甘えさせてくれた日々が私を変えてくれた

田山 凪

第1話

 髪は伸びっぱなしで服も何日同じものを着ているのだろうか。いや、学校にももう何日も行っていない。みんなが普通にできていることができなくて、そのできないことが自分の重しになって、たまに外に出れた時に音のない言葉が聞こえる。知るはずもない私の私生活の乱れをそこらを歩いている赤の他人と視線が合うたびに蔑まれているような気になって仕方ない。まるでドミノ倒しのようにして私の一番痛いところに触れ、またしばらく外に出られなくなる。

 当然、友人と呼べる人もいない。そう思ってくれていた人は過去にはいるだろうけど、過去にいたからどうなのかという話だ。現状が一切変わらないのならばそんな過去はどうでもいい。いた、ではなく、いるがほしいんだ。

 わかっている。こんな自分を好きになってくれる人はいないと。ありがとう、それは正論で正しくごもっともな意見。だけど、それができてないから困っている。何をすればいいかがわからないって時もあるけど、わかっていても動かない。鉛のように心臓が重くなり、頭の中では不協和音とノイズがして、親切心でかけてくれる言葉がすべて、できない自分を見下しながら発せられている憂さ晴らしのように感じてしまう。


 世界が憎い? 違う。

 社会が憎い? 違う。

 それならまだ無責任に世の中のせいにできただろう。苦労している理由は自分が憎いからだ。誰の責任にもできないから、一番近く私が生まれた原因でもある親に当たってしまう。まるでDV彼氏みたいな感じだけど、怒鳴って罵倒したあとにようやく気付く、なんてことを言ってしまったんだろうって。

 そこから始まるのはまた自己嫌悪だ。何度も、何度も、何度もこれを繰り返している。病院からもらったこの薬をいくつ飲めば私は治るんだろうか。いっそのこと全部飲んでしまえば、苦しくなって嫌なことも忘れられるかもしれない。

 なのに、そんな勇気さえない。自分を肉体的に傷つける勇気がない。真っ暗な袋小路に閉じ込められた哀れな学生です。


 大人と言える歳になっても私は実家にいた。時が解決してくれるなんてのは嘘っぱちだと実感した瞬間でもある。調子がいい時はこのままでいさせてほしいのに、そんな時に限って親は過去の私の一番思い出したくない行動を笑い話として話してくるんだ。

 わかってるよ。それがひどいことでやっちゃいけないことなんて。でも、無責任だけどその時の私と今の私は違う。そんな話をして、過去を思い出されて、フラッシュバックして、だんだんと気分が沈んでいき最高の日が最悪の日になってしまう。

 みんなにとって当然のことができないから、それをやった時にはちょっと褒めてくれるのは嬉しい。だけど、その言葉の裏側には当然だよねという気持ちがこもっていると想像してしまい、結局私が全力でがんばって一歩を踏み出しても普段からできている人にとって一歩にすらならない。

 だったらやる意味あるの? これだけがんばってやったのに当然、常識、普通なんて言われたら私のがんばりはなんなの? 

 

 こんな私にも趣味があった。漫画を見たりアニメを見たり、受動的なものはそれなりにできる。でも、絵を描くだとか話を書くような能動的な作業ができない。なぜできないのかなんて考えてみて、動画サイトやSNSで参考にしたりして、でもそこのコメントでできた人たちがいることを知ってしまうと、同じような人たちがなんでこうも簡単にできるかと思ってまた負のループが発生する。

 すごく調子が良くてイベントに行けた日は心が晴れ晴れとする。現地に行くためにいろいろ調べたりすることは案外苦じゃない。これを苦だと感じる人からは「イベントいけたんだから大丈夫でしょ」と言われる。これが善意というか励ましに近い気持ちで発している場合もあれば、それができるなら家のことなんか簡単でしょと軽んじられる時もある。

