平和なくらい静かだ。病棟の屋上には二人以外誰もいなかった。
紙巻タバコを指で掴みふっと息を吐いた。一日一本なら喫煙を許されている、味わうように咥えた。
「前から思ってたんだけどよ」
不意に話しかける。咥えたまま「はい?」と返した。
「なんでキョウカに冷たく当たるんだ? 好きだってのは知ってんだろ」
寄越された視線に「あー」と声を漏らした。その時に煙がぷかりと出ていく。
「諦めてほしいんですよ。単純に。田嶋本人からは高校の時から今まで一回も告白された事がないんで、冷たくするしかないんです。それに私も彼女の立場は利用したいですし……」
ベンチの硬い背もたれに身を預ける。その横顔を一瞥しポケットから手を出した。頭の後ろで組む。
「なるほどなあ。まあもう殆ど諦めてんだろ。年齢も年齢だし、それに、」
ヱマと南美のあいだに肉体関係がある事は知られている。ある時から対応が若干だが素っ気なくなった、田嶋の仕事以外は不器用な性格を思い返し「なんだかねー」と呟いた。
「あの顔と性格でしょう。誰も彼も怖がって近づかんくて、人間関係は今でも下手くそなんですよ」
ふっと煙を吐き出す。「それに名家だし」と小さく付け加えた。暫く沈黙が流れたあと、ヱマのデバイスが震えた。電脳内での通知は切っており、外部デバイスのみに設定しているからだ。
「ん」
席を立って通話に出た。相手は早坂だ。
『やっほ、災難だったね。まあ幾ら殺し屋でも君には勝てなかったようだけど、お陰で色々と発掘出来たよ。詳しいデータは電脳の方で送る』
「ありがとう。頼む」
早坂は何かを飲みながら話しているようで、ぷはっと息を吐いてからすらすらと述べ始めた。
『まず殺し屋なのは間違いない。それぞれ個人で程々の実力……中堅ぐらいかな。まあそのぐらいだから、正直琉生さんには勝てないね。南美さんも不意打ちじゃなければ回避出来たかも』
『報酬額というか、賞金額は百万プラスタオティエ十粒。彼らは雇われじゃない、誰かが設定して幾つかの殺し屋に情報を渡した。だからタオティエに興味もないし殺す理由もないベテラン共は参加してないんだろうね。君ら両方で百万だからね? 割に合わないでしょ』
『んでその情報元はなんとか突き止めた。かなり危ない橋だったなー、まあ陰山長官と仲直りしてくれたみたいだからいいけど』
相変わらずへらへらとした調子で緊張感もクソもない。ヱマは「それで」と先を急かした。
『さっき言った通り詳しい事は後で送る。ただ一つ言えるのは、相手も、君を探してる』
すとんっと耳の奥まで響いてくる。ぎゅっとデバイスを握った。
「南美の時と一緒って事か。唯一本人を見た生き証人……」
名前が出てくると顔をあげた。僅かに見える横顔を静かに見守る。
『そうなるね。まあ君の場合は目的が分からない、南美さんのように見られてるから殺したいのかそれとも単にサイコパス的な、快楽殺人者的な理由で探してるのか。どちらにせよどこかのタイミングで現れると思う。それを公安と大和でどうにか押さえ込みたいんだよね』
構図は南美の時と丸っきり同じだ。然し猿の青年は分かりやすかった分リスクも少なかった。
『あたしの技術が上回ってたのかは分からないけど、でもあれだけ公安でも見つけるのが難しい人間が殺し屋とのやり取りから見つかるとは思えないんだよね。襲った連中が君に返り討ちにされて、あたしら五月雨に拾われるなんて予想出来そうじゃん』
「……わざと、かもな。どうにも遊んでるようにしか見えねえんだよ。タオウーもタオティエも、自分で作った玩具で世間をぶっ壊してるようにしか」
ヱマの感想に早坂は肯いた。
