第1話 (表紙絵あり)
表紙
https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818023212113504755
秋の空に紫煙がくゆる。風が吹いて顔にかかった。
「あ、ごめ」
紙巻タバコを手に振り向いた。長い耳につけた札のようなピアスが揺れる。
「大丈夫」
軽く手をあげて眼を伏せる。もう片方の手にはエナジードリンクの缶があった。短く切った黒と青の髪を撫で付けた。
「タオウー、なかなか見つからんねー」
間伸びした声に小さく肯く。
「白目に墨入れた奴なんて、目立ってしゃーねえのにな」
彼女の前でだけ素の口調で話せた。妖狐らしいつり上がった眼を細めて笑った。
「ほーんま、なんでやろおねー」
切れる息にヒールの踵が擦り切れる。圏外エリアな為、外部デバイスを開いても繋がりはしない。
「クソ、ハルカ……」
鋭い牙を食いしばって走り続ける。どんなに喉が乾いても、どんなになっても走り続けた。
「ハルカ、ハルカ!」
反響する自分の声。薄闇で光る水色の双眸は一点を睨みつけた。
「手を離せ! そのまま両手を見せろ!」
使い慣れていない公安仕様の拳銃を構える。銃口の先が乱れる。
「長官……逃げて」
舞い散る埃のなかで狐のか細い声が聞こえる。ぎゅっと拳銃を握りしめて息を吸った。
ぐちゃりと嫌な音が鳴り響いた。彼女の首がねじ曲がって、おかしな方向に傾いた。長い髪が弧を描いた。
その時、酷く異様な臭いが視線をあげさせた。こちらに来る男の双眸は紅く、周囲が黒いせいか小さな丸い部分だけが浮かんで見えた。
「くるな」
震える両手に後退る。然し気がついた時には身体が浮いていた。
右足で踏ん張ろうとしたのになぜか感触がなく、そのまま後ろに倒れ込んだ。直後、右膝から下の部分に空洞がある事に気がついた。
焼けるような熱さと過度なストレスに絶叫する。拳銃が使用者の精神異常を感知して緊急信号を発信するまで、その絶叫は親友の死体と共に響き渡った。
挿絵
https://kakuyomu.jp/users/nekomaru16/news/16818023212114154449
「ッ!」
がばっと勢いよく起き上がった。心臓が破裂する程に何度も鼓動を重ね、全身を冷や汗が覆っていた。
自分の手を見ると小刻みに震えていた。喉の渇きが酷く、幾らか呼吸を重ねてからやっと落ち着いた。
「くそ」
顔を覆って吐き出した。ゲロを食うような悪夢に右足から降りようとした。刹那。
ずきんっと義足と肉体の境目に痛みが走った。思わず声が漏れる。
「メンテナンスこの前やったばっかだぞ」
歯を食いしばり、眉根を寄せた。意味もないのに両手で膝の辺りを抱える。ずきんずきんと、まるで鼓動するように痛みが襲ってくる。
然し幾ら待っても治まる気配がない。これはヤバいと思って外部デバイスを探した。狐のぬいぐるみに搭載されたポンコツAIはまだ起きておらず、デバイスを使うしかない。
机の方に置いたままで、ベッドから手を伸ばしてもギリギリ届かない距離だった。なるべく左足に力を入れ、右足を庇いながら腰を浮かせた。
指先にデバイスの端が当たり、そのまま手繰り寄せる。だが一際大きく痛みが走って、力が抜けてしまった。どんっと倒れ込む。
「くっそたれ」
荒くなる息にどうにか操作する。田嶋に電話をかけるが、朝早くからそんな暇はあるのだろうか……。
「でねえ、くそ」
それならばと南美の方にかけた。もうこの時間帯なら起きているし、ゆっくりしているはずだ。外にいてもコンビニだろうから確率は高い。
「でてくれ頼む」
ここまで酷い痛みは初めてだ。ヱマはすがるようにデバイスを握りしめた。
『もしもし。どないしました。あ、昨日の夜、』
気の抜けた声に叫ぶように被せる。
「助けてくれ。右足が」
荒い息と何かを我慢する声に南美は立ち上がった。
「家ですか」
『はやく』
聞いた事のない声に慌てて車のキーを取り、ジャケットも羽織らずに事務所から駆け出した。すぐに車に乗り、手動運転で彼女のいる川崎市の特例地区に向かった。
旧車のお陰でどこに停めても被害に遭わないで済む。部屋のある階まで階段を駆け上がって行った。
流石に息が切れて体温があがる。シャツの袖を捲りながら見覚えのある部屋番まで来るとドアノブに触れた。既に南美の分も登録されており、ロックが解除された。
「ヱマさん!」
革靴を脱ぎ捨てて短い廊下を走る。すると床に蹲るヱマの姿が見えた。
「大丈夫ですか」
顔色が悪く、脂汗が頬を伝っていく。病院に連絡するより大和に連絡する方が早いだろうとポケットからデバイスを取り出した。
ヱマの身体を抱えたまま呼び出し音に眉根を寄せる。これでダメなら救急車だが、正直公安仕様かつ大和でメンテナンスしている義足をどうにか出来るとは思えない……。
「なにしとるんや田嶋は」
大和への通報だと意味がないし、他の連絡先は勿論知らない。必然的に田嶋だけになるが、数分経っても彼女の状況は変わらないようだった。恐らく電脳内の着信もオフにしているのだろう。
すぐに通話を切って救急の方にかけた。ぐっとシャツが引っ張られる。眼を閉じて息を荒くするヱマがすがるように彼のシャツを掴んでいた。