 捉え方が二つあるとどうしてもネガティブなほうに捉えてしまう。そうしてまた落ち込むんだ。


 ある日、イベントに行った。この日も気分はよかった。でも、普段出歩かないから体力が少なくすぐに疲れてしまう。こうやって疲労がたまるとだんだんと心も荒んでいく。せっかくイベントに行くのにここでも私は負のループに陥るのかと、そんなことを考えてしまう。考えてしまうからダメなのに、ダメなのにと思えば思うほどもう止められない。

 呼吸が荒くなり嫌な汗が流れる。そんな時、私がとても苦手とする人に良く似ている人が目の前を通った。別人だ。別人なのに記憶とイメージがその人を作り上げ他人を敵だと認識させる。

 私はもう私をコントロールできない。あと一歩で崖から飛び降りる。引っ張られるように私は倒れかけた。

 

「ちょっといいですか?」


 目の前に広がっていた深い谷は消え、道が見える。目の前に人が立っていた。好青年という言葉よく似あう男性だ。たぶん、私より年下。私はどもりながら精一杯返事をした。

 すると、男性は謝った。「驚かせてごめんなさい」って、何気ない言葉なのに、私は責められていないことに小さな安心感を覚えた。


「ここのイベント会場ってどこか知ってますか? 初めて来たので道に迷っちゃって」


 男性はスマホの画面に会場のホームページを映し出し私に見せてくれた。


「私もここに行きます……」


 か細い声だ。本当はもっとはっきり言わなきゃいけないのに、はっきり言おうとしたのに、喉を誰かに締め付けられるように声が出づらい。ああ、また変な人に思われる。小さな小さな安心感が遠ざかっていく。

 だけど、男性は何も気にせず返事をした。


「本当ですか!? あの、もし迷惑じゃなければついていってもいいですか? 地図を見ても迷っちゃうくらい方向音痴で」

「は、はい。どうぞ」


 地図を見ても迷ってしまう。そんな自身のマイナス面を堂々と言えるなんて羨ましい。だけど、マイナス面を伝えてくれたからこそ、イベント会場への案内という小さなことに関しては、私はこの人を手伝える。不純かもしれないけど少しだけ優位に立てた感覚がした。


 会場に向かう道中、私はあまり話せなかったけど男性はいろいろと話してくれた。私が相槌を上手くできなくても気にしないし、なぜか気を使っている感覚もしない。自然体に見えるからこそ私もこの人の話を聞いていたいと思った。

 こんな私に対し何かを正そうだとか、何かを学ばせるとかいう上からの視点ではなく、すごくくだらなくて、時には鼻で笑ってしまいそうになるくらいどうでもいいことなのに、この人は楽しそうに話す。

 夜中にゴキブリが出て二時間格闘したとか、カレーを作ろうとしてカレールーを買い忘れたとか、外に出た後にスマホを忘れてたことに気づくとか、とてもくだらないお話。

 たぶん、こんな話は家族からもされていた。「みんなそんなもんだよ」とか「みんな間違えるよ」とか、言いたいことの意味は分かる。だけど、それらの言葉にはみんなそうなんだからそれくらいで甘えるなみたいな蔑みを感じていた。なのに、この人からは感じない。


 だけど、こんな安心できる時間ももうすぐ終わり。会場に到着すれば離れ離れ。もう、会うことはないのだろう。


「あの、何かの縁ってことで嫌じゃなかったら連絡先交換しませんか?」


 ちょっと図々しいやつだとも思った。けど、私はそれが空からつるされた蜘蛛の糸のようにも思えた。地の底で膝を抱え座っている私の目の前にか細く小さく輝く一本の糸。振り払うこともできた。期待だけさせてどうせ飽きれて嫌われる。だったら最初から関係を築きたくない。そう考えていると、男性はすでにスマホの画面を見せてきた。自然と、私はスマホを取り出し画面のコードを読み込んで連絡先を交換した。

