第一話『コキーユ』

 あれから二年後、エリックはもうほとんど立ち直っていた。

 確かに、エリックは父親が亡くなる原因となった人たちのことを何とも思っていないわけではなかった。


 しかし、エリックは周りの人たちを大切にしたかった。



 ⚔ ⚔ ⚔



 エリックとマーティンは十歳になり、同じ学校の中等部に進学した。

 この世界では、成人年齢が「十六歳」と決まっている。

 幼等部は四歳から、小等部は六歳から、中等部は十歳から始まるシステム。

 そして、十二歳からは専門学校に通うことになっている。


「エリック・ギルバート!」

「はいっ!」


 エリックの名前が呼ばれる。

 緊張した声を上げる彼の隣で、くすっとマーティンが笑う。

 エリックはマーティンを横目で見て、なるべく小声で話す。


「マーティン……」

「ごめんごめん。俺も、もうそろそろ呼ばれるから」


 マーティンも、なるべく小声で話しかけている。


「マーティン・シュトーリヒ!」

「はい!」


 マーティンの名前を聞いて、クラスがざわつく。

 「シュトーリヒ」は領主の一族にしか付けられていない名前だからだ。

 あちこちで、「領主の息子さん?」という声が聞こえる。

 そんな声にも動じず、平静を保っているマーティンにエリックは感心する。

 ざわついている声を先生が「静かに!」という一言で押さえる。

 その後も、何人か名前が呼ばれる。

 そして──。


「コキーユ・フローレンス!」

「はい!」


 次に呼ばれたのは、変わった名前の少女だった。

 ピンクのリボンを右上で結び、ポニーテールにしている。

 綺麗な茶色の髪と茶色の瞳を持つ美少女。

 でも、どこかあか抜けていない、純粋な瞳をもっていた。

 エリックは変わった名前のことよりも、可愛らしい少女の人柄が気になった。

 また、その隣にいる空色の瞳をした白い狼のことも。


「フローレンスくん、その白い狼は一体……」

「この子は、私の召喚獣の『アドルフ』です! ちゃんと学校の許可は取ってあります!」

「……そうか」

「はい! 私、『聖獣召喚術師』なんです! 私が五歳の時から、レーツェレストで一緒に育ちました!」


 にこにこ笑う少女──コキーユは、召喚獣──アドルフをなでながら先生にそう言った。

 レーツェレストは、シュトーリヒより北に位置している最北端の土地だ。自然が豊かで学校もほとんどない。

 中学に通うにはシュトーリヒまで来なければ、教育が受けられない。

 特にこの学校はシュトーリヒでも優秀な生徒が集まる場所だった。

 マーティンは頭も良く、魔力も強い。

 エリックは「うつ病」になってブランクがあるが、魔力も強く、戦闘能力も高かった。

 そして、コキーユはこの国でも珍しい聖獣召喚術師だった。


「そうか、それならいいんだが……」


 先生は召喚獣のアドルフにじっと見つめられ、怖気づくが、何とか視線を逸らして取り繕った。


「何か、面白い子だね?」

「ああ」


 マーティンの言葉に返事をしつつも、エリックは白狼はくろうをなでる少女から目を離せなかった。



 ⚔ ⚔ ⚔



 入学式は無事終わった。


「マーティンの挨拶、相変わらず良かったよ」

「ありがとう」


 二人で笑いながら、廊下を歩いていると、中庭に人だかりができており、奥の方にピンクのリボンと茶色の髪が見える。


 そこにいたのは、コキーユだった。


 彼女は同じクラスの女子たちに詰め寄られていた。

 周りにだんだんと人が集まる中、彼女を見下した女子たちの声は冷たさを増していく。


「ちょっと! アンタ、あの田舎のレーツェレストの出身なんですって?」

「しかも、『コキーユ』なんて、変な名前よね?」

「アンタ、『聖獣召喚術師』なんて嘘でしょ?」

「入学試験の時、そんなに魔力強くなかったじゃない? 私、見てたもの!」

「本当は、誰かの聖獣でも借りて来たんじゃないの?」

