第21話 懸念材料

 投げかけられたその問いにレイはすぐ答えることが出来なかった。

 脳が理解を拒んだように言葉を飲み込めず、己の時間を停止させる。


 そんな主人にリサは何も言わなかった。

 ただ、石像のように動かずレイの言葉を待つ。


 やがて垂れた水滴が地中へ染み込むようにリサの言葉がゆっくりとレイの頭へ浸透し――、


 「――ああ、そうだな……君の言う通りだ。考えなくちゃいけないよな。脱獄した後のこと――だが……自分でも情けないくらい気が進まないな……」


 「レイ様……」


 いつになく弱々しい様子を見せるレイにリサが心配げに瞳を揺らす。

 レイは馬鹿でもなければ楽観的でもない。

 『異端者』としてこの監獄に収容された時から元の生活には戻れないことなど分かりきっていたはずだ。

 にも関わらず何故こんなにも脱獄後について考えることを躊躇うのか。


 「父さんと母さんにはもう会えないのかぁ……」


 そう呻くように洩らすと項垂れる。

 レイは両親――サイモンとアンナと再会することを最大の目的にして脱獄を目指していた。

 だが、それは最初から叶わない願いだったのだ。


 「はい……ですがそうしなければお二人の身にも危険が――」 


 「分かってる……皆まで言わなくてもいい」


 今まで通り家族として一緒に暮らすことが出来なくなるという単純な問題ではない。

 『異端者』を匿った者、またはそれに準ずる行為をした者は『異端者』と同等に扱われ、罰せられることになる。

 もしレイが二人に会いに行き、それを第三者に見られたらどうなるかは言うまでもないだろう。

 リサの言う通りサイモンのアンナのことを考えるならば、金輪際会わないようにするべきだ。


 しかし、頭では分かっていてもそう簡単に納得出来るものではない。

 レイが心の整理が出来るまでに要した時間はそれなりに長く、その間俯いたまま肩を何度か震わせていた。


 「――――すまない。取り乱してしまった」


 そう言って顔を上げたレイの顔はいつもと変わらない、息を呑むような美形だった。

 眼球や目尻が赤くなっているようなことも頬を涙で濡らした痕跡もないが、ずっと一緒いるリサは気づいていた。

 その澄まし顔の奥に押し込めた感情が渦巻いていることを。


 「いえ――お気になさらず」


 だが、リサがそれを口にはしない。

 一応の踏ん切りをつけ、前へ進み出そうとする主の決意に水を差す無粋な真似をするわけにはいなかった。


 「それじゃ、二人だけの作戦会議を始めようか」


 「承知しました」


 「大前提としてこの国にはもういられない。ある程度面が割れているからな。そうなると国を出るしかないわけだが国外なら何処でもいいというわけじゃない。どうしてか分かるか?」


 「逃亡先に異端審問会があれば、『異端者』だと発覚した際、また同じ目に遭う危険があるからです」


 異端審問会は正教派を信仰する国全てに置かれており、『異端者』を見つけ次第すぐさま確保、抹殺に駆けつける。

 おまけに異端審問会は『異端者』を逃さないため国の垣根を越えて情報共有を行っており、姿を見られただけで正体が露見してましまう可能性もある。

 レイのように特徴的な容貌をしているのなら尚更だ。


 「そうだ。だから逃亡先は正教派を信仰していない国が良い」


 「となると最も近いのは隣国のフランソワ王国ですね」


 「ああ。近年は軍事衝突が起こってないとは言え、敵国であるフランソワに行くのは少々リスキーだが、選り好みはしてられないな。問題はどうやって行くかだが……」


 「シュザンヌ様のお力を借りるのがよろしいかと。彼女はフランソワ王国の出身だったはずです」


 フランソワ人がブルートゥスへ入国することはほぼ不可能。

 合法的に入国するには外交ルートを使うしかないだろうが、ミドラーシュ派の信徒であるシュザンヌがそれを用いることが出来たとはとても思えない。

 ならばどうやって彼女はブルートゥスへ入国出来たのか。

 それは彼女――と言うより宣教師が何かしらの密入国手段を持っていると考えるのが自然だろう。


 そしてその手段を利用すればブルートゥスからフランソワに入国することも可能かもしれない。

 シュザンヌを頼る価値は十分にあった。

 しかし――、


 「そうだな……だが、彼女はまだ信用しかねる部分がある。あまり頼りたくはない」


 レイにしては珍しくリサの進言に難色を示した。

 