 ポジティブな行動にも思えるけど、半ばネガティブな側面もある。交換すればそれで終わり。それ以上は期待しない。心の防衛反応が働いていた。


 でも、終わらなかった。イベント会場でも彼は度々迷っていたようで、何度か遭遇した。私が向かった先にたまたまいたり、どう考えてもわざとこんなことすることはできない。

 何度も遭遇するから出会うたびに気持ちが楽になり、逆に彼は何度も道に迷うものだから少し恥ずかしそうにしていた。


「面白い人ですね」


 自然とそんな言葉を発した。だけど、言った後にこれは相手を馬鹿にしているんじゃないかって思って怖くなった。でも、彼は笑いながら答えてくれた。


「よかったぁ~。あきれられてるかと思いましたよ。友達なんかは結構ばかにしてくるんですよ。面白いって言ってくれた人は初めてです」


 正直言えばちょっとあきれてるところもあったけど、それよりも面白さが勝った。それはこの会場に来るまでも含めて見えている限りのこの人の人柄も含めてそう思った。

 私の身近にはこんな人はいなかった。だから、とても新鮮な気持ちになれたんだと思う。


 すべて終わって家に帰った時、私の様子を見て母はいつも違う表情を浮かべた。「どうだった?」とか「楽しかった?」とか、以前と同じ問いかけなのに、以前よりもこの問いかけに対し面倒くささを感じることはなく、素直な気持ちで答えることができた。

 たぶん、母の視点からは以前と同様の感覚での問いかけだろうに、私側の変化があったからなのか、気持ちが全然違うのだ。


 あのイベントだけで、もうあの人とは話すことはないのだろうと思った。だけど、不思議なことに彼は不定期ではあるけど度々連絡をくれた。共通の趣味があったこともきっかけなんだろうけど、彼にとって私は同じ趣味を語って喜べる唯一の友人だったんだろう。

 私にとってもそれは同じだ。人との関りがないからこそ、親には話せない自分の主観を話すことができる。作品をみて思ったことや今後期待していることの話だとか、そうしているうちに仲良くなって、何度かあったりして。


 ただ、仲良くなればなるほど怖くもなっていた。この人がいなくなったらどうしようとか。嫌われたらどうしようとか。そんなことばかり考える日もある。

 ある日、彼は私にSNSのアカウントを教えてくれた。私はネットのコメントを見て落ち込まないようにアカウントを消していたのだけど、彼のアカウントを見るためだけにもう一度作ってみた。

 驚いたことに彼は絵を描いてる人だった。それは漫画的アニメ的なものから、どこか風刺的なものまで、自己の表現をしつつも二次の創作もしていて、とても活動的な人だった。憧れもしたが同時に、急に離れた存在になった気がして、今までの安心できる気持ちの中に微弱な緊張感を覚えた。


 一つ気になったのは彼はコメントの返信を一切しない人だった。それを個人的に聞いてみると「コメントはその瞬間の感情をただ書いているだけなんです。そこに返信しても疲労感だけが募って、次第に使命感に変わって窮屈になりそうなので、返さないことにしてます」という返事をしてくれた。

 彼はとてもポジティブな人に見えていたけど、どこかとてもドライな部分もある。でも、それは彼なりの心の防衛なんじゃないかって私には思えた。私は自己嫌悪によって負のループに陥るけど、彼は見たこともない他者の言葉によって負のループに陥る可能性がある。だから、目に見えない相手がそこにいるという事実は理解しつつも、まるでロボットが無慈悲に商品を選別するように見るべきものを分けている。

 絵を描くのだから喜ばれることも1つの仕事だけど、それ以上に自分が壊れたらすべてが終わることを知っている。とても強い人だと思っていたけど、柔軟に避けることが上手な人なんだ。


 これもまた不思議なことで、私たちは付き合うことになり同棲を始めた。私のこれまでの人生を振り返れば今は最高の瞬間だ。親からも祝福され、お互いに好意があって付き合い始めた。なのに、こんな時にも自己嫌悪が発生する。親は私が家を出たことを喜んでいるのではないかと、彼は私の普段の姿を見て嫌いになるんじゃないかと。

 でも、少しでもいいから幸せになりたい一心で同棲を始めた。いつ絶望されるかもわからない恐怖と共に。


 だけど、そうはならなかった。親は家を出た私によく連絡してくれる。それは心配と愛情が混じっているように見えた。それに、彼は私が昼まで起きれなくても、飲み終わった後のボトルを捨てていなくても、全部許してくれた。