「だって、『聖獣召喚術師』なんて、珍しい職業。しかも、レーツェレストの田舎の娘が、そんな魔法扱えるとは思えないもの!」

「「ねー?」」


 コキーユが何か言う前に、アドルフが彼女の前に出て唸る。


「ウゥゥゥッ!」

「駄目! アドルフ!」

「ウゥゥッ!」

「人を傷つけちゃ駄目っ!」


 襲い掛からないようにアドルフに抱き着きながら、コキーユは声をかけ続ける。


「人を傷つけたら一緒にいられなくなっちゃうから! だから、お願い!」

「ウゥウゥゥッ!」

「何よ? やる気?」

「受けて立つわ!」


 クラスの女子たちがアドルフに攻撃しようとした、その時。


「やめろっ!」


 鮮やかな赤い裾がなびき、いつの間にか、エリックが両手を広げて立っていた。


「何よ?」

「クラスメイトを傷つけたら駄目だ。これから一緒に学ぶ仲間なのに!」

「でも、その子が嘘つくから!」

「彼女は嘘をついてない! 彼女と聖獣の魔力は同じだから、この子は彼女の聖獣なんだ」

「何を言っているの?」

「みんな、落ち着いて」

「マーティン……」


 エリックの横に立ったマーティンは、クラスメイトを刺激しないように、落ち着いた声で話しかける。


「その聖獣は、確かに彼女の召喚した白狼だよ。学校側も、彼女と聖獣の魔力が一致するかをしっかりと調べているから、先生に聞きに行けば教えてくれるよ?」

「そうなの?」

「えっ? 知らないけど、マーティンくんが言うんだから、そうなんじゃない? 小等部の時も同じクラスだったけど、彼が嘘をつくとは思えないし……」

「じゃあ……」

「嘘じゃなかったんだ……」


 クラスメイトたちは顔が真っ青になっていく。


「ごめんっ!」

「本当にごめんっ!」

「私たちの勘違いで、こんなことになって!」

「本当に、ごめんね!」


 すごい勢いで謝るクラスメイトたちに、コキーユは驚きつつも口を開く。


「う、ううん。いいの、わかってくれれば、それで……」


 クラスメイトたちは、ホッとした顔になり、続く言葉を待つ。


「これから仲良くしてくれる?」

「うん!」

「もちろんよ!」

「それだけでいいの?」

「うん」


 頷いたコキーユに笑いかけたクラスメイトたちは、「本当にごめんね!」と言いながらクラスに戻っていく。

 騒ぎに集まって来た人たちも、ぞろぞろと自分たちの教室に移動していく。


「アドルフ!」

「ワォンッ!」

「良かった! 我慢してくれて、ありがとう、アドルフ」


 コキーユはアドルフに抱き着き、落ち着かせるように体をなでる。


「大丈夫だった?」

「うん、ありがとう、二人とも」


 エリックが声をかけると、コキーユがふわっと笑い、二人にお礼を言った。


「どういたしまして。あと、俺はマーティン。よろしくね?」

「こちらこそ、よろしくね? 私はコキーユ。こっちは相棒のアドルフ」

「ワォンッ!」

「よろしく、コキーユ、アドルフ。俺はエリック」

「エリックくんも、よろしくね?」

「──『エリックくん』じゃなくて、『エリック』でいいから」

「えっ?」

「コキーユさん、俺のことも呼び捨てでいいから」


 いつもより積極的なエリックに、マーティンは笑いながら、コキーユに声をかけた。


「じゃあ、私も『コキーユ』って呼んでくれる?」

「もちろんだよ」

「ありがとう、コキーユ」


 マーティンが頷き、エリックがお礼を言った。


「じゃあ、行こうか? 先生も待ってると思うから」

「うん!」


 三人と一匹でクラスに戻るため、廊下を歩いていると、マーティンが口を開く。


「今日、良かったら、家に来ないかな? エリックの作ったお菓子があるんだ」

「え?」

「マーティン、何を言い出すんだ?」

「エリックの作る料理は、どれもおいしいから。ぜひ、『コキーユにも食べてほしい』と思ってね。いいかな?」

「マーティン!」

