第7話 嘆く両親
「是非にと請われて泣く泣くアリシアと王太子の婚約を認め、王宮に住むことも了承したというのに……」
リチャード・ダナン侯爵は眉間に深いシワを刻み、奥歯をグッと噛みしめて続く言葉を飲み込んだ。
「あの時。アリシアに婚約の申し込みがあった時。是が非でもお断りするべきだったのですわ」
ニア・ダナン侯爵夫人は美しい金髪の乱れも気に留めず、青い目に薄っすらと涙を溜めて後悔に唇を噛みしめた。
「それは……あの時点では難しかった」
両親は話し声が漏れぬように書斎で話し合っていた。
日は暮れて夕食の時間は過ぎたが、アリシアは一緒に晩餐を楽しめるような状況ではない。
ダナン侯爵は椅子にドカリと腰を下ろし、執務机に肘を置いて頭を抱えた。
夫人は落ち着かない様子で広い書斎を歩き回っているが、恨みの言葉は止められない。
「ダナン侯爵家が、今は亡き前国王であらせられる王兄派であることが関係しているのでしょう? それは承知しています。だからこそアリシアは大切にされるであろうと思って……泣く泣く手放しましたのに」
「ああ。亡き前国王は、現国王の兄上。王兄派を疎ましく思う国王陛下の気持ちも分かる。前国王派との架け橋としてアリシアを王太子の婚約者に……いずれは王妃になって欲しいと言われれば、私としては受け入れるしかなかったのだ」
「それは分かっております。だからひとり娘であるアリシアを王家へ預けたのです」
王家は力を持ち過ぎたダナン侯爵家を警戒していた。その結果として結ばれたのが王太子との婚約である。
当初、アリシアの父であるダナン侯爵は婚約について難色を示した。
しかし、王家には王家の事情がある。事はそう簡単にはいかなかったのだ。
リチャード・ダナン侯爵は当初、ひとり娘であるアリシアに婿を取ってダナン侯爵家を継がせるつもりだった。
何より人質のように幼い娘を王宮へと連れて行くことに納得できなかった。
だが王家は押し切り、半ば無理矢理にアリシアを王宮へと連れ去ったのだ。
以降、ダナン侯爵夫妻は娘との接触さえ王家により制限されていた。
「あの子に会いたい気持ちを抑えるのがどれだけ大変だったか。可愛い娘を手元で育てられない苦しみを耐えたというのに……」
「分かっている。分かっているよ、ニア」
夫婦にとって可愛いひとり娘と引き離された期間は耐え難いものであった。
耐えられたのは、アリシアが幸せを手に入れられると信じていたからだ。
「あの子の幸せのためだったのに。王太子妃や王妃になることに期待していたのではありません。政略結婚ですもの。無条件で幸せを手に入れられるとは最初から思っていなかったわ」
「ああ。だから引き換えになるものを、と。私は頑張っていたのだ」
ダナン侯爵家に力が付けば付くほどアリシアの助けになる。
そう考えた父は精力的に動いた。
「ええ。分かっていましたわ。だから私も出来る限りの協力をしていたのです。それが結果として、あの子の幸せになることを信じて」
「そうだね。ありがとう」
リチャード・ダナン侯爵は顔を上げると愛しい妻を見た。彼女もまた夫を見ていた。
一瞬、笑みを交わし合うふたり。だが、すぐに苦悩が表情を変えさせた。
「でも期待は裏切られました」
「そうだね……」
苦しげに顔を歪める妻を見て、夫も顔を歪めた。
王太子の後ろ盾として不足のないようにダナン侯爵家は頑張ってきた。なのに、娘は簡単に切り捨てられてしまった。
「王家の魔法を、その男爵令嬢に使ったというのなら。アリシアが王太子妃になることは未来永劫ない」
「そうですわねっ。要らない、と、ポイと捨てて寄こすなら最初っから手を出さなければよいものをっ」
「ニア!」
苦々しく言い捨てる妻に、夫の口調はきつくなる。かえって昂奮したニアは叫びにも似た口調で思いを吐き出す。
「だってそうでしょう⁈ アナタだって見たではありませんかっ。帰ってきたあの子が見せた、人形のようなカーテシーを! あぁ、あんなに生き生きとして活発な子だったのに……それが、あのような……」
「ああ。分かっている。分かっているよ」
リチャードは立ち上がると、気忙しなく動いていたニアを抱きしめる。ニアは縋るようにリチャードを抱きしめ返す。
「こんなことなら……ずっと手元に置いておきたかった。ひとり娘ですもの。手放すのは嫌だった。でも……でも、それは親の我儘というものだと思って……思って、耐えていましたのに。あの子が幸せになれるなら、侯爵家を継ぐ必要もないわ。嫁ぎ先だってどこでもいいのよ。この家の事は心配要らないもの」
「ああ。侯爵家の後継ぎなら養子を迎えれば良い」
「ダナン侯爵家の縁続きには、有能な令息方がたくさんいらっしゃるのですもの。何も私たちの子どもにこだわる必要などないわ」
「そうだな」
ニアはパッと夫から離れると顔を覗き込むように言う。
「王太子殿下との婚約に不満があったわけではありません。私は、あの子が幸せになれるのであれば……あの子が幸せになることだけを望んでおりました」
「そうだな。アリシアの幸せが重要だ」
「王太子殿下の婚約者になれば、責任は重大です。アリシアには背負わされた責任に見合うくらい、幸せになる権利がある、と、思っておりました。そうでしょう? そうでなければおかしいではありませんか」
「あぁ、あぁ……分かっているよ」
「なのに。あの子は自分を見失うほど傷付いてしまったわ。私は……私たちは、あの子に何をしてあげたらいいのかしら……」
両親は顔を見合わせたが、そこに答えは無かった。
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