怪奇譚三篇

ハナビシトモエ

第1話 一人の気ままな生活

「あんた。もう終わりだよ」

 家に帰る途中、後ろのベンチの方から声がした。


 ベンチを過ぎるまで人の気配が無かったからだ。振り返ると誰もいなかった。老婆ろうばの終わりという言葉がいやに頭に残った。


 こういう何かが聞こえたり、気配を感じたりすることが最近増えた。

 仕事は順調で半年後の春に昇進しょうしんも叶う。昇進で張り切り過ぎて少し疲れたか。僕はさっさと家に帰ることにした。


「ただいま」

 誰もいない部屋に帰っても、誰もいないことには限らない。

 

 両親の写真を見て、飼い猫の遺骨いこつが入った箱を見た。ペット用のお墓に入る事が出来ないのはかわいそうかもしれないけど、一人の家は耐えきれない。あともう少し、そばにいてくれよ。そう思いながら線香せんこうをあげた。


 部屋に白檀びゃくだんの香りが充満じゅうまんした辺りで風呂に入ることにした。


「いい湯だな、あははん。いい湯だな」

 全然いい湯ではない。昇進だけしか楽しみが無い。会社を辞めるほどのストレスは無いが、少し有給休暇を取ることも考えよう。


「バッテリー切れです。バッテリー切れです」

 またか。最近、この機械音が入浴中に響く。マンションなのであまり響かせるのもよくないだろう。


 私は荒めに体を拭いて、風呂場を出た。もう一度入るためだ。何の機械

か知らないが無線でつながるスピーカーみたいな形状で少し上部を触ると音は消える。いつもの表示が出る。


「バッテリーが著しく損耗そんもうしています。交換しますか?」

 スピーカーをどうやって電池を変えるか分からない。単三かな、もういいや。手間だけど、このままにさせてやろう。そのうちそのうち。


 もう一度、風呂に戻ることにした。


「いい湯だな、あははん」

 この歌、いつ聞いたっけ。両親が亡くなる前の歌だろう。随分ずいぶんと昔な気がする。

 風呂を出るとまずビール。その日はビールを飲み切って寝た。


 服を着ていないと風邪かぜを引くも同然である。会社に熱が出てというとこのご時世なので、すんなり休みをくれた。解熱剤げねつざいである程度まで熱が下がると、りだめていた映画を見ようという気もわいてくる。


「スピーカー、テレビをつけて」

 無反応だ。おかしいな。


「スピーカー、映画を見せて」

 無反応だ。あれ、そういう用途ようとでは無かったのか。だったら、そうだな。


「スピーカー、電気を消して」

 消えない。とうとう電池切れか。そもそもスピーカーという名前ではないかもしれないが、有名企業のロゴが書いてある様子もない。


 ま、テレビくらい見ることは出来るか。それにしても今まで風邪を引いたことが無かったな。人間だから風邪も引くだろう。



「出向ですか」


「あぁ、悪いがそういうことだ」


「そんな新卒から十年間、この会社に勤めました。昇進も決まっていたはずです」


「ただの交換だ。じきに今の部署ぶしょに戻ってもらう」


「私がいない間の交換要員は?」


「君が知らない者だ。心配しなくても昇進はさせるし、給与も増額だ。悪いが一週間ほど出向してくれ」


 一週間という約束も果たされるか分からない。総務から泊りになると聞いたので、家に帰って荷物の準備をした。猫の骨壺こつつぼの箱を見て、一抹いちまつの寂しさを感じた。


「行ってきます」


 そう言葉を家にかけて家を出た。


「お待ちしておりました。今から調整を行います」


「調整って?」


「スピーカーがうるさかったでしょう。あなたは忘れているかもしれませんが、交換時期です」


「あのどういう意味でしょうか?」


「部品が損傷そんしょうしていて、バッテリーも損耗している。それではこのベッドに」

 あの家に戻れない気がした。何をするつもりだ。離せ。


「シャットダウンしろ」

 そんな声が記憶から消えた。


「それではサイボウ株式会社で期限まで働いてもらう」

「分かりました」

「任期は二年だ。二年以上経ったらまた交換に来てくれ」

 はいと言い、出て行った背中に。

「サイボーグは交換したら永遠えいえんに働くからいいよな」

 その言葉はソレには届かなかった。

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