「うん! この後、予定もないから、時間はあるよ? でも、迷惑──かな?」


 コキーユはエリックを不安そうに見つめている。


「そんなことない! お菓子もコキーユに食べてもらえると嬉しい!」

「うん! ありがとう、二人とも! じゃあ、お言葉に甘えて、お家に行かせてもらうね?」


 元気よく答えたコキーユは、勢いよくアドルフを見る。


「ね? アドルフ?」

「ワォン!」


 楽しそうに笑うコキーユとアドルフを見たエリックたちは優しく微笑んだ。



 ⚔ ⚔ ⚔



 その日の放課後、みんなでマーティンの家に向かう。

 マーティンの家まで来ると、コキーユは驚く。


「えっ?」

「どうかした? コキーユ?」


 コキーユの隣にいたエリックが不思議そうに聞いた。


「すごく立派なお屋敷……」

「ああ! マーティンはシュトーリヒ領主のフェストさんの息子だから」

「えっ! マーティンって、領主の息子さんなの? すごいね!」


 瞳を輝かせるコキーユを見て、マーティンは苦笑する。


「俺がすごいわけじゃないんだけどね。エリックは、隣の家に住んでいる幼馴染で、赤ん坊の頃から一緒だったんだ」

「赤ちゃんの頃から幼馴染なんて素敵ね! 今日も二人が助けてくれて──、本当に良かった。ありがとう、二人とも!」


 コキーユはパッと花が咲くような笑顔で、二人にお礼を言った。


「どういたしまして。コキーユに怪我がなくて、良かった」

「うん、本当に怪我がなくて良かったよ。今日はドタバタしてたから、家でゆっくりしていって?」

「二人とも──、ありがとう!」

「ワォンッ!」


 元気よく返事をするアドルフを見て、みんなで笑い合う。


「さあ、行こうか?」

「ああ」

「うん! お邪魔します」


 三人と一匹は、仲良くマーティンの家に入っていった。



 ⚔ ⚔ ⚔



 エリックはマーティンの家に入ると、自分の家にいるような調子で、近くにあったベージュのロングエプロンを取った。

 布紐を後ろに回した後、お腹の前で「キュッ!」と結ぶ。袖を肘まで折り、まくり上げる。

 紅茶を蒸らしている間に、冷蔵庫からプリンを三つ取り出し、揺れるくらいやわらかなプリンの上に、作っておいたミルクチョコレートソースをかけていく。


「エリックは、料理が得意なんだ。お母さんと一緒に、よくご飯を作ってくれているんだ」

「すごいね! 私も料理は作れるけど、レパートリーが少なくて、あまり自信がないの」

「作れるのだけでもすごいよ! 俺は作ったことが、ほとんどないから」

「マーティンは頭が良くて、みんなに頼られてるから、休める時に休んだ方がいいよ。今日も入学式だったから、早く帰って来れたけど、前の学校では夜六時を過ぎないと帰ってこなかったからな。──はい、どうぞ!」


 エリックが紅茶とプリンを二人の前に並べながら言った。


「ありがとう!」

「ありがとう、エリック」


 手を合わせて喜ぶコキーユと優しく笑うマーティンに、エリックは穏やかに笑う。


「どういたしまして。はい、これはアドルフ用。チョコレートが食べられるかどうかは、わからないから、プリンだけにしたよ?」

「ワォンッ!」


 嬉しそうに息を弾ませながら、アドルフが元気よく返事をした。


「じゃあ、食べようか?」

「うん!」

「「「いただきます!」」」


 早速、みんなでミルクチョコレートソースのかかったプリンを一口食べる。


「おいしい!」

「本当に、おいしいよ!」

「ありがとう」


 二人の幸せそうな笑顔に、エリックはとても嬉しそうに笑顔を浮かべる。


「ワォン!」


 モグモグ食べながらアドルフも「おいしい」と言いたげに鳴いた。


 そのあとも、三人で他愛もない話をし、コキーユとアドルフは帰っていった。

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