早口に状況を説明しているあいだ、片方の手で頭を撫でた。先にドローンが向かうだろうという言葉に通話を切った。
「大和の方がいいんやけどな……」
大きな病院だと特例地区から離れている事が多く、何より他の外来や救急で常に忙しない。繋がりのある大和と比べて遅くなるのは必然だった。
酷く苦しむヱマの頬に手を当てる。普段活発で体温も高いのに逆に冷たく感じた。その時、ぐっとシャツが引っ張られた。
「はるか、ハルカごめん俺のせいで」
彼女は南美の背中に腕を回しながら泣き始めた。ハルカという名前、そしてやけに幼く聞こえる声音に彼は察した。
「PTSDか……」
元々その病気自体はあったのだが、電脳化に伴って更に重たい病気になってしまった。当時の記憶がフラッシュバックするだけでなく、電脳の影響で意識がその時の記憶のなかに飛んでしまう。ヱマは恐らく、何かしらの記憶のなかにいる。
南美は前屈のような少しキツい姿勢のまま抱きしめた。頭を撫でて彼女の言葉に合わせる。
「大丈夫。気にせんでええよ」
だがその口調はハルカの口調と似ていた。ヱマは完全に意識を失うまでのあいだ、子供のように泣き喚いた。
到着した救急車に南美も同乗し、軽く関係性や義足の事を答えた。両親は健在で都内に住んでおり、後で病院側から連絡すると救急隊員の一人が言った。
川崎市内の総合病院に到着して暫くしたあと、担当した医者からヱマの状況を告げられた。
「典型的なPTSDの症状ですね。ただかなりトラウマになっているようで、ストレスに引っ張られて接続部分に痛みが走ったのでしょう。今は安定剤の投与で落ち着いていますが、今日一日は副作用もあって少し子供のようになってしまうかもしれません」
ヱマの両親に一時的に預ける、という提案もあったが彼は拒否した。南美は過去が過去なので親というものを信用していないし、何より心配の気持ちが強くあった。
意識も戻っているから誰が預かろうが問題はない、一先ずヱマに会う前に車を取りに戻った。
「このまま私の事務所の方に行きますよ」
はじめちゃんや幾つかのロボットがいる為、いざという時に動きやすい。起きたばかりの姿に話しかけると肯いただけだった。
義足自体に問題はなく、肉体側にも負荷はかかっていない。だがやはり気持ちに引っ張られているのか、右足を庇うように歩いた。
素足のままいつものブーツを鳴らす。医者が言った通り一時的に精神年齢が下がっているようで、南美の手を掴んで離さなかった。しかも性格がどうであれみな等しく大人しくなるせいか、俯き気味で口を固く閉じていた。
安定剤の副作用だけではこうはならない。やはりそれだけ彼女のなかのトラウマが深い生傷になっているのだろう、南美はなんとも言えない感情のまま歌舞伎町の事務所まで戻った。
はじめちゃんに事情を説明し、いつもの服を取りに一旦事務所を後にした。ヱマはその間ソファの上でうとうととしており、顔は酷く無気力に見えた。
「着替えられます?」
そう問いかけるも微妙な返事があるだけ……軽く溜息を吐き、彼女の着ている大きめのTシャツに触った。
やる気のない小さな子供か、寝たきりの老人を介護しているような状況に南美は電子タバコを咥えた。脱いだ服を軽く畳んでテーブルの上に置く。白い煙を吐き出した。
「ハルカ……」
囁くようなか細い声に視線をやった。こちらを向いているのが見える。
「はい?」
返事をするもヱマはすっと瞼を閉じてしまった。ややあって寝息が聞こえてくる。
「……」
困ったように眉をあげつつタバコの電源をおとし、重たい身体を抱えあげた。なんとか二階にある自分のベッドまで運び、そっと寝かせた。
腕を引き抜き離れようとする。だがぐっと掴まれた。よく見ると薄く眼を開けていた。
何度も見た求める顔に軽くキスをした。それで安心したのか否か、今度こそ眠りのなかに戻って行った。一つ息を吐いて腰をあげる。
「今日は休みやな」
臨時休業だ。はじめちゃんに伝え、一階の事務所で書類の整理を始めた。
幾らか時間が経った頃、あまり鳴る事のない扉のベル音が響いた。直接誰かが来るなんて珍しいと、ファイルを机に投げて向かった。
ドアノブに手をかけ、扉を開けながら困ったように微苦笑を作った。
「すみません。今臨時で休んでまし」
然しどんっと身体が揺れる。一瞬にして笑みが消えた。一つおいて血の塊を吐き出す。
そこに居たのは黒ずくめの人物が一人。南美の腹部、しかも前回刺された箇所と全く同じ部分にドスのようなものが突き刺さっていた。その部分を押さえながら睨みつける。
「だれや」
前回と同じ箇所に、そのうえ更に刃渡りのあるものが深く刺さっている。吐き出す血の量も、シャツに広がって落ちる血の量も今回ばかりは危険なレベルだ。
相手は無言で踵を返した。追いかけようとしたが右手を扉から離した瞬間、脚が思うように動かず倒れ込んだ。
「嘘やろ」
苛立った声音に掌を見た。赤黒いインクに意識が朦朧とする。せめてはじめちゃんが起動状態であれば……そうもがいてみても意味はない。
どんどんと意識が遠くなる。そのうち、完全に気を失った。
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