『多分ね。そんな感じだと思うよ。あとはカルト的な思想でぶっ壊そうとしてるか浄化しようとしてるか……どちらにせよ危険極まりないのは確かだし、琉生さんを狙ってるのも確かだよ』
『まあその病院なら大丈夫だとは思うけどねー。かなり分かってきたし、公安と大和で本腰入れて追いかける感じかな』
あくまでもヱマは元長官であって現役ではない。最初から外されているかのように早坂は言うと『データはあくまでも対価だから』と通話を切った。
デバイスを離して、少し眉根を寄せる。だが南美の声に気持ちを切り替えた。
送られてきたデータは実際に南美を刺しただろう殺し屋と、ヱマを襲撃した三人の情報が細かく書かれていた。そして肝心かなめであるタオウーの元凶、顔写真はなかったが性別やおおよその年齢、身長、出身地などは割り出されていた。
種族はなし。世界でも珍しい病によるものか自分で手術、改造をして特徴を消したかの二択だ。そうなれば更に絞りやすくなる。
「二十五歳って、そんな若かったのか……」
思わず口に出した。適当なコンビニで買ってきたカップ麺の汁を飲み干した。
「ここまで来ればあとはもう」
だがもしわざとだとしたら、陰山や早坂も狙われる可能性が高い。田嶋も大和総裁として眼をつけられる立場にいる。
「……覚悟してんだろーけどさ」
ハルカのようにはなって欲しくない。陰山と縁を結び直した今なら尚更だ。ヱマはもやもやとした晴れない気持ちのまま電脳内に残ったタブを消し、南美の病室に向かった。
邪魔にならないところで脚を組みながらぼうっと見つめる。腹部の包帯が取り除かれ、痛々しい傷跡が見えた。丁度鳩尾の辺りに斜めに出来ており、それなりの大きさだった。
「いたそーだな」
新しいものに替えて仕事を終えた看護師が去っていく。ヱマが話しかけると微苦笑を浮かべた。
「結構力かかるんで、痛み止め飲んでないとヤバいですよ。特に咳とかくしゃみとか」
想像するだけで身震いがする。今日もまたリハビリで散歩をする必要があり、手を繋いで病棟の屋上まで歩いていった。
この時間帯は人がいないのか、また二人だけだった。手は繋いだまま。ヱマの方から優しく抱きついた。その際に恋人繋ぎのように手の形を変える。
「タバコ臭くねえの、新鮮だなあ」
いつもは匂いの染み付いたシャツやジャケットだ、もの寂しく感じた。
「退院したら幾らでも嗅げますよ」
腰の辺りに手を這わせて微笑んだ。お互いに眼を見つめたあと、なんの躊躇いもなくキスをした。舌を絡ませ、ぎゅっと手を握りしめた。
「あ、あの!」
然し若い女性の声にびくっと驚き慌てて離れた。振り向くと看護師が顔を赤らめ、困った表情で立っていた。
「あの、南美さんにお見舞いの方が……」
看護師が作った笑みをぎこちなく貼り付けて言った。ヱマと南美は身体も手も離した。顔を覆う彼女を一瞥して体温があがるのを感じながら笑った。
「ああ、すんません。わざわざありがとうございます。すぐ降ります」
どきどきと心臓が荒ぶって仕方がない。看護師が去ってから大きく息を吐いた。
「はっず」
手のあいだから籠った声が聞こえる。然し南美はその様子を見て軽く笑い声を漏らした。
「こっちに来てからも険しい顔つきやったけど、久々に見れたな。ヱマのその顔」
手をどかした彼女の表情は南美の前でしか見せたことのないものだった。冬の寒さよりもうちっかわの暑さが勝る。ヱマは視線を逸らして「早く行って恥ずかしい」と突っ張るように言った。
愛おしいものを見るように笑って「病室で」と軽く手を振ってから去っていった。ややあって息を吐き、スカジャンを脱いだ。
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