第10話 囚われた主のために

 「レイは今どこにいる! あの子が『異端者』なわけがないだろう!」


 教会に押しかけたサイモンが応対する神父相手に声を荒げている。

 普段のサイモンを知っている者が見れば、目を丸くしてしまう光景だろう。


 レイが連行されてから二日が経った。

 まだ二日しか経っていないと言うべきかもしれない。

 しかし、待たされている側としてはもう二日だ。


 何せ愛する息子が『異端者』の疑惑を掛けられ、連れ去られたまま帰ってこないという状況。サイモンが冷静でいられないのも当然だろう。


 「お気持ちは分かりますが、もう少々お待ち下さい。現在、我々の管轄場所で取り調べをしており『異端者』でないと分かり次第、すぐにお帰ししますので……」


 それを相手も理解しているのだろう。

 神父が困ったような顔をしながら宥めるように言った。


 「大体何の証拠があってレイを『異端者』だと疑っているんだ!」


 「報告があったようです。レイモンド様に『異端者』の疑惑があると……」


 「何!? 誰だそんなふざけたことを言ったのは!!」


 「それは機密情報でして答えかねます」

 

 二人のやり取りを少し離れた場所から見ていたリサは思った。


 (きっとここへ何回来てもレイ様が解放されることはないでしょうね……)


 そう見切りをつけると教会を出る。


 恐らくあの神父はそれほど高い立場にある人間ではない。

 何も知らないし、知っていたところでどうこう出来る権限はないだろう。

 ならば上層部に訴え出れば、というのも安直な考えだ。

 それはヨシュア教の決定に異を唱えるのと同義であり、認められることではない。

 そも一国の王ですら無視出来ないほどの権威を持つヨシュア教に一貴族が意見など出来るはずがないのだ。


 だが、何もせずに待っていてもレイが帰ってくる保証はどこにもない。

 それどころかこのまま処刑されてしまう可能性の方が高いだろう。

 もしかすると既にその準備が水面下で進められているかもしれない。


 「おやおや。誰かと思えばリサじゃないか」


 そこへ不愉快な声がリサの鼓膜を撫でた。

 憎たらしげな笑みを浮かべながらこちらへ歩いてくるのは従者であるマストを引き連れたタージ。

 教会は教区と呼ばれるヨシュア教が管理する地域に置かれているため、信徒ならば基本誰でも立ち入りすることが出来るが何故ここに?


 リサは取り繕うことすら忘れて顔を顰めた。

 レイやサイモン、アンナと言った親しい者以外には本名のエリザベスと呼ばれることが多いのだが、タージは愛称のリサと呼んでくる。

 それがリサにとって自分の領域テリトリーを土足で踏み荒らされるようでこの上なく不快だった。

 その名前で呼んでいいのは主人レイたちだけ。

 赤の他人が馴れ馴れしく口にしないでもらいたい。

 そんな気持ちで表に出た顰めっ面だった。


 「そんな顔をするなよ。今日はお前にいい話を持ってきたんだからな」


 「申し訳ありませんが私は急ぎの用事がありますのでこれで」


 その顔と声を一秒と見たくないし、聞きたくない。

 それを言外告げ、立ち去ろうとするが、


 「お前の主人、『異端者』だったらしいな」


 その一言でリサは足を止めざるを得なくなった。


 「それはどういうことでしょう?」


 レイが異端審問会に捕まったことはまだ公表されていないはず。なのに何故――、

 そんな動揺を腹の奥に押し込め、平静を装って振り返った。


 「私がお聞きしているのは、レイ様が以前捕縛した異端派の信徒についての聞きたいことがあるということですが」


 「惚けるなよ。なら何で二日も帰ってこない」


 「私には分かりかねます。恐らくまた何か力をお貸ししているのでは? 異端審問会がレイ様に助力を願い出てきたことは以前もありましたので」


 あくまで知らぬ存ざぬを貫くリサ。

 しかし、タージは納得した様子を見せず、


 「お前も分かってるんだろ? 一回異端審問会に『異端者』の疑惑をかけられたら終わりなんだよ。奴らはどんな手を使っても捕まえた奴を『異端者』だと認めさせる」


 嘲笑うように事実を突きつけるように告げるタージ。

 それに対してもリサは無表情ポーカーフェイスを崩さなかったが、内心では激しく波がさざめき立っていた。


 「失礼します。これ以上、話してもお互い時間の無駄なようなので」


 これ以上この場にいたくない。

 言外にそう言い残すと場を再び背を向ける。

 だが、それをタージは許さなかった。

 リサの手首を掴み、その歩みを止めさせる。


 「だから話しがあるって言ってんだろ」


 そして無理矢理リサに正面を向かさせた。


 「――っ! 離して!」


 「お前、オレの従者になれよ」


 「は?」


 「だからお前をオレの従者にしてやるって言ってんだよ」


 盗賊紛いの傭兵だった祖父の名残りを感じさせる乱暴な言葉遣いでタージは言った。


 「アイツはもう帰ってこないんだ。だったらオレに支えろよ。安心しろ、アイツよりも賃金は払うし、可愛がってやるからよ。どうせヘタレのアイツことだ。一回も手ェ出されてないんだろ」


 そう言いながら空いたもう一つの手をリサの細い腰へ伸ばす。

 次の瞬間、タージの世界が反転した。

 足を天に、頭を地に向け、そのまま背中から地面に叩きつけられる。


 「恥を知りなさい!」


 痛みに喘ぐタージに向かってリサは言い放った。

 もう我慢の限界だった。

 これ以上、この男に体を触れさせたくない。

 そしてそれ以上に許せなかった。

 愛する主人を侮辱した卑劣な男を。

 そう思った時にはタージを投げ飛ばしていた。


 「オメエ……従者ごときがこんなことして……ただで済むと思ってんのか……」


 苦痛を堪えながら睨みつけてくるタージ。

 タージは貴族。

 リサは従者。

 当然ながらその立場には大きな隔たりがある。

 そして、下の立場の者が上の立場の者に無礼を働くのは絶対に許されない。

 法がそう定めているわけではないが、貴族社会に生きる者なら誰もが承知している不文律だ。

 場合によっては命で償わなければならないこともあるだろう。


 しかし、リサの目に後悔や怯えはなかった。

 あるのは不退転の覚悟だけ。

 癪だがタージの言う通りもう時間がない。

 例え助け出したとしてもレイは元の生活を送れないだろうが、それは今考えるべきことではない。

 生き抜くこと。それが最も大切なのだ。


 「おい……マスト! さっさっとその女を捕まえろ! 何ボケっと立ってんだよ!」


 絶対に救ってみせる。どんな手を使っても。

 そんな確固たる決意を固めリサは従者へ怒鳴るタージへ目もくれず走り出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る