 「それはどういう――」


 「リサはミドラーシュ派で『異端者』がどのような立場にあるかは知っているな?」


 「――はい、もちろんです。正教派とはまるで正反対ですよね」


 ミドラーシュ派では『異端者』は神の奇蹟をその身に宿した者として崇敬の対象となっており、名称も『異能者』と正教派とは異なった呼び方をしている。


 「ミドラーシュ派において『異端者』――『異能者』の地位は高い。フランソワ王国聖騎士団団長ゴドフロワ・ド・ブローニュが良い例だな。彼が戦士階級にも関わらず信仰を認められているのは『異能者』であることが大きい」


 「しかし、ミドラーシュ派での『異能者』での地位の高さとシュザンヌ様が信用出来ないのがどう関係していて――あ……」


 「そうだ。シュザンヌが『異能者』なら彼女は何故宣教師なんて地位に甘んじている? もっと高い地位に就いていて然るべきだ」


 ヨシュア教において宣教師の地位はそれほど高いものではない。

 何せ自らが信じる神の教えを見ず知らずの土地で一から布教していかなければならないのだ。

 教義を理解させるだけでも一苦労な上、理解させれたとしても同意を得られなければその苦労は水の泡と化す。


 それだけで済めばまだ良い方だろう。場合によっては不興を買って殺される可能性もあるし、そもそも目的へ辿り着く前に命を落としてしまうかもしれない。

 安全な交通手段も、高い医療技術もないこの世界で遠方へ赴くというのはそれだけで命懸けなのだ。

 そんな重労働かつ危険な職務を貴重な『異能者』にやらせるなど普通はあり得ない。


 「何か裏があると俺は見ている」

 

 「しかし、ミドラーシュ派において『異能者』であることを隠す理由など見当もつきません」


 「それは俺も同じだ。だが、警戒するに越したことはないだろ?」


 「はい……ですが、シュザンヌ様が我々にとって救いの糸になる可能性は健在です。真偽はどうあれ、死なれてはいけません」


 前世の世界でも使用されていた慣用句を用いた憂慮を述べるリサにレイは同意するように頷く。


 「ああ、自ら可能性の芽を摘み取る真似はしないさ。シュザンヌはなんとしても死なせないようにしないとな」


 「かしこまりました」


 つまり他の三人――ミカ、ジェシー、アイザックの生死には興味がないという主人の意思を的確に汲み取ったリサは慇懃に頭を下げ、了解の返答で応じる。

 しかし――、


 「……いや、一つ訂正する」


 一瞬の逡巡の後、言い忘れを思い出したかのようにレイは付け加えた。

 後頭部に落とされた新たな意向にリサは頭を上げると「なんでしょうか?」と問いかける。

 だが、続けられたレイの言葉はその平常心を揺さぶるのに十分な衝撃を伴ったものだった。


 「ミカだけはここで俺が殺す」


 「――――はい?」


 決して短くない絶句の後、リサの口から転がり落ちたのはそれだけだった。


 「ジェシー、アイザックの生死についてはどうでもいいが、ミカは殺さなくてはならない。これは脱獄の次に優先される決定事項だ」


 何を言ったとしてもこの意思が覆ることはない。

 そんな主の固い決意をひしひしと感じ取ったリサは動揺をおさめつつ純粋な疑問を問いかける。


 「――理由をお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


 「……奴の能力は危険過ぎる。外へ出しては俺たちにも危害が及ぶ可能性があるからな。今の内に潰しておくだけだ」


 尤もらしい理由を嘯いているが本音はもちろんミカへの復讐だ。

 大変癪だが、ミカの能力はどれも強力で正面から倒すには骨が折れる。

 ならば不意を突き確実に殺す。更に言うと逃げ場のない状況で出来るのが最も理想的。

 つまり監獄島ここはレイにとって絶好の狩場ということだ。


 「……はい。かしこまりました」


 それが本心でないことにリサは気づいていたが、先程同様、追及しようとしなかった。


 (殺す……殺す……殺してやる……三ヶ島啓司!)


 父と母に会えない理不尽への怒りの感情をそのままミカにぶつける形で、怨嗟の言葉を唱え続けるレイ。


 こうして優先順位を履き違えた復讐者と得体の知れない宣教師、そして正義に固執する転生者と多くの懸念事項を抱えたまま六人は脱獄へ臨むのだった。

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