 恥ずかしい話だけどお風呂も手伝ってくれる。しかも嫌な顔一つせずにだ。「このシャンプーいい匂いでしょ」とか「柔軟剤使ったからタオルがふわふわだよ」とか。至れり尽くせりという言葉はこういう時に使うんだと理解した。

 普通、これだけ人に何かをしてあげたなら、それ相応の見返りを求めるものだろうし、そうやって世の中は回っている。おそらくそれが普通。なのに、この人ときたら、すべて好意でやってくれている。見返りを一切求めない。そこにいるだけで十分だと言ってくれる。

 それもまた、何もできない私を見つめてしまうことになり、気分が落ち込むときもあるのだけど、その頻度は確実に減った。

 

 悪夢を見て夜中に目覚めたことがある。彼は床にマット、その上に敷布団を敷いて寝ていて、私は彼のベッドで寝ていて、すぐ隣にいるのに起こしたらダメだと思って一人で恐怖に耐えていた。偶然かもしれないけど彼は起きて、私の様子をみたあとに隣にいてくれた。

 冷たい海にどんどん沈んでいき、太陽の光さえも通さない深海の底に足がつきそうかと思ったら、一気に引き上げてくれてゆらゆらと揺れるゆりかごのようなボートで、お日様の優しい光を浴びて昼寝でもするようなそんな居心地の良さをくれた。

 朝起きた時には彼はいなかった。仕事で出ているだけなのに怖くなった。一人になるんじゃないかって。でも、彼にはそんなことがお見通しなのか、スマホにメッセージが入っていて、私を安心させてくれる。

 

 わかるよ。普通の人からすればこんな生活は甘えすぎだしバカみたいと思うかもしれない。だけど、こんな生活の日々が私の自己嫌悪を薄めていき、自己肯定感を少しずつ上げてくれた。

 何かに挑戦しようと思えたし、彼がいない間に料理を作ってみようとか、せめて材料だけでも買っておこうとか、人のために何かをすることができ始めていた。たまに同じ物を買ってきて笑いあい、二人で難しい料理に失敗して笑いあい、私の靴下の片方を探すついでに年末の大掃除を始めたり。

 私がいえたことじゃないけど、彼もかなりの気分屋だ。でも、あらゆることをきっかけに活力に変える力を持っている。


 そんな彼に、お正月の朝に聞いてみた。どうして私と付き合ってくれたのかって。

 面倒くさい女だなとつくづく思った。愛されていると理解しないと怖くなる。つい聞いてしまう。これ以前も何度もまだ好きかと聞いた。彼は変わらず笑顔で好きだと答えてくれていた。それでも心配なのだ。

 で、彼はこう答えた。


「同じ趣味の人と友達になれたって気持ちから、連絡をしあってるうちにだんだんと興味が出てきて。この興味はなんなのかと思って何度もあって、それが次第に恋だと気づいたんだ。この人のそばでこの人が見ているものを僕も見てみたいなって。それが移り変わっていくのもきっと素敵だし、僕の行動で笑ったり喜んでくれたら最高だなって。……なんだかわけわかんないよね」


 顔だ、性格だ、技術だと、そういう明確な何かを言われるかもと身構えていたから彼の言葉にはどこか拍子抜けをした。でも、それは代用可能なものじゃなくて、私を見てくれているということだけは伝わった。

 相変わらずこれ以降も好きかと問いかけてしまうのだけど、私の心配以上に彼は愛情を注いでくれる。

 

 私にはもったないと思ってしまう時はもちろんある。それで気持ちを塞いでしまった時は、彼は鬱陶しいくらい私のことだけを見てくれた。リモートで誰かと話している時にすり寄って膝枕を強引にさせても怒らずに頭を撫でてくれる。

 本当になんて最高な日々なのだと、人生に絶望しかけていた私に訪れた奇跡のような時間。


 三十歳手前で私は働き始めた。長い長い充電期間がようやく終わって、私一人でも活動がそれなりにできるようになったんだ。でも、私は接客業が絶望的に下手で、調子がいい時でも怖くなる。

