第十九話 八馬の誘い
九月十九日、金曜日。洪水は夜中に決壊した
午後、中学校から家に戻ってきた
康史郞が向かったのは、いつもくず鉄を買ってもらっている廃品業者の店だった。カイは康史郞が中に入っていったのを見ると、八馬に報告するため雑貨屋に向かった。
「読み通りだ。後は姉貴が帰ってくるまで見張ってろ」
八馬はカイに命じると廃材の乗ったリアカーをひいて廃品業者の店に向かった。
康史郞は窓の代わりにする板を探すため廃材の山をあさっていたが、大きすぎたり小さすぎたりとなかなかぴったり合う板が見つからない。その時、背後から声がかかった。
「日曜でもないのに珍しいな」
「ヤマさん!」
驚いて振り向いた康史郞に八馬が尋ねる。
「何を探してるんだ」
「家の窓が壊れたんで、代わりになる板を」
「そうか、俺もちょうど廃材を持ってきたんだが、見てみるか」
康史郎は八馬がリアカーに乗せてきた廃材を見て驚いた。
「すごいや、ガラス窓がある」
「壊れたドアから取りだしたんだ。ちょっと小さすぎるか」
「いや、これくらいなら周りの板を合わせるよ」
早速ガラスに板を合わせる康史郞に、八馬が呼びかけた。
「良かったら持ってくか」
「うれしいけど、タダじゃないよね」
康史郞はズボンのポケットにある財布を触る。
「タダでいいぞ。その代わり、今度俺の仕事を手伝ってくれないか」
「ありがとう。それくらいなら喜んで引きうけるよ」
康史郞はリアカーからガラス窓と、補強になりそうな板きれを数枚取りだした。八馬が康史郞の足下を見ながら話しかける。
「そういえば、今日はあのズックじゃないんだな」
「ちょっと洗濯してるだけだよ」
康史郞は思わず見栄を張った。八馬は話し続ける。
「お前と姉貴だけで窓を直すのか、大変だろ。俺が手伝ってやろうか」
「手伝ってくれる人がいるから大丈夫。それじゃ」
走り去ろうとする康史郞に八馬が呼びかけた。
「仕事の話はまた今度な」
康史郞を見送った八馬は不機嫌な表情をした。
(手伝いする男手がもういるってことか。当てが少し外れたが、あの坊主を引き込めればこっちのもんだ)
横澤家に戻るため
「康ちゃんお帰り。工場で使ってる脚立を借りることができたんで、山本さんに手伝ってもらって運んでるの」
「うちの人が工具箱を持ってるから、帰ったらお貸ししますね」
槙代も軽く頭を下げて通り過ぎていく。
「すごいや。これなら土曜に間に合うぞ」
康史郞の足取りも軽くなった。
康史郎が横澤家に着くと、かつらが脚立を玄関の横に立てかけていた。家から工具箱を持ってきた槙代がかつらに話しかける。
「うちの人の働く運送会社も、洪水の被害を受けたお得意さんへの対応で大わらわだそうです。今日は帰れるか分からないって言ってましたよ」
「荷物が運べないと仕事になりませんし、本当に早く水が止まるといいですね」
「ここの水道だけは別の浄水場に切り替えてくれて助かりましたけど、洪水にあった場所はそれどころではないでしょうしね」
かつらと槙代の会話を聞きながら、康史郞は持ってきたガラスをどう窓に当てるか思案していた。その時、かつらが声を上げる。
「
康史郞が玄関を見ると、カバンを持った
「いよいよ工場にも洪水が来るし、このままでは
「ありがとうございます。私も土曜は午前中だけですし、脚立と工具箱も借りられたので、康史郞が大丈夫なら」
「窓の代わりもいいのを見つけたし、今からでもやろうよ」
康史郞は早速窓ガラスを見せるが、かつらが突っ込んだ。
「宿題はしなくていいの? 」
「たまに家にいるとすぐこれだから」
康史郞のぼやきに隆は微笑した。
「昨日横澤さんに借りた服も洗濯しなくてはいけないし、今日はこの辺で。では、明日十四時にまた来るよ」
「すみません、洗濯まで気を遣っていただいて」
恐縮するかつらを残し、隆は厩橋を渡っていった。
「姉貴が脚立を運んできて、眼鏡の男が訪ねてきたんだな」
雑貨屋の裏手で見張りから帰ってきたカイとリュウの報告を聞くと、八馬は
「男と姉貴の関係が気になるが、早めに坊主に仕事を頼みに行くか。まだ
「いままでこいつらがやってたヒロポンの運び屋か。かまわんが、俺の分は別に取っといてくれよ」
廣本はシャツの左袖口に右手をやると、注射を打つ仕草をした。
「最近打つ量が増えてないか。やり過ぎは毒だぞ。ヒロポン中毒だけは勘弁してくれ」
八馬は体の心配というより、仕事の支障になることを気にしているようだった。
「そうは言うけどな、夜眠れないときにはこれが一番なんだ。お前らももう帰れ」
廣本はズボンのポケットから十円札を取り出すと、カイに渡した。
「ヒロさん、ありがとう」
リュウが頭を下げるが、カイはそそくさと外へ出ていった。
「俺たちは十円であいつらをこき使ってるのに、また下っ端をふやすのか」
廣本は椅子代わりの木箱に腰掛けるとつぶやく。
「あいつらにはいずれ新しい仕事をあてがってやるさ」
八馬はそう言うと、懐から取りだした札束を数えだした。
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