第10話 幼馴染の来訪

(今日も無駄に天気が良いわ)


 アリシアは自室の窓辺に置かれたソファに座り、ぼんやりと空を眺めていた。


 手付かずの自然が広がっているように見えるダナン侯爵家の敷地だが、アリシアの部屋からは花壇がよく見える。


 春色の花々が今を盛りと咲き誇り華やかな彩りを見せる真ん中には、丸い噴水。


 王宮に比べたら簡素なものではあるが、十分に美しい光景だ。


(もっとも王宮にいた頃は、のんびり花など眺めている余裕はなかったわ)


 花を愛でる機会はあったが、だいたい社交とセットになっていて、のんびり花を眺められるような状況ではなかった。


(王妃教育に学園の勉強、お茶会に夜会。わたくしの予定はいつも、わたくしの意志など全く関係なくビッシリと埋まっていたわ)


 予定が何もない午前中など王宮にいた頃には考えられなかった。


 だが、今のアリシアにはそれが普通だ。


(変われば変わるものだけど。今のわたくしに価値はないのだから仕方ないわ)


 溜息をひとつ吐く。


 もうそろそろお茶の時間なのか、優雅な香りが漂ってきた。


 今のアリシアにとっての仕事は、回りがしてくれたことを受け入れるだけだ。


(価値のないわたくしに尽くしてもらうのも気が引けるけれど……何もやる気にはならないのよ。不思議ね。王宮にいた頃には、あんなにもやる気に満ちていたのに)


 ビッシリと詰まった予定に臆することなく日々を精力的に過ごしていた。


 今となっては、あそこまで動けた自分が不思議でしかない。


 あの原動力となっていたモノはなんだったのか?


(それを考えるのも面倒だわ)


 今となっては失われた何かだ。


 失われたモノを思い出すのも嫌だ。


 思い出しそうになると自分自身とは切り離されたかのようにツゥーと涙が頬を落ちていくのも嫌だ。


(わたくしは価値がないだけでなく意気地なしになってしまった)


 アリシアは、そうやって自分を責めながら窓から空をぼんやりと眺めて一日の大半を過ごす。


 それが今のアリシアの生活だ。


 だが、変化は唐突に訪れた。


「アリシア」


 懐かしい声に振り返れば、自室の入り口に懐かしい人が立っていた。


 金の髪に金の瞳。


 おぼろげな幼き頃の記憶がぶわりと浮かび上がる。


「……お兄ちゃま?……レアンお兄ちゃま?」


「アリシア。久しぶりだね。大きくなったね……」


 幼馴染の男の子は、すっかり青年になっていた。


 それでも幼き日を彷彿とさせる優しい笑みが、アリシアの心を柔らかくしていく。


「お兄ちゃま……何年ぶりかしら?」


「ん……アリシアが婚約する前だね……遠い昔だね……」


 レアン・スタイツ伯爵は金色の目を細めてアリシアを見た。


「お兄ちゃまも、大きくなったわ」


 クルクルと巻く柔らかな金髪を肩のあたりまで垂らして笑っていた小さな男の子は、スラッと背の高い紳士へと変貌していた。


 長く伸ばした金髪を緩く三つ編みにして片側に流し、笑みに染まる金の瞳が甘やかにアリシアを見ている。


 整った顔立ちは中性的な美しさをたたえていて威圧感はない。


「ふふ。私も大きくなった、か。……ねぇ、アリシア。お兄ちゃま呼びは、もう止めて?」


「あら? お兄ちゃまは、お兄ちゃまでしょ?」


 冗談めかして笑うアリシアの隣にスッと腰を下ろしたレアンは彼女の顔を覗き込んで言う。


「私は、アリシアの兄ではないから……レアンと呼んで」


「レアンさま?」


「レアン、でいいよ」


「ふふふっ。レアン? 呼び捨てなんて、なんだか変だわ」


「いいんだよ、アリシア。大人になったのだから。……私はキミに、一番親しい人として呼ばれたい」


 少し切なげな表情になったレアンは、アリシアの右手を両手で包み込む。


「レアン……」


 アリシアは金の瞳を見つめながら、王太子ペドロを一目見て恋に落ちた理由に気付いた。


(ペドロさまは、レアンと似ている……)


 アリシアの心と頭にかかっていた、もやもやとした霧のようなモノが一瞬にして消え去る。


 そして気付く。


 本当の目的地は、ココ ――――――。

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