第5話 王家の魔法

「さぁ、ミラ」


 緑色の衣装をまとった貴公子は白手袋に包んだ手を、赤いドレスに金の宝石で着飾った令嬢へ差し出す。


「はい」


 白い手袋の上に、赤いレースの手袋に包まれた令嬢のしなやかな手が重なる。


 エスコートする王太子の凛々しさとエスコートされる令嬢の優美さに会場からは溜息が漏れた。


「なんて優雅なのかしら、ミラさま」

「美しいとは思っていたが、ここまでとは思っていなかったよ」

「やはり、王太子さまが凛々しく立派であられるから」

「ああ、そうだな。おふたりが並ぶと絵のようだ」


 ザワザワとしたざわめきが舞台前から会場の端の方へと波のように広がっていく。


 ミラの動きに呼応するようにネックレスに繋がる枝のような金の台座が揺れて宝石と共にキラキラと輝く。


 ふわふわと揺れるシフォンレースと宝石のきらめきが残像となり残るような錯覚。


 ミラは幻のように美しい。


 彼女をエスコートする逞しい王子さまとのツーショットは、絵でも描けないような幻想的な美しさを醸し出していた。


「ここに立って」


 舞台の中央に立つミラは会場にいる皆からよく見え、赤いドレスは青がアクセントとなっている白亜色の会場によく映えた。


「この国の第一王子であり次期国王となる私、ペドロはここにいるミラ・カリアス男爵令嬢に永遠の愛を捧げる」


「いけませんっ! ペドロさまっ!」


 会場で悲鳴のような非難の声を上げたのはアリシアひとり。壇上に向かって駆けだしそうな様子を見てとったペドロは衛兵に目で合図する。


 衛兵たちはあっという間にアリシアを取り囲んだ。動きを封じられたアリシアはジタバタと暴れながら叫ぶ。


「何をするんですかっ!」


 侮蔑を含んだ金色の眼差しがアリシアに向けられる。


「フンッ。本性を見せたな女狐めっ。お前はそこで見ていろ」


 ペドロは改めてミラに向き直り、美しいお辞儀を見せた。ミラの顔が歓喜に輝く。


「愛しいミラへ。真実の愛を込めて金の魔法、王家の魔法をキミに贈ろう」


 ペドロは手の平を上に向け、指先をミラに向けると小さく口を動かす。言葉は言葉としての役割を果たさないが、魔法の発動には十分な力があった。


 日に焼けた大きな手からキラキラと輝く光が漏れ出して、ゆるゆると霧のようにミラの足元へ渦巻き始める。


「これが王家の……」

「王家に伝わる金の魔法……」

「ああ、みて! 光がっ!」


 王家に伝わる愛の魔法は、国守りの勇者に与えられる魔法。戦いに出て行かねばならない国王が、王妃の健康を願い、変わらぬ愛を誓うために生み出されたとされる魔法。その守護を与えられた者は、王妃の地位を約束される魔法でもある。


「ああ、ダメッ!」


 アリシアの叫びは強い風にかき消されていく。


 ゆるゆるとしたきらめきは激しい風と共に舞い上がり渦を巻きながら立ち上がってドームのようにミラの全身を包んだ。


 手の平をミラに向かってかざすペドロは言葉を紡ぐ。


「嫉妬がキミを焦がさぬように。絶望がキミを苛まぬように。孤独がキミを支配せぬように。私の真心をキミに贈ろう。いつも私の側にいて欲しい。キミとなら逆境にあっても乗り越えて生きていける。ミラ、私の心を受け入れて」


「ええ、ええ。ペドロさま。私はアナタを受け入れます」


 歓喜に弾んだミラの声を合図に、光は彼女の中へと流れ込んでいく。渦を巻いてミラの中に吸い込まれていく光。キラキラとした輝きは最後に大きく彼女をきらめかせ、そして消えた。あの光は、これから彼女と共に時間を刻むのだ。


(ああ、なんてこと!)


 本来であれば、結婚式の場で行われる儀式だ。


 それをこの場で、生徒会主催の学園卒業式などという場で行うとは。


(ペドロさまは、本気で男爵令嬢との結婚を望んでらっしゃる)


 アリシアはヘロヘロとその場に座り込んだ。


 見上げる先にいる赤い髪に金の瞳の美丈夫は、もう永遠にアリシアのものにはならない。


 鋼のように鍛えられた逞しい体をアリシアの色である緑と金とで飾っていても、その傍らに立てる日は永遠に来ないのだ。


「これで私の王妃は彼女ひとり」


(そうよ。ミラ男爵令嬢しか、王妃になることができなくなった)


 元婚約者の言葉を聞いても、アリシアにはもう言葉を発する元気すらない。


 事はいともあっさりと覆ってしまったのである。


 アリシアの費やした8年という歳月は、全く意味を持たなくなったのだ。


 母恋しさに泣いた夜も、眠気と戦いながら身につけた教養も、王族に気を使いながら過ごした幼い日々の全てが無に帰した。


 失われた時間は戻ってこない。これまで積み上げてきたものは全て霧散し霧の如く消え去ったのだ。


「嬉しいわ、ペドロさま」


 飛びつかんばかりに傍らに駆けてきた美しい令嬢の手を取り、見つめ合う王太子。


(本来であれば王家の金の魔法は結婚行事の一部。それをこんな所で使ってしまうなんて。前代未聞だわ。国王主催の夜会ですらないのよ。たかだか学園の生徒会主催の卒業式典だというのに……)


 アリシアはぼんやりと壇上を見つめた。今起こったことが現実だと思えない。 


「アリシア、まだいたのか。もう、お前は私の婚約者ではない。未来の王妃ではないのだ。早く親元に帰って、せめて侯爵令嬢らしくなるんだな」


 アリシアは呆然としたままペドロの後姿を見送った。元婚約者の隣には、もちろん男爵令嬢がいる。ふたり仲良く壇上を去るのを、なんとなく見送りながら立ち上がる。立ち上がったものの、アリシアはその場から動けなかった。


 チラチラとアリシアを伺っていた視線もひとつふたつと消えていく。


 パートナーのいる卒業生たちは手を取り合って踊るのに忙しいからだ。


 華やかな音楽が生演奏されるなか、アリシアが立ち尽くす場所を避けるようにクルクルと踊る。


 王太子ペドロとミラ・カリアス男爵令嬢も楽しそうに見事なダンスを披露した。


 音楽はやがて止み。賑わいを極めた会場からは、華やかな騒めきを引きずりながらひとりふたりと帰っていく。


 帰るべき家へ。


 記念すべき学園の卒業式典の日。美しい調べもドレスアップした紳士淑女のざわめきも消えた頃。


 広い広い学園の大広間の真ん中に深紅のドレスにキラキラ光る金のアクセサリーを合わせた金髪碧眼の令嬢は、たったひとりきりで取り残されたのだった。

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