一蓮托生~蓮華の下で結ばれて~(オリジナル版)

大田康湖

第一章 恋の始まり

第一話 闇市での再会

 進駐軍占領下の昭和二十二年。焼け野原となった大地にも草が芽生え、愛する者を失った人々にも新しい出会いがもたらされる。


 東京の下町、隅田川すみだがわにかかる厩橋うまやばしの周辺には、バラックと呼ばれるトタンや焼け残りの木材で建てられた粗末な家が建ち並んでいる。その一軒、裸電球の下がった八畳ほどの室内では、白い半袖シャツに紺色のスカートを履き、二つ縛りの三つ編み姿の若い女性が、「給料袋」と書かれた封筒から十円札の束を取り出していた。

「十枚あれば足りるかしら」

 横澤よこざわかつらは、肩ひもに継ぎ当てをしてある布製のカバンからがま口を取り出し、お札をしまう。

「姉さん、今日の夕飯はどうするの」

 板張りの床で一升瓶に入った玄米を棒で突いている横澤よこざわ康史郎こうしろうが尋ねた。伸びかけた坊主頭にランニングシャツ、膝に継ぎの当たった学生服のズボンを履いている。

「お昼のサツマイモがまだあるから、康ちゃんは先に済ましといて。私はこれから仕事だし、戸祭とまつりのおじさんにお店の残り物を分けてもらえるかもしれないわ」

 かつらはそう答えると、給料袋を部屋の隅に置かれた柳行李やなぎこうりにしまった。

「それじゃ行ってくるわ」

「まだ早くない? 土曜なんだからもう少しゆっくりすればいいのに」

 康史郎はバラックの柱にかかる「7月5日 土曜」と書かれた日めくりに目をやった。かつらは優しく呼びかける。

「わたしは闇市で買い物してからお店に行くから、お米つきと留守番よろしくね」

「分かったよ。行ってらっしゃい」

 かつらはカバンを肩にかけるとドアへと向かった。玄関の床には歯のすり減った下駄とかかとの潰れたズック靴が置かれている。ズック靴を見ながらかつらは心の中でつぶやいた。

(康ちゃんのズック、新しいのを探してくるからね)

 かつらは履き古した足袋に下駄を引っかけ、心張り棒を外すと、雨戸を再利用したドアを開けて外に出た。


 かつらは三連アーチの厩橋を渡って隅田川の下流へ十五分ほど歩き、総武線そうぶせん両国りょうごく駅前にやってきた。この辺りは「闇市」と呼ばれる非合法の市場になっている。バラックの店舗が立ち並ぶ夕暮れの市場で、かつらは雑貨店が木箱の上に並べているズック靴に目を止めた。

「寸法はいかほどで」

 アロハシャツを着た若い男性がかつらに尋ねる。雑貨店の店主なのだろう。

十文半ともんはんはあるかしら」

 かつらはズック靴のそばに近づいた。

「お嬢さんには大きすぎやしませんか」

 店主はかつらの歯のすり減った下駄を見ながら尋ねるが、かつらはかぶりを振る。

「わたしはもう二十一歳だし、履くのは中学生の弟よ」

「それは失礼。折角だからお嬢さんもひとつどうです」

「わたしはまだ大丈夫」

 かつらがきっぱりと答えたので、店主は白いズック靴を取りあげた。

「十文半ならこいつでどうだい。百円にマケとくよ」

 ズック靴を受け取ったかつらは、縫製の具合を確かめるとうなずいた。

「それじゃ、いただくわ」

 かつらは肩掛けカバンからがま口を取り出すと、十円札を十枚数えて差し出す。

「まいどあり」

 店主は代金と引き換えに新聞紙に包んだズック靴を渡すと、店の奥をチラリと見た。


(急がないとお店に遅れちゃう)

 新聞紙に包まれたズック靴を腕に抱え、かつらは足早に闇市を歩いていた。その時だ。背後から追い抜きざまに何者かが体当たりした。スリだと思ったかつらはとっさにがま口の入った肩掛けカバンを引き寄せる。その拍子にズック靴が腕から転がり落ち、雑踏に飲み込まれた。

「待って!」

 思わず声を上げたかつらの前を、二人の子どもが走っていった。年頃は弟の康史郞と同じくらいに見える。慌てて追いかけようとしたかつらを遮るように、クラクションが鳴り響く。前方から進駐軍のジープが走ってきたのだ。

 避けようとしたかつらの足がもつれたところに、ズックの包みをつかんだ作業着の左腕が差し出され、かつらはその中に倒れ込んだ。男性の声がかつらに呼びかける。

「これは君のかい」

「はい、ありがとうございます」

 包みを受け取ったかつらは一瞬息を飲んだ。眼鏡をかけた長身の青年の顔に見覚えがあったのだ。思わず声をかける。

「良かった、生きてたんですね」

 青年もかつらの顔を見つめると感慨深げに言った。

「この前食堂で介抱してくれた店員さんじゃないか。お礼を言いに行きたかったんだけど、酔っていたからどこかも分からなくて」

 かつらは改めて青年を見た。眼鏡の奥から優しそうな眼差しが覗いている。

「もし良かったら、これからお店で夕ご飯にしませんか」

 かつらの申し出に、青年は頷いて右手の手提げかばんを左手に持ち直した。

「ありがとう。私は京極きょうごくたかし。今は印刷工だ」

「横澤かつらと言います。昼は縫製工場、夜は食堂の店員をして……そうだ、早くお店に行かないと」

「引き留めてすまなかった。お店はどこに」

「こちらです」

 かつらは隆を案内するため駅の方向に歩き出した。

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