 じゃあ、何をしているのかって。彼から絵の描き方を半年教わってエッセイ漫画を描いたり、デフォルメしているけど私に見える世界を描いてみたりして、それが想像以上に評価されて画集になったり。

 

 これまでの人生の半分はなぜ絶望的だったのか。

 なぜこうも上手くいったのか。

 彼が私の代わりに私を許してくれた。私が暗くなっていく中でも彼は横で輝き続けた。眩しすぎて最初は目も開けられなかったけど、だんだんとその眩しさに慣れてきて、彼の姿がはっきり見えてきて、私も私自身の姿を見れるようになって、手を取り合えた。

 

 いまでも人と話すのは苦手だし、料理も洗濯も得意じゃない。いつも彼がやってくれている。できないことに対して自己嫌悪していたあのころとは違って、今はやってくれていることに感謝できるくらいにはなれた。

 

 ずっと、私の気持ちを理解できる人はいないって、誰も共感してくれないってふさぎ込んでいた。彼が理解し共感しているかと言えばそれは違う。ただ、できない私に対して常識という借り物の物差しを使うのではなく、できないのなら自分がやればいいというある意味でシンプルな答えをもっていた。

 これは甘やかしすぎなんだろう。私は甘えすぎなんだろう。

 だけど、彼は私にできないことを我慢させてやらせるのではなく、できることを探してそれをやらせてくれる。できない毎日からできる毎日になって、できなくてもそれは仕方ないことだと割り切り、彼がやってくれた。その連鎖の結果、私はやってみようと思い、彼のためなら我慢できるかもしれないと力が湧いて出てきて、次第にできないことができるようになっていった。

 

 活動的になった私の姿を見て、母は泣いて喜んだ。私も泣いた。今まで散々ひどいこと言ってしまったことを謝った。ひどいことをたくさん言ったのに、追い出さず、無理やり入院もさせず、いつも支えてくれたことにようやく気付いた。

 謝れたことで、さらに涙がこぼれた。言いたかった。ずっと謝りたかった。心の中にある黒い靄は晴れていって、今はとても見通しがいい。

 

 いまだって誰かを助けられるほど強くはない。気分にはぶれがあるし、そんな時はいつも彼に頼っている。いまだに一人では背負い込むことはできないけど、もしかしたら人ってのは想像しているより強くないのかもしれない。

 自分のことだって上手くやれないのに、育てたり教育したりしつけたり、そういう連鎖が人が強くなったと誤認してしまう原因かもしれない。


 彼の昔の絵を見せてもらった。

 そこには、雨の中でずぶ濡れの少女に傘をさすサラリーマンや、元気いっぱいに友達の手を引っ張る少女、両親に優しく抱いてもらっているあかちゃん、腹をすかせた老人におにぎりを渡す少年、泣いている男性にハンカチを差し伸べる女性。

 この時、気づいたことがある。彼は、最初から知っていたんだ。人がとても弱い生き物で、一人じゃ何もできないことを知っていた。今は商業的に絵を描いているため、こんな風な絵はあまり見れなくなったけど、彼が自由に描く時はいつも助け合いがテーマになってる。

 

 おかしな話。

 あの日初めて出会った時、私は彼を助けたのに、今は助けられている。

 まるで鶴の恩返しのようだ。でも、とても長い恩返し。彼はそんなこと思っていないかもしれない。でも、次は私が彼に恩返しをしたい。恩返しをして、その人がまた恩返しをして、それは支えあいになる。

 

 とても希望的な願いだけど、穢れのない純白の善意がループすれば、きっと私みたいな人たちも幸せになれるんじゃないかって思う。まだ、私には手を差し伸べる力がないけど、いつか、もっと動けるようになったら手を差し伸べてみよう。 

 

 私は奇跡に出会った。

 あの日の私にも感謝したい。あの時私が彼に道を案内しなかったら、人生はまるっきり違うものなっていただろう。

 そして、彼に感謝したい。私を助けてくれてありがとう。

 まだ、いっぱい迷惑をかけると思うけど、これからもよろしくお願いします。

 

 

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